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其ノ参拾参 ~鬼狩ノ夜 其ノ五~


「えっ……?」


 千芹の言葉に、僕は思わず疑問の声を発した。

 しかし、問い返している余裕はなかった。今は戦闘の真っ只中、決して負けられない勝負の最中なのだ。

 目の前では、鬼となった琴音が赤い光を増幅させた刀を手に立っている。禍々しさも殺気もこれまでとは段違いで、次の一撃で勝負を決するつもりなのが分かる。目に見えない眼球が周囲に幾つも浮かび、殺気の雨を浴びている気分だった。


《殺す、絶対に殺す……!》


 耳を覆いたくなる殺意の言葉、だが僕は屈しない。屈するわけにはいかない。

 僕には絶対に負けられない理由がある、二年間の重石に決着をつけること、悲劇の連鎖を断ち切ること。

 そして、何よりも。


 ――いっちぃ、お願い!――


 僕が作り出した罪を償い、琴音を助け出すために!

 鬼となった琴音と、そして僕。

 仏間の床を蹴り、相手に向かって走り寄ったのはほぼ同時のことだった。

 迫りくる最中、鬼となった琴音が持つ刀の赤い光が尾を引いているのが見えた。僕が持つ天庭も同じようになっているのだろうか。

 数メートルほど開いていた距離は、一瞬と呼べる時の間に詰められた。互いの武器の射程内に入る、先に仕掛けたのは、鬼となった琴音だった。


《あああああああっ!》


 赤い刀が振り上げられる。

 彼女の動作で分かる、右だ、右から攻撃が来る!

 僕は天庭を構え、右からの攻撃に備えようとする。その時だった、この状況に何か、既視感に似たものを覚えたのだ。

 この状況、前にどこかで……!

 突き上がるように浮かんできた記憶は、僕にその出来事を否応なく思い出させた。

 そう、これは昔の頃……中学二年の剣道大会の決勝戦、僕と琴音が対戦した時と同じ状況なのだ。

 あの時、琴音は右から攻撃を仕掛けてくると僕は判断した。そして僕が右からの攻撃に備えようとしたその瞬間、琴音は一瞬で攻撃を仕掛ける向きを変え、左から僕に竹刀を振ったのだ。

 右から来ると信じ込んでいた僕には、琴音の攻撃を防ぐ術はなかった。裏をかこうとした僕が、逆に裏をかかれてしまった。つまり琴音に、裏の裏をかかれたということである。

 そう。その時受けた一撃が決定打となり、僕はあの決勝戦、琴音に敗北したのだ。


「くっ!」


 鬼となっていても、琴音の剣道の腕前は生前と全く同じか、もしくはそれ以上なのだ。

 あの時と同様に、もしもフェイント攻撃を仕掛けられたら。そう考えると、右からの攻撃の備えに徹しきれなくなってしまった。

 やせ我慢で耐えているとはいえど、僕は既に体の数か所に手傷を負わされている。これ以上攻撃を受ければ、戦闘不能になるのは必至だった。

 逡巡する僕に対し、鬼となった琴音は容赦なく迫ってくる。


《死ねっ!》


 琴音が生きていた頃、僕は一度も彼女のフェイント攻撃を防げたことはない。

 どっちからくる、右か、左か、それとも他の方向か。もしくは、フェイント攻撃など仕掛けてはこないのか……!

 瞬きすらもせず、僕は琴音の動きを注視し続けた。だが、答えなど得られはしなかった。

 もう、運に任せるしか……そう思った時だった。


 ――相手の動きに、捕らわれないで――


 琴音の声が、聞こえたのだ。

 そしてその声が引き金となったように、僕は以前琴音から教示された、あることを思い出す。


“フェイント攻撃は相手を騙すんじゃなくて、自分の動作で相手の心を囚わせる技なの。だから相手の動きに囚われさえしなければ、防ぐことは十分可能なんだよ”


 そうだ、見えないだんてことはありえない。琴音が教えてくれたことを思い出せ、相手の出方を見極め、その動きに惑わされるな。

 僕は中立の構えを取った。必ずとは言えなくとも、右から来ても左から来ても理論上対応可能な構えだった。

 右から繰り出されると思われた攻撃は、一瞬で逆方向へと切り替えられた。

 やはりフェイントを繰り出してきた、攻撃は左から来る!


