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其ノ参拾弐 ~鬼狩ノ夜 其ノ四~


 鬼となった琴音が迫ってくる最中、今聴こえた声を僕は頭の中で反芻はんすうする。

 ――助けて。

 どうして琴音の声が聞こえたのかは分からない。鬼となった琴音の本心だったのか、或いは単なる空耳か幻聴だったのかもしれない。

 だが、それを考える必要などなかった。

 直後、芽生えつつあった諦めの感情が一気に消失し、代わりに失いかけていた戦意が地表を突き破るマグマのごとく、全身に湧き上がってくるのが分かった。

 切りつけられた足の痛みを我慢で押し殺し、僕は天庭を拾い上げて立ち上がった。


《なっ……!?》


 鬼となった琴音が、目に見えてだじろいだ。

 手傷を負わされ、身動きもままならなくなった僕が突然立ち上がったことに驚いたのか。それとも僕は自分に完全に負かされ、既に戦意を失っていると思い込んでいたのか。

 僕は斬りかかり、鬼となった琴音はそれを受けた。


《お前、まだこんな力を……!》


 忌々し気に、鬼となった琴音は言った。触れあった二本の真剣が、ギシギシと音を立てる。

 僕は即座に弾き、琴音は後方へと飛び退いて距離を取った。僕と彼女の間に、数メートルほどの間合いが生まれる。

 次の瞬間、切りつけられた左足が鋭く痛んだ。


「うっ!」


 床に倒れそうになる――しかし僕は立ち上がった時と同様、痛みを強引に押し留め、持ちこたえた。

 途端、今度はさっき切りつけられた右肩が痛んだ。傷口からどっと血が流れ出ているのが分かり、全身が強張って天庭を落としそうになる――その時だった。

 また、声が聞こえた。


 ――お願いいっちぃ、助けて、この鬼を倒して……!――


 涙の混ざった少女の声、それは間違いなく、琴音の声だった。僕の想い人が発する、哀願の声だった。

 そうだ、琴音が感じた痛みはこんなものじゃなかったはずだ。こんな肩や足の傷くらい、なんだって言うんだ。

 切りつけられた右肩に触れ、握り潰すようにぐっと押さえ込む。


「ぐうっ……!」


 痛がるのも泣き言を言うのも、全部後回しだ。涙声で僕に助けを求める、僕が生まれて初めて『好き』という想いを抱いた女の子が目の前にいる。

 今ここで彼女を助けられないこと以上に怖い物なんて、この世にあるものか……!


「琴音……!」


 真っ赤に染まった手の平で、僕は天庭を握り直し、僕は小学校の頃のある出来事を思い出す。

 あれは今から七年くらい前に起きた、僕が剣道を始める切っ掛けになった出来事だった。

 蝉の鳴き声がやかましい夏の日の放課後、帰途についている最中だった。僕は男児数人に取り囲まれ、虐められている友達の女の子を見つけた。

 多分、彼らは上の学年の生徒だったのだろう。男児達は皆体が大きく、見るからに強そうで……例え複数人ではなく単体を相手取ったとしても、僕に勝ち目がないことは火を見るより明らかだった。

 それでも、見過ごしはしなかった。『やめろ!』と叫びながら、僕は女の子を庇いに入った。

 そして、結果はまさに予想通り。僕はボコボコに殴られ、蹴られ、頭を踏みつけられ……とにかくコテンパンに叩きのめされた。

 喧嘩に勝てなかったこと以上に、女の子を助ける力がないことが悔しかった。悔しくてやるせなくて、情けなくて……こんなのは二度とごめんだと思ったんだ。

 弱くて非力で何もできない、そんな自分が嫌で、意気地なしを捨てたくて、僕は剣道を始めたんだ。


「絶対に、助けるから……!」


 闘志を燃やし、再び天庭を構える。

 そうだ、ここで折れたらまたあの頃に逆戻りだ。弱くて非力で何もできない、意気地なしで情けなかったあの頃に。しっかりしろ、もうあの頃とは違うだろ。幾つもの年を重ねてきた分、ちゃんと強くなっているはずだろう……!

 折れてたまるか、痛みなんかクソくらえだ。ここで踏ん張らなかったら、僕は何のために目の前で泣いている女の子を助ける力を得たんだ!


