其ノ弐 ~二人ノ少女~
「あ……」
遠ざかっていく金雀枝一月の後姿を見つめながら、天恒千早は鼻でため息をついた。
彼に渡そうとしたアンケート用紙をポケットにしまうと、
「ほっときなよ千早」
聞き慣れた女子生徒の声がする。千早に声をかけたのは佐天文美、二人は友人であり、高校の文芸部の部活仲間でもあった。
腕を組み、眉の両端を吊り上げて文美は言う。
「金雀枝って入学してから半年も経つのに誰とも話さないし、こっちから話しかけてもよそよそしい返事しかしない変な奴だし。構うだけ無駄だってば」
厳しい意見ともとれるが、あながち間違いとも言い切れなかった。
一月はクラスでは浮いた存在だった。他人との間に見えない壁を作り、誰とも話そうとせず、昼休みの時間には教室を出てどこかへ行ってしまう(人目につかない場所で昼食を摂っているのだろう)。半年前に入学した頃から、ずっとそんな調子だ。
彼は容姿は悪くないし勉強も運動も不得意ではないようだが、人との交流を好まない性格のようだ。
「金雀枝君、小学校の頃はあんな風じゃなかったのに……」
「え、千早って金雀枝と同じ小学校だったの?」
友人の顔を見つめ、千早は頷いた。
「クラスは違ったけど、あの頃は普通に友達と話してたし……あんな悲しそうで陰のある顔、してなかったよ」
文美も、さっきの千早のように鼻でため息をついた。
口ではああ言うものの、一月はクラスメイトなのだ。心の奥では、彼をどうでもいい存在だとは思っていないのだろう。
呟くように、文美は言った。
「もしかして、よほど辛いことでもあったのかもね。あんな風に塞ぎ込んじゃう何かが……」
一月が心を閉ざす原因になった出来事、千早には想像もつかない。
話題を一新するように、文美が口を開く。
「ねえ、話変わるけど千早……私さ、泉生先輩の失踪なんだけど心当たりがあるの」
「え……?」
泉生先輩というのは文芸部に所属する二年生で、千早と文美の先輩にあたる女子生徒だ。
数日前に家族に出掛けると告げて家を出たっきり、行方が分からなくなっている。先程の教師が言っていた、この学校から出た行方不明者というのは彼女のことだ。
彼氏もいて友人も多く、誰の目から見ても充実した高校生活を送っていたし、家庭事情でも特に問題を抱えていた訳ではない。そんな彼女が自分の意志で行方をくらませるとは考えづらかった。
事件にでも巻き込まれたのかもしれない、そう思った家族が警察に捜索願を出したが、現在も発見には至っていない。
千早も、そして文美も泉生のことを慕っていた。だからこそ一日も早く、無事に彼女が見つかって学校に戻ってくることを願っていたのだ。
真剣な表情を浮かべ、文美は言う。
「泉生先輩、『呪いの家』に行ったんじゃないかな」
「呪いの家……前文美が言ってた、あの家?」
文美は頷いた。
「そう、二年前のあの事件……この村でひどい殺され方をした女の子が、生前に暮らしていた家。そこにはその女の子の怨念が宿っていて、近づいた人を呪い殺すって噂。現に女の子が殺された後、その子と一緒に暮らしていた祖母のお婆さんも行方が分からなくなってるみたいだよ」
高校生の話題としては不似合いな、不気味で悪趣味な話だった。
文美は、クラスだけでなく学年でも有名なホラーマニアだった。そのレベルは、『歩くホラー辞典』という名誉なのか不名誉なのかもわからない称号を与えられる程。彼女はホラー小説にホラー漫画、ホラー映画のDVDやオカルトビデオ。この世に存在するあらゆるホラー関連作品に精通していると噂されている。その噂は正に名実一体。文美の部屋を訪れた者は例外なく、彼女のホラー関連作品のコレクションの数々に度肝を抜かれるとか。
文芸部でもホラー小説を執筆しており、そのクオリティは高いと評判である。
文美の話に、千早は表情をひきつらせた。
「え、怖い……」
空想から生まれたただの幽霊話ではなく、実在した事件が元になっているという点が、より恐ろしさを倍増させているように思えた。
千早に構わず、文美は続けた。
「泉生先輩、こないだのホラーの続編を書いてみようと思ってるって前言ってた。あの人、作品作りの時には入念な下調べとか取材とか徹底的にやるし……あの家に行った可能性はあると思うよ」
千早もまた、文芸部に所属している。
小説家に限らず、創作活動の一環として博物館や図書館で情報収集を行う者は少なくない。より恐ろしい作品を作り出すために、好奇心交じりに呪いといういわくつきの場所に自ら足を運んだ。決してありえない話ではなかった。
真剣な表情を浮かべて、文美は口を開く。
「泉生先輩、もしかして女の子の霊に呪われて……」
「えっ、そんなまさか……」
非現実的な話だったが、表現しようのない恐怖を感じる。
すると不意に、文美がぷっと口をとがらせて笑った。
「なに千早、怖いの? 冗談だよ冗談、そんなことあるわけないってば」
からかられている気分になり、千早は少しばかりむっとする。
「むっ……だって、文美が言うと冗談に聞こえないから……!」
ホラー好きな文美だが、霊や呪いが実際に存在するとは考えていないらしい。あくまで趣味の範囲であり、現実との線引きはきちんとしているということだろうか。
次の言葉を発する際には、文美の面持ちはまた真剣なものに戻っていた。
「でも、もし泉生先輩が本当にあの家に行って、何かあったとしたら……例えば崩れた柱に足を挟まれて身動きとれなくなったりしてるとか……」
例の事件以降、入居者を失ったあの家はずっと空き家のままだ。人の手が入らなくなった家は老朽化も進んでいくはず、文美が挙げた以外にも危険要素は浮かんでくる。
推測の域を出ない話ではあったが、もしもそれが当たっていたら。文美の仮説通り、泉生があの家の中で動けない状況に陥り、今も助けを求めているのだとしたら……想像しただけでも危機感が湧いてくる。
千早が喋る前に、文美が提案した。
「千早、これからちょっと私達も行ってみない? あの家の住所は私も知ってるからさ」
「え、ええっ!? 本当に……?」
文美は今にも駆け出しそうな雰囲気だった、考えてみれば、彼女もホラー好きなのだ。あの家に実際に行ってみたいと考えても、なんら不思議ではない。行方不明になった先輩の安否を気遣って、というよりも好奇心からの提案だと千早は感じた。
顔を近づけて、文美はさらに推してくる。
「泉生先輩に無事に帰ってきてほしいでしょ? だったら一応、確認したほうがいいじゃん」
そんな言葉も、本心を隠匿するための偽装工作にしか聞こえない。
しかし一応の筋は通っており、千早は友人の提案を拒否する歯切れのいい言葉を持たなかった。
「た、確かにそうだけど……!」
「おっけ、それじゃ行こう」
待ってましたといわんばかりに、文美が駆けていく。
「ちょ、待ってよ!」
内心では行きたくはなかったが、千早は彼女の背中を追うしかなかった。
この後、自分たちがどんな目に遭うか、どんな運命を辿ることになるのか……二人の少女は、この時は考えすらしなかった。