閑話/エリク・始まり
窓から屋敷が見える。
ただ、視点がかなり低い。
何故だろうかと考え――
(あぁ……夢か)
子供の頃、俺は良く窓からあの屋敷を見ていた。
俺――エリク・フォン・フォレストは男爵家の次男坊だ。
そしてこの頃の俺は……多分五歳くらいの時だろう。
あの頃は、いつも侯爵家の屋敷を見ていたから。
俺には五歳年上の兄と、五歳年下の妹がいる。
兄は父さんが代官している街に居て。
生まれたばかりの妹は母さんと一緒に侯爵家の屋敷に居て。
ほとんど顔も合わさず会うこともない。
今にして思えば、父さんの仕事を近くで見て学ぶための兄も、乳母としてお嬢様を育てるために母さんとずっと一緒だった妹も理解は出来る。
だが、子供の頃の俺に理解など出来るわけがなく。
祖父母は優しくしてくれたし、気にかけてくれていたが――両親に見捨てられたような、”要らないもの”のように思えて嫌だった。
年月が過ぎ、妹が二歳になる頃だったか。
妹は屋敷から家に戻り、俺や祖父母が面倒を見るようになった。
時折帰ってくる母さんは、妹にばかり構ってつまらない。
――けれど、それもほんの少しの間だけだ。
段々と自我が芽生えてきた妹は、時折しか帰ってこない母さんを恋しがり、寂しがるようになったから。
多分あの頃だろう。自分が兄だと自覚したのは。
(それとも寂しいのは自分だけじゃないんだっていう、一種の共感だったかな……)
内心苦笑していると、月日が流れていく。
(これはいつ頃だ……?)
周囲の風景を見て――自分が母さんに手を引かれているのに気づく。
(あぁ……これって)
――初めて母さんに連れられ、侯爵家の屋敷に出仕する時の記憶だった。
* * *
出仕と言っても、母さんの仕事に付いていくだけで、十歳の俺が何かするわけじゃない。
ただ、そろそろ自分の進路を決める為に、仕事見学として連れてこられただけだ。
文民として学び、侯爵領の運営を支える道。
武人として鍛え、この地で生きる人々を守る道。
従僕として、侯爵家の方々に仕える道。
そして、この地から離れ国自体に仕える道や、一般の民に混じり商う生き方もある。
どの道を選べとは言われてなかった。
自由意志を尊重してくれたのだろうと、今なら分かる。
だが、当時の俺にとっては「どうでも良いから好きにしろ」と言われている気持ちになった。
父さんの跡目には兄がいる。
その予備として、兄をサポートするのは癪だった。
母さんはお嬢様の専属侍女として、ずっと勤めるつもりらしい。
妹は乳姉妹として、同じ様に専属侍女になるように求められている。
自分まで仕える必要はないし、妹が必要とされているのが、少し羨ましくて嫌だった。
後残るは武民――軍人として騎士団にでも入る事くらいだっただろうか。
(……それも、どうなんだろうと決められずに居たんだよな)
なりたいものがない。
出来ることが分からない。
――自分だけ何もない。
苦しみながらも、どうするべきかと模索する日々。
そんな時期に――俺は彼女に会ったのだ。
***
見つけたのは本当に偶然だった。
屋敷の中を邪魔にならない程度に見学していいと母さんに言われ、一人裏庭を歩いていた時のこと。
小さな声が聞こえた。
嗚咽だったと思う。
(レナ……?)
声の幼さに、妹が泣いているかと思って向かえば、そこに居たのは見知らぬ少女だった。
自分より年下――多分、妹と同じくらいの年齢。
銀髪に、仕立ての良い服を着ている彼女が誰なのかは、子供の俺でも分かった。
(この子……侯爵様の娘さんじゃ……)
何故そんな高貴な身分の子供が、こんな裏庭で隠れるように泣いているのか分からない。
早く人に知らせるべきだ。母さんを呼ばないと。
そう焦ったけれど、まずするべき事があると感じて、彼女に近づき頭を撫でる。
不敬かと思ったが、それでも泣いている彼女が妹に重なって見えてしまったのだ。
泣かせたままでいるのは、俺が嫌だったのもある。
「……っ!?」
俺の存在に今まで気づいて居なかったのだろう。
突然撫でられびっくりしながら、彼女は顔を上げてまじまじと俺の顔を観察する。
「……貴方、誰?」
「ダイアンの息子のエリクです」
俺の名前に聞き覚えがあったのか、もう一度じっと見つめてから、彼女は「そう」と言ってそっぽを向いた。
「こんな所にいては、みんなが心配します」
「……しないもん」
連れて行こうと、手を差し出して言ったけれど帰ってきたのはまさかの否定。
(どうしよう……)
困った。
無理やり連れて行くのは多分出来る。
彼女くらいなら抱き上げて歩いていけるだろうし。
でも、無理やりやってしまったら、怒られる。
場合によっては、母さんや妹に迷惑が掛かるかもしれない。
