閑話/レナ・大事なお嬢様
『――お嬢様は元気はだろうか。どうかお嬢様を支えてあげて欲しい』
近況報告を兼ねた下の兄――エリクお兄ちゃんからの手紙は、最後にそんな言葉で締めくくられていた。
(お兄ちゃんってば毎回これね)
小さくため息を付きながら、少しだけ笑ってしまう。
我が家はみんな、侯爵家の方々が大好きすぎる。
私、レナ・フォン・フォレストは男爵家の娘だ。
お父さんは侯爵家であるアイゼンシュタイン公の管轄する街の代官を勤め、私とお母さんは侯爵様の娘であるヴィルヘルミーナ――ミーナ様に仕えている。
元々は妊娠中の奥様の体調が芳しくなく、既に数ヶ月前に出産を終えていたお母さんに、乳母の話が来たのが事の始まり。
侯爵様は乳母をしてもらうからと、我が家のためにわざわざ侯爵家の屋敷がある街に、別邸を用意してくれた。
そして私はミーナ様の乳姉妹として、しばらくの間一緒に暮らしていたらしい。
乳離れが済むと、私は別邸でおばあちゃんとおじいちゃん、そして二人いるお兄ちゃんのうちの下の方――エリクお兄ちゃんと暮らし始めた。
奥様が亡き後、お母さんはそのままミーナ様のお世話係として住み込みで働いている。
物心がつく前の私は、たまにしか帰ってこれないお母さんに対してだだをこねて、よく家族を困らせた。
お兄ちゃん達は、仕事だから仕方ないと慰めてくれたけれど、お母さんは違う事を言う。
「お嬢様はお母さんにもう会えないの。
だからお母さんはお嬢様のお母さんになったのよ。
乳姉妹っていってね、お嬢様は貴女の妹と同じ。
――だから、お姉ちゃんとして少しだけ我慢してね」
末っ子だった私にとって、お姉ちゃんと言う響きは特別だった。
それだけでお母さんが居ないことを許せるわけではなかったけれど、少しだけ「妹のためなら仕方ない」と考えたのだ。
……実際には妹などとは、口が裂けても言ってはいけないと、五歳の頃には口を酸っぱくして言われた。
初めてミーナ様を見た時の感動は今でもはっきり覚えてる。
輝く銀髪に、スカイブルーの瞳。
それぞれの顔のパーツからして愛らしかった。
お人形のようなミーナ様をみて、私はこの人と乳姉妹でお姉ちゃんなんだと、嬉しかったのを良く覚えている。
ただ、同時にすごく羨ましかった。
すごく大きいお屋敷に住んで、こんなに可愛くて、私のお母さんを独り占めする女の子。
それを羨むなと言うのは五歳の子供には無理な話だと思う。
だけれど、すぐにそれは違うと知った。
――侯爵家の方々は忙しすぎる。
侯爵様は言わずもがな。
ミーナ様の兄である若様だってすでに成人しており、時折会いには来てくださるものの仕事に忙しい。
そして――ミーナ様も。
私と同じ年に生まれたから私と同じ五歳だったというのに、勉強にお稽古にと忙しすぎた。
お母さんや侍女仲間の話によると、去年くらいから始まってるという。
(その頃の私はお家で自由に暮らしてたのよね)
侍女としての心構えだとか、そういうのはあったけれど本格的な勉強はなかった。
上のお兄ちゃんはお父さんと一緒に違う街にいたから、ほとんど構ってもらった記憶はない。
でも、エリクお兄ちゃんは一緒に住んでいたから、よく遊んでくれたし構ってくれた。
……私が幼かった頃に比べて、若様はミーナ様をほとんど構ってあげれてない。
(立場が違うんだもの……仕方ないのは分かってる)
そう思ったのはいつだろう。
授業の課題で描いた侯爵様の絵を見せに行こうとして、忙しいからと断られてしまい泣いた時だろうか。
それとも私がお母さんと話してるのを、見ないふりしながらも羨ましそうに見ていたのに気づいた時だろうか。
それとも――
お兄ちゃんもそれには気づいていたみたい。
そしてミーナ様の護衛騎士になると決め、家を出て王都へ騎士になるため騎士養成学校へと入った。
私は――私はどうしたいのだろう。
ミーナ様はすごく優秀な方だ。
でもそれは、それだけの努力をしているから。
若様に追いつくため、侯爵様の役に立てるようになるため。
ただそれだけのために、見ていて痛ましいほどの努力をしている。
私から見てもお母さんは、ミーナ様を愛してると思う。
ただ、娘である私と同様に別け隔てなく――とは言えない。
ミーナ様はあくまで”主人”であり、自分の子供ではないから。
私だってそうだ。
彼女の自室では砕けた口調で話しかけることが出来るが、部屋を出てしまえばそれは許されない。
