閑話/レナ・社交界デビュー
胸に手を当てて、そっと呼吸を整える。
遠くから陛下の祝辞が聞こえる中、この後の事を考えると胸が騒いで仕方がない。
今日は十五歳になる、新成人である私達の社交界デビューの日。
この日のために、いろいろな準備をした。
(……大丈夫よ、レナ)
殿下から頂いた髪飾りと、シルヴィア様とミーナ様から頂いたドレスを身に纏って。
前にお兄ちゃんに買ってもらったイヤリングとネックレスで、淑女の完全武装。
お化粧だってお母さんに施してもらった。
鏡で確認したけれど、私の今の姿は男爵令嬢にしては、中々上出来。。
これなら、きっと素敵な人が見つけられるはず。
(それにしても、殿下からアクセサリーを頂けるとは思わなかったな……)
ミーナ様を溺愛しているあの方は、私にも優しく、お兄ちゃんとも仲が良い。
あの方がミーナ様の婚約者になってくれて、私は本当に嬉しく思う。
同様に、若様とシルヴィア様との婚約も羨ましいほどお似合いだ。
若様は少し人を遠ざける方だったから、シルヴィア様のように踏み込んでくる方とは相性が良いのだろう。
(お二人のように、素敵な人を見つけなくっちゃ)
気合は十分。
今の私なら一人や二人くらい、きっと声をかけてもらえるはず……!
ふと、隣にいるお兄ちゃんを見上げる。
(……お兄ちゃんはどうするんだろう?)
お兄ちゃんは今年でもう二十歳になる。
男性の結婚適齢期を考えると、そろそろ相手を見つけないといけない。
(でも……多分無理よね)
お兄ちゃんはミーナ様を愛しているから。
言葉には絶対しないし、お兄ちゃんは否定するけれど、態度を見てたら誰だって気づく。
お母さんも心配してるみたいで、お見合い話をお父さんから回してもらってるみたいだけれど、今のところ成果は無いらしい。
私も心配になって、恋人を作らないのかとちょっと茶化しながら聞いたけれど、お兄ちゃんは苦笑するだけ。
決まって言うのは「お嬢様が嫁ぐまでは、俺は専属護衛騎士で居たいんだ」って言葉。
我が兄ながら、真面目で不器用で―― 一途すぎる。
(そりゃ……お兄ちゃんとミーナ様が結婚したら……私も嬉しいけれど……)
でも、私は無責任にお兄ちゃんを応援なんてしない。
叶わぬ恋を諦めようとしてる人に、応援なんて残酷なことは出来ない。
そもそも、現実的でないことを私達はちゃんと理解しているから。
まず、身分が違う。
その上、お兄ちゃんの恋敵は身分も高ければ、財力も、権力もあるアンディ殿下。
お兄ちゃんが勝てるのなんて、剣の腕くらいだ。
恋心をずっと秘めたままにする覚悟をしているお兄ちゃんにも、いつかいい人が現れたら良いのに。
……仮に現れるとしても、きっとそれはミーナ様がお嫁に行ってからになるだろうけれど。
夜会の準備の一環で、ダンスの練習をお兄ちゃんとミーナ様に付き合ってもらった時がある。
その時に、ステップの見本を見せる為ミーナ様とお兄ちゃんは一緒に踊った。
お兄ちゃんは無表情なまま真面目に踊っていたけれど、ステップがぎこちないし、ミーナ様の身体に触れる度にほんの一瞬止まっていたのだ。
私の見間違いじゃなければ、耳も赤くなっていたし。
(表面上は取り繕ってたみたいだけれど私にはバレバレだよ、お兄ちゃん……)
幸いミーナ様は、お兄ちゃんの反応を女の人に慣れていないからと判断したみたいだけれど。
(あれは、ミーナ様と踊ってたからなのに……)
気付かれてはいけないとはいえ、あそこまで鈍いとお兄ちゃんがちょっと可哀想。
「――ナ、レナ」
「あれ、お兄ちゃん?」
気がつけば祝辞は終わり、皆思い思いに行動している。
