07/訓練
(……なんで今の今まで忘れてたのよ、私……)
エリク・フォン・フォレスト。
ファンブックを熟読レベルで読んでいたのだし、レナやダイアンの家名で気づくべきだった。
ヴィルヘルミーナはある時、とある事件に巻き込まれてしまう。
囚われの身となった彼女を助けたのが、護衛騎士であるエリクだった。
助けに来てくれた彼に、ヴィルヘルミーナはときめきを覚えて恋に落ち。
すがり泣きじゃくる彼女に、エリクは愛を囁いた。
そして二人は結ばれ――悲劇が起きる。
ヴィルヘルミーナの『魅了』の能力は、ただ自分に興味を向けるような他愛ないものではなかった。
『魅了』能力の本質は『洗脳』
彼女が願えば、軽く命を投げ出し、望みを叶えようとする廃人を生み出す能力だったから。
結ばれた後、廃人と化した彼を見て彼女は嘆いた。
その結果兄貴に傾倒していくわけだが――
(兄貴はどうでも良いのよ! 問題なのはエリクっ!
彼を気に入ったエピソードの一つだけど……あぁもぅっ。どうしたら……)
ここ数日何度も繰り返し悶たものの、せっかくの剣術訓練を受ける機会を逃す訳にはいかない。
私は専属の護衛になってくれた彼へ、早速小説の参考に、剣術の訓練を受けてみたいとお願いした。
最初は渋っていたものの、健康に良いだとか、いざという時に逃げる為の基礎がいる等と建前を並べて、なんとか納得してもらう。
そして訓練当日。
私はエリクの用意してくれた服装に着替え、裏庭にいる。
「……やっぱり着替えませんか? ミーナ様」
不満そうに唇を尖らせて言うレナ。
(私はこの格好落ち着くんだよなぁ)
エリクが用意してくれたのは、平民向けの厚手の長袖と、ズボンといった服だ。
多少継ぎ接ぎがあるのも、レナ的には不満なのだろう。
確かに侯爵令嬢が身に纏うのに、相応しいとは思えない。
しかし、ドレスで運動するわけにはいかないし、この格好はジャージみたいな気楽さがある。
それに何より色気を感じさせないこういう格好ならば、『魅了』の力も抑えられるかもしれない。
そして仮に『魅了』の能力が発現していなくても、転んだりした時に怪我がしにくいという利点もある。
……強いていうなら、多少暑いという事くらいだろうか。
この世界の暦と季節の感覚はほとんど日本と同じ。
手抜きと言えば手抜きだが、馴染みやすい方が助かるので問題ない。ちなみに今は六月だったりする。
梅雨はなくとも、じわじわと暑くなる季節なので、この服装の不満点はそれくらいだ。
「レナ。よく考えて。
この格好なら転んだりしても肌まで傷つかないし、ドレスで運動をするわけにはいかないでしょう?
そういう点において、エリクの選んだ服は満点だと思うの。……しいていうなら暑いのが難点ね」
「……むぅぅ。お兄ちゃんめ……せめて、もうちょっと可愛い服を持ってくればいいのに……」
「そう怒らないであげて。
私がお願いしたんだもの。
レナは疲れた時に飲む、冷たい飲み物でも用意してくれると助かるわ」
「……それはもちろん準備してますけれど……。
はぁ……諦めます」
少し不満そうにレナは頷いた。
* * *
「では、お嬢様。まずは柔軟体操から始めましょう。
いきなり激しい運動をしては、身体を壊す元になります」
「えぇ、分かってるわ。
――よろしくお願いします。先生」
先生呼びに苦笑しながら、エリク指導の訓練は始まった。
まずは宣言通り、柔軟体操から。
その後は身体を動かすために、軽くランニング。
走っていると、裏庭の隅っこでレナが休憩用のタオルや飲み物、軽食を用意してくれてるのが見えた。
(……そういえば、お嬢様やってると太りそうだし、走るのは一人でも継続したほうがいいかも……)
勉強が忙しいとはいえ、それでカロリーを消費出来ているかと言うと多分してない。
ドレスで優雅に動くのは神経を使うけれど、それだけじゃダメだろう。
そんな事を考えながらただ走るだけでも、意外と気分がすっきりしてくる。
どうやら侯爵令嬢としての生活は、割とストレスになっていたらしい。
「――お疲れ様です、お嬢様。
一度休憩なされますか?」
指定された周回数のランニングを終えると、レナから受け取ったタオルを差し出しながらエリクが言う。
少しだけ悩んだが、素直にその申し出を受け入れることにした。
何はともあれ、まずは身体を慣らすことが先決だ。
しかし休憩を挟んでも、稽古と呼べるような訓練は始まらない。
このままではただ運動をしただけである。
私が覚えたいのは、武器を持って戦える技術だというのに。
(……でもまぁ、仕方ないのかな。
彼から見たら私は守るべき主人で、まだ十歳の女の子だものね……。
これが男だったなら、ちゃんと教えてもらえたのかもしれないのかな……)
一応木剣を持っての素振りも訓練メニューに入っているが、身体を動かす事がメインの、ボクシングダイエットと変わらない。
不満に思っていると、エリクが見つめている事に気づく。
(まさか『魅了』……!?)
