閑話/エリク・たった一つの願い
後悔していた。
若様に言われた事にショックを受けて行動出来なかった事を。
仮にすぐに立ち直ってたとしても、多分結果は変わらなかっただろうが。
――それでも何もしないまま、主であるお嬢様を連れ去られてしまった事を悔いていた。
そして今。
新たに後悔していた。
昼間お嬢様のために行動出来なかった事を悔いて、彼女を見守るための寝ずの番をすると意見した事を。
(母さんの言う通り、大人しく譲っておけば良かった……)
どうせ居ても時折うなされて、苦しそうにする彼女の涙をハンカチで拭う事くらいしか出来ないのだ。
だが――それでも何かが出来るという事は救いではあった。
ただし、それは彼女の為と言うよりも、自分のための行為でしかないと思い知る。
そう気付いたのはつい先程の事。
何故なら今こそ彼女の為に出来る事をしているのに、この場から逃げたくて仕方がないのだから。
* * *
うなされて突然起きたお嬢様は、酷く取り乱していた。
それは二年前に再会してから、初めて見る姿だったと思う。
――再会した時の事は今でもよく覚えている。
まだ十歳の子供だというのに、想像していたよりも美しく成長していたのには凄く驚いたものだ。
そして、俺が知っていた泣き虫で、寂しがりの彼女はもう居なかった。
代わりに居たのは、強い意志と頑張り屋で、どこか大人びた少女。
正直妹が幼すぎるのか、それとも彼女が大人過ぎるのか良く分からない。
ただ、お嬢様が普通の少女ではない事だけは確かだ。
少なくともただの貴族令嬢が、ひたすら魔法の練習をしたり、剣術の練習をするのはありえない。
剣術の方は、自分でも適正がないのに気づいてるらしく、一応体力づくりの面が強いが、魔法の修行は若様が手伝っているのもあって、異常と呼べる域だ。
倒れるまで魔法を撃ち続け、魔力と体力を補給して更に続ける訓練なんて、普通やらない。
仮にやるとしても、宮廷魔法師や騎士がやる事だ。
第一あれはかなりの負荷が掛かる。
俺もかつて回復アイテムを使って、魔法の訓練と称して同じ行為をした事があった。
もう二度とやらない、と誓う程度には辛かった。――懐具合の問題もあったが。
そんな訓練をしてもお嬢様は決して泣き言なんて言わない。
苦しそうにも、辛そうにもするが――確固たる意志を持って、若様の過剰な訓練に食らいついていく。
もう数年も続ければ、攻撃魔法の技術は自分も抜かれるだろう。
一体何が彼女をそうさせるのか。
――専属護衛の俺が、頼りないからか?
そう考えて、訓練を増やしたりもしたのだが……。
ふいに先程の場面が脳裏によぎる。
(――くそっ。またダメだった……!)
昔を思い出したりして、意識を逸らしても無駄だった。
先程取り乱した彼女の姿。
あの光景が脳裏に焼き付いて消えてくれない。
普段は絶対に取り乱さない彼女が、上目遣いで俺に頼る姿に――不覚にも心揺さぶられてしまった。
相手は護衛対象で、五歳も年下で――まだ未成年だと言うのに。
確かにもともと見目麗しい方なので、後数年もすれば誰もが振り返る美女になるだろう。
まだ未成年の今でも、涙を流しながらすがりつくような目で「お願いだから傍にいて」なんて言うのは反則だ。
暗闇で目が慣らされてしまってたから、はっきりと見えてしまった。
今、お嬢様は俺の手を掴んだまま、安心したように眠りについている。
片腕が拘束されることで、彼女の心が安定するというなら、普段の俺なら喜んでそのままにさせた。
しかし――今は。
(……逃げたい……)
生まれて初めてそう願う。
このままだと、何かが手遅れになるような――拙い気がする。
今は流石に落ち着いているが、頭にちらつく彼女の先程の姿が脳裏から離れない。
そしてそれが浮かんでしまうと、どうしても動揺してしまう。
素振りでもして、無心になりたい。
――不意に思い出す。
騎士養成学校で護衛騎士としての心構えを教官に教えてもらっていた頃の事を。
『エリク、お前侯爵令嬢の専属護衛騎士になるんだってな?