「……お前、陛下の祝辞聞いてなかったのか……?」
「き、聞いてたよ」
ちょっと流しちゃってたけれど。
「はぁ……本当に一人で大丈夫か?」
「嫌だよ、お兄ちゃん同伴とか。私も一応これで成人したんだから。過保護すぎ」
「そうは言うが……お前ちゃんと分かってるか?」
「私の付加価値のことでしょ?」
男爵令嬢としての私の価値なんて、ほとんどない。
我が家は侯爵家に仕えてはいるけれど、同じように仕えている貴族なんてたくさんいる。
でも、侍女としての私は違う。
ミーナ様の乳姉妹として、そして専属侍女としての価値がある。
その上、主であるミーナ様は、アンディ殿下との婚約を結んでいるのだ。
私を縁に、取り入ろうとする家は確かにあるだろう。
でも、そうでなければ、きっと男爵令嬢の私に声を掛ける男性はほぼいない。
それに付加価値目的だったとしても、私を大事にしてくれる人がいるかもしれないし。
だから、私は少しだけ来るだろうその人達の中から、良いご縁がないか探さないと。
「いや、それもそうだが、そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて……なんなの?」
言い淀むお兄ちゃんを見るけれど、目をそらして誤魔化される。
こういう態度を取るってことは、多分言いにくいことなんだろうけれど。
「大丈夫だよ。――ほら、曲も始まっちゃったし」
ダンスエリアの方を見れば、ミーナ様がアンディ様と手を繋いで行くのが見える。
その時のお兄ちゃんの横顔ったら……。
諦めてしまえばいいのに。でないと自分が傷つくだけだから。
「じゃ、お兄ちゃん。私行っちゃうからね。
それに、お兄ちゃんお母さんに恋人を見つけてこいって言われてるんでしょ?
私を口実に逃げようなんて魂胆、お見通しなんだから」
「い、いや、それが全く無いとは言わないが……」
「どうしても気になる人がいるなら、そっちに行ってよ。
――あと、お兄ちゃんはうちの侍女仲間の中で、割と高評価らしいから狙われてると思うよ?」
「……分かった。忠告感謝する」
お兄ちゃんは諦めたように言って、そっと移動を始めた。
見送っているとすぐに見失ってしまう。あの様子なら、逃げ切るのは簡単そうだ。
(――どうせ行くのはミーナ様の近くだろうけれど)
苦笑しながら、私も自分の戦いを始めるぞ、と気合を入れた。
* * *
――と思っていた時が私にもありました。
(あぅあぅ……ど、どうしよう……?)
私は気づいたら結構な人数の男性に囲まれている。
(なんなのこれ、私の付加価値そんなに凄かったの?)
何人もの人に声を掛けられては、私はどうにか笑顔を貼り付けて受け答えを繰り返す。
周囲から、私と同じく今日新成人になったらしい令嬢の皆さんが、もの凄い視線で見ている気がする。
(ど、どういう事なの!?)
頭の中がこんがらがって、状況を上手く把握出来ない。
だって、ああいう視線をミーナ様が浴びる事になるのは分かる。
でも自分がこんな状況になるなんて考えてもなかった。
(お、お兄ちゃんどこ……)
どこかにいるはずの、お兄ちゃんを捜す。
こんな事になると分かってたら、大人しくお兄ちゃんの申し出を受けたのに。
「――さぁ、一緒に踊ろうよ」
知らない男の人が、私に微笑んで手を伸ばしてきた。
エスコートというよりも、私の手を掴もうとしている気がする。
――怖い。
ただダンスを踊ろうとしてるだけだ。
何も怖い事なんて無いはずなのに。
――分かっていても、何故か私は怖かった。
(誰か助けて……っ!!)