多分お嬢様は、それが寂しいのだろう。
――だからせめて、と。
私は彼女のお姉さんなんだからと、彼女の味方でいたい。
お兄ちゃんが護衛騎士なら、私はミーナ様の侍女として彼女の心を守るんだ。
――そう決意したのもごく最近だけれど。
(……最近ミーナ様は変わられたな)
階段から落ちたあの日。
あの日も侯爵様が家にいるからと、会いに行って忙しいからと面会を断られ。
ミーナ様は「いつものことだから」と気丈なふりをして――階段を踏み外して落ちてしまった。
目覚めた直後は、また倒れたりと大変だった……でも。
事故の後、心身ともに落ち着いた頃だろうか。
お嬢様の目にいつも宿っていた、どこか寂しげな表情が消えたのは。
そして、今まで以上に精力的に勉強やお稽古に精を出し始めた。
特にお勉強に関しては、今までよりもかなり進行が早くなったと先生方は言っていた。
「ミーナ様。最近変わられましたよね。
何かありました?」
思わずそう聞いたことがある。
すると彼女は、私が今まで見たことないような、大人びた笑みを浮かべて言う。
「――長い夢を見たの。
すごく現実味のある夢で、私はそこで私じゃない私だった。
――だから、かな。その影響かも?」
最後は少しだけお茶目に言う彼女に、思わず「可愛い!!」と心の中で叫んだものだ。
以前のお嬢様は私やお母さんにも、少しだけ距離をとっていた。
お勉強やお稽古も、どこか追い詰められた表情だった。
よく侯爵様とお話をしようとして、断られて悲しんでいた。
しかし、今のお嬢様は違う。
私やお母さんとの距離が少し近くなった。
お勉強やお稽古も、一生懸命なのは変わらずに張り詰めていた空気だけが消えた。
(……侯爵様に会いに行こうとしなくなったのは、良い変化かどうか分からないけれど……)
ただ、いつも悲しんでいたのを考えたら、それも良かった事にくくってもいいのだろうか。
(それにしても、最近のミーナ様は本当に可愛くなったのよね……)
もともと”いい子”過ぎたお嬢様。
それは”迷惑をかけたくない”、”嫌われたくない”という裏返し。
だから、心を殺して仮面を被っていたように感じる。
けれど――変わられたミーナ様は明るくなった。
張り詰めていたモノが消え、のびのびと楽しそうに、生き生きとした表情はその容姿の美しさを引き立たせる。
今は”愛らしい”という方向性であるものの、今後は”美しい”という方向性にどんどん進むだろう。
(たまに考え込んでる姿なんて、本当に大人っぽくてキレイだものね)
正直、数ヶ月とはいえ”お姉ちゃん”である私としては、少し焦りもある。
彼女がお嫁に行く日までは、前に立って守ってあげたいけれど、それも怪しい。
(いやいやいや、私の方がお姉ちゃんだもの。私が守るんだから)
しいていうなら、まずは悪い虫が付かないようにする事だろう。
休日に街に下りた時に、若い男性が若い女性に声をかけている所を見かけたことがあった。
ああいうのは大変よろしくないと、お母さんに言われている。
(お嬢様が街に一人で行く事なんてまずないだろうけれど、あの愛らしさと美しさだもの。
絶対にあの人みたいな男性が近寄ってきちゃうわ)
そういう意味では、侯爵家の内部にも気を配ったほうが良いかもしれない。
ただ、幸いなことにお屋敷にいる男性は、若くても若様くらいの年齢の方ばかり。
若様とお嬢様は十歳は離れているので、子供に対してあのように声をかけるような人はいないだろう。
(……そういえば、お兄ちゃんも若い男の人だったっけ)
ふとそんな事を考えたけれど、多分大丈夫。
お兄ちゃんがかっこ悪いとは言わない。でも、若様みたいな完璧な顔立ちの男性が身近にいるのだ。
それに、お兄ちゃんだって身分差をよく分かってるだろうし。
(やっぱりミーナ様には幸せになってもらいたいもの)
若様みたいな完璧な方とか。
王都にいらっしゃる王子様みたいな高貴な身分の方とか。
(どちらにせよ、ミーナ様を大事にしてくれて、愛してくれる方が良いわ)
そんな事を考えながら、私はお兄ちゃんに手紙の返事を書き始める。
ミーナ様のお願いもあることだし、早く帰ってきて欲しいな。
ミーナ大好き、レナさん。
レナ大好き、ミーナさん。
相思相愛な姉妹。
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