《死ねっ!》


 鬼となった琴音が襲い掛かってきて、再び剣戟が繰り広げられる。

 精神を研ぎ澄まし、迫りくる赤い刃の太刀筋を読み切り、受け止めた。肩や足の痛みは、いつの間にか気にならなくなっていた。

 防がれてもなお、琴音は攻撃の手を緩めはしない。スピードだけでなく、針の穴を通すように正確な連撃が繰り出される。

 

 ――左によけて!――


 また、不意に琴音の声が聞こえた。

 驚きはしたものの、僕はそれに従った。すると鬼となった琴音の攻撃を容易くかわせた。

 

《ぐっ、小賢しい!》


 向き直るや否や、また次の攻撃が放たれる。

 その時、僕の頭にいつか琴音から教わったことが浮かんだ。


“いい? 相手の攻撃を避ける時は、体一部だけじゃなくて体全体でよけるの。あと姿勢を常に整えておけば、スムーズに次の動作に移れるんだよ”


 ともに黛先生に師事する同門であると同時に、先輩弟子でもあった琴音。彼女からは剣道に関する様々なことを学んでいた。

 そのうちの一つ、攻撃の避け方。僕は彼女の教えに従い、身を横へと動かした。驚いたことに、それだけで鬼となった琴音の攻撃を容易く避けることができた。

 チャンスだ、そう思った時だった。


 ――今だよ!――


 僕が思ったことを代弁するように、琴音の声が聞こえた。

 攻撃を避けられ、鬼となった琴音は体制を立て直している最中だ。彼女に隙が生じたこの瞬間を、僕は見逃さない。

 青い光を宿す霊刀、天庭を僕は振るった。

 彼女は防ごうとするが、間に合いはしない。

 天庭の刃は鬼となった琴音の腹部を捉え、その瞬間にバチッという電撃が迸るような音とともに、青い光が飛散した。それは、攻撃が命中したことの証だった。

 耳を塞ぎたくなるような叫び声が発せられる。


《ぎぃっ、あああああっ!》


 腹部を押さえ、苦悶に身をよじらせながら、鬼となった琴音が後退する。たった一撃が命中しただけでも、効果は覿面てきめんだったようだ。

 だが、気は抜かない。相手は鬼なのだ、この後、どんな反撃が繰り出されるか分からない。一撃を喰らわせたとしても、次の瞬間には逆に致命傷を負わされるかもしれないのだ。

 勝てる、鬼となった琴音を止められる。両肩を上下させながら息をしつつ、僕は勝機が見えているのを感じた。

 僕は今、独りで戦っているんじゃない。僕には琴音が味方してくれている、そんな気がしたのだ。

 ゆらゆらと不気味に体を揺らしつつ、鬼となった琴音が向き直った。憎しみに満ちた瞳が、僕を捉える。


《また、私を殺すのか……赦さない、憎い、ぐうううう……!》


 以前にも一度、彼女の口から同じような言葉を聞いた気がした。だがもう、僕の心は揺らがない。

 宣言するように、僕は言い放つ。


「だまそうとしても無駄だ。琴音の本当の願いを、僕は確かに聞き届けた……もう、迷いはしない!」


 その言葉に、鬼となった琴音は一時だけ沈黙した。少しの後、僅かに唇を動かし、言った。


《絶対に、殺してやる》


 瞬間、鬼となった琴音が持つ刀の纏う赤い光が大きくなった。同時にそこから幾人もの人間の叫び声のような音が鳴り渡り、見えざる力に揺すられるかのごとく、仏間中がガタガタと揺れ始める。

 何だこれは、悪意を一気にぶつけられているようで気分が悪くなりそうだ……! 僕は庇うように、腕を顔の前に持ってくる。

 すると、


《残った死人の負念の力……それを一気に集めて増幅させてる、まさか、こんなことまで……!》


 しばらく何も言わなかったと思っていた千芹が、言った。

 察するにあれは、鬼となった琴音の『切り札』と言うべき技なのだろうか。

 見るからに危険で、そして邪悪な雰囲気が伝わってくる。正面から挑んでも叩き潰されるだけだ、どうすればいい――そう思っていた時だった。


《いつき、天庭を握って。思い切り、強く……!》


「えっ……!?」


 突然の言葉に、僕は困惑する。

 すると千芹は、焦燥に駆られるように命じてきた。


《お願い時間がないの、早く!》


 今、頼りにできるのは千芹だけだった。僕は頷き、


「分かった……!」


 そう応じて、千芹に命じられたように天庭をぐっと握る。

 すると彼女の声が続いた。


《情愛は絆、絆は力、力は心によりて力たり……私の力をこの霊刀に、阿毘羅吽欠蘇婆訶!》


 変化は、劇的だった。

 琴音の武器と同じように、一月が持つ天庭の青い光も一気に増幅し、辺りが淡く照らし出される。

 美しく幻想的で、清涼感に満たされるような青い光。琴音の武器に纏う、邪悪で禍々しい赤い光と対局を成しているかのようだった。

 その時、


「琴音……」


 そう呟いた後で、僕は我に返った。

 強く輝く天庭を見つめながら、何故か無意識に想い人の名を口にしていたのだ。

 どうして、僕は琴音の名前を……そう思っていた時、


《信じてるよ、いつき》


 千芹が、僕にその言葉を贈ってきた。






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