58/二度目の街歩き
私は今、自由だ。
クソ親父と幹部連中の”魅了”も終わり、あとは後始末が終わるまで定期的に”魅了”するだけでいい。
この開放感といったら……。
夏休みの宿題や、受験勉強――いっそ就職活動が終わったあとにも等しい。
(あとは内政関連だから、私じゃ何も出来ないしね)
今やれる私の仕事は全部終わった。
なら、少しくらい魂の洗濯をしても、怒られないだろう。
それに――今はとにかく、気分転換をしたい。
「ねぇ、ダイアン」
「なんでしょう、お嬢様」
部屋に待機している彼女に声を掛ける。
「あのね、街歩きをしたいのだけれど……」
「駄目です。危険過ぎます」
予想通り即座に却下された。
でも私は食い下がる。これくらいは予想済みだ。
「ちゃんとエリクを護衛に連れて行くから、ね?」
できれば一人で気ままに歩きたい。
でも、それが許されない立場なのは重々承知している。
だから、護衛にエリクがいてくれたって問題ない。
とにかく気分転換をしたい気分なのだ。
「ですが……」
「――なら、私と行こうか」
渋るダイアンとは別の声。
気がつけば、いつの間にか兄貴が部屋の中に居た。
……タイミングが良すぎませんか。
まさか盗聴器とかないよね……?
(ま、まぁ、兄貴がそこまで私に気にかけてるわけないし、偶然よね)
気を取り直し、念の為確認を取る。
「お兄様は、今日のお仕事はいいのですか?」
「今日やる分はすでに終わっているな」
まだ昼過ぎなのですが。
本当、有能ですね。
――でも渡りに船だ。
「……もし、お兄様がよろしいのであれば、ぜひ」
ちらりとダイアンを伺うように言えば、彼女は私と兄貴を交互に見て、ため息を零す。
「そうですね、若様がそう仰るのであれば」
「やったっ」
兄貴と一緒というのは、少々気疲れしそうだけれど。
それでも、自由に街歩きが出来るのは嬉しい。
「あぁ、ダイアン」
「なんでしょう、若様」
「エリクには休みを与えておいてくれ。
私が一緒ならば、仕事はないからね」
「そ、そうですね」
優しさなのか嫌味なのか、悩むところだ。
とはいえ、兄貴の言い分はもっともで。
特に最近は、色んな場所に連れ回していたし、頑張ってくれたエリクに休みを与えるのは賛成だ。
街歩き用に、町娘が着るような質素な服に着替え。
髪色は、以前の街歩きに使った魔法道具を利用する。
なお、兄貴はそのままである。
認知障害の魔法を使うから良いらしい。
……私の努力って。
「じゃあ、あとはよろしくね、ダイアン」
「はい。いってらっしゃいませ。お嬢様」
ダイアンに「行ってきます」と言って。
私達は屋敷を出た。
* * *
「――さて。君はどこに行きたい?」
「そうですね……お兄様ならどこへ連れて行っていただけますか?」
質問に質問を返してみる。
ちょっとしたいたずら心だったが、兄貴は少しだけ考える素振りをしてから、淡々と告げた。
「劇場と公園、それとレストランかな」
定番といえば定番だが、なんというか無難過ぎてつまらない。
兄貴とデートを楽しみたいとか言うつもりはないけれど。
なんというか「普通はこうだろう」という意見であって兄貴らしさがないというか。
(いや、でもこの人らしいっちゃらしいのかな。逆に)
苦笑して、彼の手を取る。
「そういうのは私、あまり好きじゃないので、まずは食べ歩きをしましょう」
「昼食は食べたのでは?」
「二人で分け合えば、もう少し食べれますよ」
「そうか。君がそうしたいならそうしよう」
どこまでも受動的な兄貴の言葉を気にすることなく、街歩きを楽しむ。
以前食べた串焼き屋。
食べたいなと思いつつ、通り過ぎた甘味処。
冷やした果物の露天。
あまり量は食べれないけれど、ちょこちょこ食べては兄貴に渡す。
そうやって色んな味を楽しむのが、食べ歩きの醍醐味だろう。
最近食欲がなかったから、余計にそう感じる。
強いていうなら、兄貴がほぼノーリアクションというのがつまらないけれど。
「お兄様、楽しんでます?」
「君が楽しめればいいだろう?」
そりゃそうだろうけれど。
……やはり、この人には情操教育が必要な気がする。
「お兄様、次はあちらのお店に行きましょう」
提案すれば、特に却下されることもなく目的地へと辿り着く。
お目当ての店は本屋だ。
最近は、読んでる暇もチェックする暇もなかったので、見ているだけで心が弾む。
るんるん気分で本を選んでいると、ぴとりと後ろについてくる兄貴。
「……あの?」
「なにか問題でもあるのか?」
「問題というか、気になるんですが」
とりあえず外で待っていて、とお願いすれば、すぐに兄貴は店の外に出て行った。
素直というよりは、本気で興味がないのだろう。
(兄貴ってそもそも実用書以外、読みそうにないものねぇ)
仮に読んだとしても周囲の評判を聞いて試しに、といった程度なのではなかろうか。
(――よし)
いくつかの本を選び、お会計を済ませてから外へ。
兄貴は壁を背に、ぼーっとしているようだ。
それとも、何か観察でもしてるのかな?