いいか? 間違っても惚れるんじゃねぇぞ。辛くなるだけだ。
まぁ、惚れたら惚れたで、絶対に守るぞっていう気持ちにはなれるだろうから、成就させる気がないならある意味仕事には有利かもしれんが……。
――どう考えても不幸になるから、ともかく惚れないように気をつけろよ』
その時、俺は笑いながら言った。
『教官……。相手は五歳も年下ですよ?
第一未成年です。自分にそういう趣味はないです』
そしたら、彼は呆れながら言ったのだ。
『お前は馬鹿か? 今未成年でも、すぐ大人になるだろうが。
大体、子供の五年なんてあっという間だぞ?』
今になってその意味がよく分かる。
本当にあっという間だ。すでに年頃の女性とほとんど変わらない。
――成人までだって後たった三年。
(相手は未成年……五歳も年下の未成年……)
左腕を掴みながら寝入る彼女を見ないように、窓の方へと視線を向けながら、言い聞かすように心の中で繰り返す。
恥ずかしい話だが、もともと女性に免疫がない方だと自覚している。
剣の修行をねだる彼女に、押し切られたのがいい例だ。
一度変に意識してしまうと、今の状況も何か悪い事をしているような気がしてならない。
――いや、咎められるような事は何もしてないはずなのだが。
* * *
どれくらい時間が経った頃だろうか。
現実逃避すべく、ただぼんやり月を見ていると、左腕を掴む彼女の手が微かに震えた。
「――エリク!?」
すぐに驚きの声を上げ、彼女が目を覚ます。
――ようやくこの状況から脱せる。
「お早うございます。お嬢様」
ほっとしながら、俺は彼女に微笑む。
それから、お嬢様にこちら側の経緯を説明して、逆に彼女が若様に連れ去られた後どうしたのかを聞く。
話を聞いて――何故自分はあの時、無理やりにでもついて行かなかったのかと激しく後悔した。
若様は移動の魔法を使い、お嬢様をゴブリンの群れに放り出し、討伐させたというのだから。
(――若様は何を考えているんだっ……!?)
お嬢様にゴブリンの群れを倒させるなど、正気の沙汰ではない。
例えあの方が完璧な防御魔法を扱えて、お嬢様が怪我をしないよう配慮していたとしてもだ。
確かにお嬢様は、何故か戦う力を自分で持つことを求めている。
いつかは鍛錬の一環として、実戦をこなす必要はあるだろう。
だが、それにしたってまだ十二歳という若さで――しかも群れを相手にやる事ではない。
お嬢様があんなに取り乱す程の恐怖を感じたのだ。
一歩間違えば、彼女は死んでいたかもしれない。
お嬢様が死んでいたかもしれないと考えると、恐怖で胸が締め付けられる。
握った拳が震え、やり場のない怒りが破壊衝動として自分の中を占めていく。
このままだと、調度品を壊してしまいかねない。
落ち着かねばと必死に自分を抑えていると、そっと俺の手に小さなお嬢様の手が重ねられた。
「――ありがとう、エリク。話を聞いてくれて。
少し落ち着いたわ。……それと、お兄様のせいだから、エリクは気にしなくていいからね」
そう言って、彼女は微笑んだ。
七年前のあの日、強く想った気持ちが蘇る。
(俺は――この笑顔を守りたい)
これは愛情ではあるだろうが恋情ではない。
別に男女としての仲など望まない。
――彼女が笑って暮らせるように、彼女に降りかかる不幸を払いたい。
ただ強くそう願った。
兄貴に誘拐された時の、エリク視点。
子供の数年は本当にあっという間に過ぎますよね。
* * *
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