「はあっ!」


 中立の構えを崩し、僕は即座に左からの攻撃に備えた。

 鬼となった琴音が息を呑むような声を発する。


《っ……!?》


 フェイント攻撃を読まれたことが、想定外だったのかもしれない。

 もしかしたら、生前の琴音の記憶を受け継いでおり、僕がフェイント攻撃に対応する能力を持ち合わせていないと思い込んでいたのかもしれなかった。

 もしそうならば、笑止千万だ。確かに僕一人では成しえないかもしれない、だが今の僕には琴音がついている、彼女が僕に味方してくれている――琴音がついていてくれたからこそ、フェイント攻撃を見極めることが出来たのだ。僕は、そう思った。

 左から振られた刀を、僕は天庭の刀身で受け流すようにして回避する。あえて正面から受けずにそうすることによって、反撃のチャンスを作り出した。

 琴音が僕の方へ向き直ろうとする間を狙い、僕は体を反転させ、その勢いをつけて天庭を振り抜いた。


「だあああああっ!」


 鬼となった琴音の腹部に天庭の刃が直撃し、目が眩むほどの青い閃光が仏間を照らし出した。その光は恐らく、この廃屋のボロボロになった壁を貫通し、外にまで届いただろう。


《ぎゃあああああああっ!》


 鬼となった琴音が、凄まじい悲鳴を上げながら前方へ弾け飛ぶ。

 手ごたえはあった、今の一撃は間違いなく決定打となっただろう。彼女の手から刀が離れ、その刃に纏っていた赤い光が消失し、やがて刀が砂のように変じたと思うと、サラサラと崩れて形を失っていく。


《今のいつきの攻撃を受けて、鬼の力の大部分を失ったんだよ》


 状況を解説するように、千芹は言った。

 氷が溶けて水に変わっていくように、鬼となった琴音の体が足の方から黒い霧に変じていき、消えていく。

 一時は安堵の気持ちが浮かんだが、目の前で悶え苦しむ鬼となった琴音を見ると、決して喜べはしなかった。

 形容しようのない気持ちを抱いていた時だった。


《ゆ、る……さない、赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない!》


 突然、鬼となった琴音が立ち上がったと思うと、空を飛ぶような動作で僕に飛びかかってきたのだ。

 まさか、まだ倒せていなかったということなのか、慌てて僕は天庭を構え直した。その時、天庭に纏っていた青い光が一際大きく輝いた。

 眩しさに、思わず視線を逸らす。


「うっ!」


 もう一度前に向き直った時、白い和服を着た少女の後姿がそこにあった。腰まで伸びた艶やかな黒髪が、僅かに揺らいでいるのが見えた。

 千芹が、天庭から分離して現れたのだ。


「いつき、もういいよ。あとはわたしがやるから」


 彼女は僕を庇うように立ち、袂から小刀を取り出す。

 そして、


「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽!」


 幾度か聞いた言葉が、千芹の口から発せられた。

 僕にその意味は理解出来ないが、その呪文がどんな効果を持つのかは分かる。

 これまでこの呪文を聞いた時と同様、千芹が手にした小刀が淡い青色の光を纏った。そして自らに向かって突進してくる鬼となった琴音に向かい、彼女は小刀を振り上げる。


「不浄なる鬼よ、闇へと帰しよ」


 諭すように静かで落ち着いた言葉、それとほぼ同時に、千芹は小刀で鬼となった琴音の胸を切りつけた。

 青い火花が飛散する。そして、


《ぎゃあああああっ! あ、あ……》


 断末魔の叫びが次第に小さくなり、消えていった。

 直後、鬼となった琴音は完全に黒い霧へと変じ、爆散して空気に溶け入るかのように消滅する。

 静けさを取り戻した仏間、千芹が振り返って僕の顔を見上げた。その顔には笑みが浮かんでいた。


「いつき、終わったよ。鬼は消えた……完全に」


 もう必要ないとでも言いたげに、千芹は小刀を和服の袂へしまった。

 ――終わった。その言葉が頭の中を巡り、唐突に足の痛みがぶり返して、僕は仏間の床に座り込んで壁に背中を預ける。


「痛っ……!」


 見てみると、鬼となった琴音に切りつけられた足から結構な量の血が流れ出ていた。

 こんな傷の痛みを気力だけで抑え込んでいたなんて、にわかに信じ難かった。

 安堵の気持ちが引き金となったのだろう、痛みと一緒に、体中にどっと疲れが湧き上がってくる。千芹に何かを言おうとしたが、急に意識が遠のいてきて声を出せなくなった。

 多量の出血で、身体が異常を来たしているのか。だとしたら、このまま眠ったらもう二度と起きることはないのかも――視界が闇に侵食されていく最中、僕はぼんやりとそんなことを思った。


「いつき……お疲れ様」


 意識が途切れる間際、僕は千芹のその言葉を聞き届けた。

 彼女が僕の右手を握ってくれて、人間と何ら変わらない温もりが伝わってくるのが分かった。






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