「――終わったか」
「はい。お待たせしました」
笑って包袋から一冊本を取り出し、兄貴へと差し出す。
「これは?」
「お礼を兼ねて、お兄様へのおせっかいです」
「おせっかい……?」
渡したのは恋愛小説。
これで少しくらい情緒を学んだほうが良いと思うよ。
「ふむ……。後で読もう」
「えぇ、ぜひそうしてくださいな」
社交辞令のような返事に苦笑して、再び街を歩き回る。
港や冒険者ギルドも遠巻きに見たり。
劇場や闘技場も外観だけは見に行ってみた。
色々巡っていたら、空は茜色に染まっている。
赤と青のグラデーションに、雲が染まっている光景はとても綺麗。
公園のベンチでぼんやりと空を見上げていると、兄貴が私を見ているのに気づく。
「空がどうかしたか?」
「雲の色合いがとても綺麗だなって」
振り返りもせずに言えば、「ふむ」と兄貴の呟きが聞こえてくる。
多分、兄貴も空を見上げているのだろう。
ぼんやりと見ていれば、すぐに茜色は紺色になっていく。
すぐ夜の時間になる。
楽しかったこの時間もそろそろ終わり。
「――夕飯はどうする?」
「そうですね……東の国の料理屋さんって、知っていますか?」
「あぁ。大通りにあるな」
「ならば、そこで食べたいです」
久しぶりに和食が食べたい。
屋敷での食事に文句はないが、自分で作るなんちゃって和食にも限度がある。
醤油と味噌の流通をもっと増やして欲しい。
「わかった」
「ありがとう存じます」
内心小躍りする気分で、兄貴にお礼を言う。
これで久しぶりに本格的な和食が食べられる。
流石兄貴。格好いい!
今日一番テンションが上がったかも。
「では早速行きましょう!」
目を輝かせ、大通りへ向かうべく歩き出した時。
公園の階段に躓いた。
――転ぶ。
慌てて手を付こうとしたけれど、お腹に回された腕に抱きとめられた。
もちろん、腕の主は兄貴だ。
「……軽くなっているな」
兄貴。「気をつけろ」と言うならともかく、第一声がそれですか?
妹とはいえ、女の子にいうセリフじゃないですよ。
「ダイエットが成功したんです」
「必要だったのか?」
「気持ちの問題ですよ。
――ともあれ、ありがとう存じます」
「店は逃げないから、もっとゆっくり歩きなさい」
「気が逸ってしまいまして」
苦笑して、再び目的地へと兄貴と共に歩き出す。
今日は本当に楽しかった。
――楽しいと思えた。
きっと今夜はよく眠れるだろう。
エスコートしてくれる兄貴の腕に、少しだけ寄りかかり。
心の中で、もう一度「ありがとう」と呟いた。
わくわく街歩き。
ミーナさんは楽しそう。
兄貴もまんざらではない……?
* * *
お読み頂きありがとうございました。