そんな予兆があっただろうか?
自分の行動を必死に思い出して警戒するものの、エリクは至極真面目な顔で言った。
「お嬢様。少々姿勢がおかしいので、お体に触れさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「え、えぇ。お願いするわ」
思わず身構えたが、どうやら違ったらしい。
許可を出すと、もう一度断りを入れてから私に触れつつ「ここはこうした方がいいですよ」等とアドバイスをくれる。
その様子に特におかしい所はなく、純粋に指導をしてくれてるように見えた。
(……そういえば『魅了』ってある程度私に好感を持ってないと効果出ないんだっけ。
つまりは親密度が足らないのかな?)
レナの兄に好感を持たれてないと考えると寂しいが、久しぶりにあった人間相手に好感度が高いというのもおかしな話だ。
そもそも『魅了』の能力なんて無いという可能性さえある。
(なんだか、気が楽になったなー)
悩みが一つ解決したせいか、稽古を付けてもらえなくても気にならなくなった。
それによく考えてみると、ヴィルヘルミーナになってから久しぶりの真っ当な運動だ。
運動するのは結構楽しい。それにこの身体はかなり運動神経が良いみたいだし。
動きやすい身体というのは、それだけで運動を楽しくさせてくれる。
休憩時にはレナが用意してくれた水と軽食をつまんで。
その後から、また運動。
なんて健康的なんだろう。
思ったよりも楽しく過ごしていたせいだろうか。
それに気づいたのは夕方近くだった。
(……なんか、エリクが少しぼんやりしながら私を見てる……?)
その上、なんと言えば良いのだろうか。
兄貴の目がブリザードだとしたら、今のエリクの目はどこか熱っぽい印象を受ける。
その視線に気付いたのは私だけじゃないようで、レナが近づいて来て私とエリクの間に立つ。
「……お兄ちゃん? なんか目つきがやらしいんだけれど?」
頬を膨らませて、腰に手を当てまるでお説教をするように咎めるレナ。
……私も少し感じてたが、それを口にするのはちょっと。
大体、今の私は十歳でまだまだつるぺた。対してエリクは十五歳のお年頃。
同じ見惚れるにも、もう少し凹凸のある方を好むと思う。
……いやまぁ、人の好みはそれぞれだろうが。
――何はともあれエリクの名誉を守らないとね。
「レナ、それは言いすぎよ。
きっと私が怪我しないか気を張ってて、疲れたのよ。
エリク大丈夫? 今日はもう終わらせたほうが良いかしら?」
私が声をかけると、はっと目が覚めた様に瞬きを数度してからエリクは謝罪する。
「申し訳ありませんお嬢様。少しぼうっとしていたようです。
……そろそろ夕方になりますし、日が落ちる前に今日はここで終わりにしましょうか」
「えぇ。そうしましょう。
今日はありがとうエリク。レナも付き合ってくれてありがとう」
付き合ってくれた二人にお礼を言いながら、渡されたタオルで汗を拭う。
すぐに正気に戻ってくれたみたいだけれど、さっきのエリクの様子は確かにおかしかった。
『魅了』は好感度が低いと効果がないと思っていたが、そうではないのだろうか。
(……だとしたら、ごめんね。エリク)
ずっと紳士的に丁寧に指導をしてくれたエリク。
だと言うのに、『魅了』のせいで妹に「やらしい」等と言われてしまうとは……。
本当にごめん……。
……『魅了』についてよく考えてみないといけないな。
やっぱり早めの対策が必要だ。
エリク は レナ からの 信頼 を 10 失った。
どんまい。
* * *
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