伸びてきた手が私の手を取るよりも先に、誰かが間に入ってくる。
「よっ」
気楽な口調で笑顔を向けてくれたのは――ディルク様。
「あ、悪い。邪魔してたか?」
首を傾げながら、私に手を伸ばしてた人に問いかけると、彼は苦笑いを浮かべて「問題ありません」と答えて去っていく。
周囲で何人か人が減った気がする。
……多分、ディルク様が来てくれたからだ。
「えっと、その……ディルク様。お久しぶりです」
「おぅ。それで、ダンスの誘いに来たんだけれど、どうだ?」
それはもう、とても気楽に。
ロマンチックさなんて、全く無い友達への誘いみたいに。
――それがとてもこの方らしい。
「はい。喜んで」
私が答えると、ディルク様は柔らかな笑みを浮かべて私をエスコートしてくれる。
普段の貴族らしからぬ態度と違って、この人のダンスはとても優しい。
腰に手を添えられ、ゆっくりとこちらを気遣ってリードしてくれる。
(……嘘みたい……)
アンディ様のご友人であるディルク様は、現騎士団長の子で伯爵令息。
私みたいな男爵令嬢が、この方とダンスを踊るなんて夢のまた夢。
他のご友人の中では華やかさがあまりないせいか、女性人気は比較的抑えめだけれど、十分格好いいし人気者だ。
(……ミーナ様とお兄ちゃんのお陰よね、これ)
何故かディルク様は、お兄ちゃんを尊敬しているし、ミーナ様ともご友人だ。
きっと、困ってる私の為に声を掛けてくれたんだろう。
踊りながら、壁際を見ればミーナ様とお兄ちゃんがこちらを見ているのが見える。
(――あぁ。やっぱり……)
胸が少し痛い。
私の価値なんてそんなものだ。
だって、私はこの方にとってたいした存在じゃない。
(……こうしてダンスを踊れるだけで十分幸せだもの)
好きだった訳じゃない。
憧れていた訳じゃない。
だというのに、なぜだか妙に胸が苦しくて痛いのは何故?
「どうした? 気分でも悪くなったか?」
ふいに頭の上から声が聞こえる。
見上げれば、とても近くにディルク様の顔があって――私を心配そうに覗き込んでいた。
「いえ、その……さっきのことを思い出してたんです。
あんなに人に囲まれるなんて初めてで……私なんて美人でもないのに……」
「そうかぁ? お前は十分可愛いと思うけれどな。ドレスも似合ってるぜ」
にかっと笑ってさらりと言う。
顔が赤くなっているのが分かる。
(この人はいきなり何を言っているの!?)
ディルク様の身体が近い。
私の腰に添えられた手が熱く感じる。
繋いだ手が妙に恥ずかしい。
ダンスなんだから普通のことなのに。
うつむくと、この人の胸に顔を埋めるような感じになる。
恥ずかしいけれど――顔を見る方が今は恥ずかしい。
「なんか顔赤くなってたけれど大丈夫か? 休憩所行くか?」
「だ、大丈夫です!」
気を使って頂いてるのは分かるけれど、ディルク様と一緒に休憩室になんて行ったら、色々問題になる気がする。
例え何もなかったとしても、周囲の目があるし。
何よりこんな風に優しくされたら、恥ずかしくて逃げてしまいそう。
頭を切り替えるためにも、私は現実を思い知ろうとディルク様に問いかける。
「お兄ちゃん達に踊ってくれって頼まれたんですよね?」
自分に言い聞かすように呟く。
「まぁそうだな」
(――ほらやっぱり。
そうでないと、ディルク様が私と踊るわけ――)
「後で踊ろうかなとは思ってたけれどな」
「へ?」
思わず顔をあげる。
「囲まれてたから、後の方が良いかなって考えてたんだよ。
でも、ミーナやエリクさんが、最初のダンスパートナーをやってくれっていうからさ」
「そ、そうなのですか……」
顔が近い。
私はミーナ様よりも小柄で、ディルク様はご友人の中では一番背が高い。
だから、遠いはずなのに。
(……口付けする距離みたい)
身体も近い。
この鼓動の音が聞こえないと良いのだけれど。
「で、でもミーナ様と踊らないんですか?」
「ミーナ? いや、別に。
レナとは踊ろうと思ってたけれど、あいつとは踊る気なかったな。
アンディの婚約者だし……まぁ、なんとなくアイツとは踊っちゃいけない気がしたし」
……お兄ちゃんの事に気づいてるのかな。
ちょっと不安だったけれど、そんな私の不安を晴らすように、ディルク様は微笑んだ。
それはもう、至近距離での不意打ち。
「ま、そんな事は忘れて今はダンスを楽しもうぜ」
この人はちょっとずるい。
助けてもらって、踊りたかったと言ってくれて、こんな風に微笑まれて。
(――恋に落ちない訳ないじゃない)
私は少しだけ苦笑してから、今の自分にできる最高の笑顔を浮かべた。
「はい! 楽しみましょう」
私が元気よく答えると、ディルク様も楽しそうに笑う。
――お兄ちゃんの事をとやかく言えないな。
レナ は うっとりしている!
多分この物語で、一番乙女チックな女の子。
* * *
お読み頂きありがとうございました。