「……んだもん」
「ん?」
「おとうさまはわたしのことなんて、いらないんだもん」
――いらない。
胸がきゅうと締め付けられたような気がした。
それは俺の「何もない」と同じだ。
何もないから要らない。
役に立たないから要らない。
必要じゃないから要らない。
(”要らない”と”何もない”は同じじゃないか)
気づいたら俺は、彼女の横にしゃがみ込み、彼女を抱くように軽く引き寄せて頭を撫でていた。
多分これは共感で、同情だ。
その苦しみがよく分かってるから。
俺にこんな風にされたって、別に嬉しくもないと思うけれど。
* * *
あの日以来、何故か俺はお嬢様に気に入られたらしい。
母さんに連れられて屋敷に来ると、決まって彼女に呼び出されて”遊び”に付き合う羽目になった。
母さんの眼を盗んでちょっとオヤツを盗んだり。
こっそりと部屋から抜け出して、知らない部屋の探検をしたり。
あるいは、絵本を彼女に読んであげたり。
見つかれば怒られるのが分かってたが、彼女があまりにも楽しそうにするから断れなかった。
何より、その度に幸せそうに笑ってくれるのだ。
彼女の笑顔を見る度に、俺は自分が「要らない人間じゃない、必要とされる人間なんだ」と思えたから。
――でも、ずっと笑顔でいることはなかった。
彼女は父親の愛に焦がれては、傷つき、一人で泣いている。
何度慰めようと、何度止めようとしても。
彼女は諦めきれずに会いに行って――泣くのだ。
諦めてしまった俺とは違い、彼女は何度でも向かって――現実に打ちのめされる。
(仕事だから仕方ないなんて……まだ分からないよな)
俺がそうであったように、いつかは彼女も学ぶだろうが。
それまでずっと、彼女が泣くのかと思うと凄く――嫌だ。
だからせめて、彼女が笑顔を取り戻せるようにと俺は色んな事をした。
その中でも定番だったのは、彼女が一番好きな物語を読んであげること。
それは吟遊詩人に題材を言えば、十人十色に内容が変わってしまうような、ありふれた物語。
騎士がさらわれた姫を助けに、冒険をする話だった。
「――私にも来るかな」
ソファーで隣に座ったお嬢様が、羨むような視線で絵本を見つめながら呟く。
「俺が助けます」
反射的に答えてしまった。
でも答えた後で、今の言葉がすとんと自分の中に落ちるのを感じる。
(あぁ……そうだよな)
必要とされたいなら、必要とされる人間に。
何もないなら、手に入れれば良いのだ。
(何より俺は彼女の笑顔を守ってあげたい)
もう迷いはなかった。
俺は、絵本の騎士と同じ様に膝をついてソファーに座った彼女を見上げる。
「――自分が、貴方を守る騎士になります」
***
気がつけば視界にはいるのは、見慣れぬ天井。
視線を動かせば、同じく見慣れぬ家具があって一瞬違和感を感じる。
でも、すぐに自分の部屋にいると気づいて、もう一度目を閉じた。
久しぶりに帰ってきたのと、寝ぼけていたせいで少し頭が勘違いしたらしい。
(……まさかこのタイミングであの頃の夢を見るとか……)
俺が道を選ぶきっかけになった、懐かしいけれど――人には話せない恥ずかしい記憶。
絵本の騎士の真似をするのは別に良い。
でもあのシーンは騎士が姫に愛を語るシーンだ。
よりにもよって、あの場面を真似することはなかった。
恥ずかしさで、顔が火照ってくる。
(……お嬢様があの時の事覚えていたらどうする……?)
茶化されるだろうか。
とはいえ、綺麗さっぱり忘れられてるのも少し寂しいが。
身体を起こし、ため息をつく。
――あれから五年。
俺は彼女の騎士になると宣言してから、家族に騎士養成学校へ進む意志を伝え、無事入学を果たす。
幸い俺には剣術の才能があったらしく、訓練は早い段階で終わった。
すぐに帰っても良かったけれど、どのみち成人するまでは正式な護衛にはなれない。
ならばと、剣術だけではなく魔法師の訓練も受けたり、冒険者ギルドで年齢詐称をして仕事を受けては自分の糧にした。
騎士養成学校の教官に「お前に教えることが無くなっちまったな」と苦笑される程度には強くなれたと思う。
その後は、護衛騎士になるための心構えを学んだり、暇つぶしに冒険者の真似事をしたりしていると、あっという間に成人だ。
――そして先日、俺はようやく家族と彼女が居る街に帰って来た。
ベッドから降りて、窓から屋敷を見る。
(お嬢様はどんな風に成長をしてるんだろうな)
俺は――彼女に必要な人間になれただろうか。
不安と期待を胸に、俺は朝支度を終えて出仕しに向かう。
――今日から自分はお嬢様の専属護衛だ。
兄貴も大概ですが、エリクも十分天才だったりする。
でも比べる相手が悪かった。
* * *
お読み頂きありがとうございました。




