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其ノ六 ~無残ナ躯~


 襖の向こうから、またゴトンという物音が響いた。これで三度目だった。

 ここに誰かがいると、一月は確信する。もしかしたら、自分と同じように琴音の死の真相を探る者だろうか、とも考えた。

 だが、嫌な予感がした。

 この襖を開けてはならない……理由は分からないが、そんな気がしたのだ。


《駄目だ、その襖を開けるな!》


 頭の中に一月自身の声が浮かぶ、第六感が発した警告だった。

 体が、この襖を開けることに逆らっている。一月の十五年の人生の中で、初めての現象だった。


《引き返せ、今すぐこの廃屋から立ち去れ、金雀枝一月!》


 冷や汗が頬を伝い、口の中がカラカラに乾き、心臓が鼓動を速めていた。

 確証などなかったが、この襖の先には重要な秘密が待ち受けていると一月には分かった。しかし、具体的にそれが何なのかは、一月には見当もつかない。

 だが、もしかしたら……琴音の死に関する重要な手掛かりなのかもしれなかった。


「っ……」


 誘われるように手を伸ばし、一月は襖の引き手に指をかけた。

 ここから先に進んだら、もう後戻りはできない。この襖は、開けてはならないパンドラの箱なのかもしれない……そう感じたが、一月は進むという選択肢を選んだ。

 尻込みしていては、琴音の死の真相には辿り着けないと思ったのだ。

 

 深呼吸して心臓の鼓動を落ち着けた後、一月はゆっくりと襖を左右に開いた。

 その瞬間、


「ヴっ!」


 鼻腔を貫くその臭気に、一月は思わず顔を背けた。

 それはこれまで嗅いだこともない、文字通り鼻が曲がるような異臭だった。


(なんだ、この臭いは……?)


 袖で鼻を押さえたまま、一月は襖の向こうの部屋に向き直る。その部屋には窓が存在せず、真っ暗でほとんどなにも見えない状態だった。だが、人の気配がないことは分かった。

 この部屋に続く足跡からして、ここには誰かがいるはずだが……怪訝に思いつつ、一月は携帯電話のライトで室内を照らし出した。


 その瞬間、床に寝そべる二人の少女の姿が露になった。


「はっ……!?」


 思わず声を上げてしまった。

 その二人の少女は、一月に背中を見せる形で仏間に横たわっていた。

 仏間……そう、ライトで照らすまでは分からなかったが、その部屋は仏間だった。壁に埋め込まれる形で仏壇が設置されており、微かだが線香の香りがする。広くはないが、厳かな雰囲気が漂っていた。

 見たところ、二人が着ているのは一月と同じ高校の制服だ。こんな所で寝そべって、一体何をしているのだろう。一月は恐る恐る、手近にいた少女に歩み寄った。


「あの……」


 返事はない。

 ゆっくりと近づいて、今度はより大きな声で呼びかけてみる。


「ちょっと……!」


 やはり、返事はない。回り込んで、一月は少女の顔をライトで照らしてみた。


(え……?)


 一瞬、一月は頭の中が真っ白になった。

 そして次の瞬間、


「う、うわあああああああああッ!」


 廃屋中に響き渡りそうなほどの凄絶な悲鳴を上げた。

 途端に猛烈な吐き気が込み上がり、一月は壁に手をついて嘔吐する。


「うぶ、げほ、か……ごぼっ……!」


 吐瀉物に喉が無理やり押し広げられ、口から溢れ出ていく。固形物を出し尽くしてもなお、胃液だけが出てきた。

 あまりの苦しさに涙が出て、視界が潤む。

 

 仏間の中には、凄惨極まる光景が広がっていた。

 二人の少女が一月の声に返事をしなかったのは、彼女達がすでに声を出せる状態ではなかったからだ。

 一人目、一月が先程呼びかけた少女は顔全体に大きな穴が開いており、顔面と顔の中身を丸ごと抉り取られていた。目も鼻も口も全て失い、代わりにぽっかりと空洞が開いた顔……その奥には、脳とも脂肪とも分からない赤い物体が覗いている。

 そして傍らに倒れたもう一人の少女は、制服ごと腹部を大きく裂かれていた。

 鋭利な刃物で一気に切り裂かれたのだろう、傷からはぐにゃぐにゃとした内臓が溢れ出てており、それらがライトの光をぬらぬらと反射していた。

 

(何てことだ……!)


 ひどい有様だった。

 生きたまま顔面を抉られたか、また腹を裂かれたのかは定かではない。しかし人間の仕業とは思えないほど、残虐極まる殺され方だった。

 仏間内は、二人の少女から流れ出た血液で一面が血の海になっていた。赤い赤い赤い、真っ赤な床。信号機の危険を示すそれのような赤――鉄を含んだ生臭さが鼻をつく、何の臭いなのかなど、考える必要もなかった。

 これは夢だ、これは精巧な作り物だ、これは人間の死体ではなく、他の動物の死体だ……一月の防衛本能が、その光景を否定する様々な言い訳を浮かび上がらせる。だが今一月が目にしているのは、間違いなく本物の死体だった。無残に殺され、物言わぬ屍へと変じた人間の姿……当分食欲など湧かなくなりそうだ。


「ひっ、いいいいっ……!」


 意味をなさない言葉が、無意識に口から漏れ出る。

 こんな所からは、すぐに離れなくては……! 凄まじい恐怖にわななき、半ば狂乱状態になりながらも襖に飛びつき、一月はその場を去ろうとした。

 その時だった、突然周囲の空気が重く、そして冷たくなったのだ。

 そして同時に、一月は後ろから何者かの気配を感じた。

 誰かがいる、誰かが自分の背中を見つめている。それを感じた途端に両足が硬直し、仏間から逃げられなくなってしまった。


(だ、誰だ……!?)


 振り返っては駄目だ、振り返らずに、一刻も早くここから逃げなくては……そんな一月の意志とは無関係に、体が仏間の方へと向けられていく。

 一体いつからそこにいたのだろうか、二人の少女の惨殺死体が転がる仏間に、一人の人間が立っていた。

 携帯電話のライトを、その人物へと向ける。

 その人物は少女だった、紺色のプリーツスカートに、胸元の赤い三角タイ……学生服を着ているようだ。音もなく突然現れた、死体の転がるこんな場所に整然と立つ少女。正常な人間ではないことは、容易に想像がついた。

 恐る恐る、一月はその顔にライトを向けた。彼女はライトの光を眩しがる様子も見せなかった。

 少女の顔が照らし出された、その瞬間――。


(えっ……?)


 頭の中が真っ白になり、一月は思考の全てを失った。

 恐怖や不快感も、一瞬にして消滅してしまう。

 荒廃した廃屋、二人の少女の惨殺死体が転がる仏間で、一月の前に現れたのは、





  秋






  崎






  琴






  音






 一月の想い人であり、二年前に亡くなったはずの少女だったのだ。






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