其ノ壱 ~全テノ幕開ケ~
事件は二年前の九月二十四日に遡る。
ひやりとした秋の空気に包まれたその日、鵲村の某中学校の校庭にて一人の女子生徒(十四歳)が変死体となって発見された。時刻は午後六時半頃、下校時刻を過ぎ、陽が沈み始めた頃だった。
第一発見者は被害者の女子中学生と同じクラスに所属していた当時十四歳の男子生徒、彼からの通報を受けて現場に駆け付けた警官たちは皆、言葉を失った。待ち受けていたのは想像を絶するほどに残酷で悍ましく、まさに戦慄すべき光景だったのだ。
静寂の中、仰向けに倒れていた女子生徒は、もはや人間としての形状を留めていなかった。
両手足は不自然な方向にねじれ、長い髪がもつれてカーテンのように顔の半分を覆い隠していた。髪の隙間から覗く瞳は充血して焦点を帯びておらず、虚空に向けて見開かれていた。口は開かれ、唾液と血液が混じった液体が顎を伝って流れ落ちていた。
そして誰もが目を向けられなかったのが、彼女の腹部。
少女の腹部は制服ごと大きく裂かれて内臓が溢れ出し、臓器特有の生臭い臭気を放っていた。夥しく流れ出た血液で、制服は腹部からスカートの先まで真っ赤に染め上げられていた。赤い果物を踏み潰したかのように、彼女を中心にして血の水溜りが出来上がっていた。
その場にいた者全員が猛烈な吐き気を催す程の、見るに堪えない状況だった。かつて命を持って生きていたとは思えない、屠殺された家畜動物のような扱いを受けた無残な姿。
これが人間の仕業だと考えただけで、背筋が凍りつきそうな程の狂気を感じた。自分と同じ人間の命を虫ケラのように奪い、挙句こんな酷い姿に……女子生徒を殺した人間は、人の皮を被った化け物に違いなかった。
この事件は『鵲村女子中学生変死事件』と銘打たれ、警察によって大規模な捜査が展開された。女子中学生を惨たらしく殺した犯人を突き止めるべく、警察は全力を注いだ。
だがその成果はなく、事件発生から二年経った今も進展はない。
◎ ◎ ◎
黒板にチョークが打ち付けられる音と、教師が講釈する声だけが響く教室内。
生徒達が熱心に板書を写す中、一月は授業そっちのけで携帯電話を操作し、ネットにアクセスしてニュースページを閲覧していた。その見出しは、
『鵲村女子中学生変死事件から今日で二年。警察は未だ犯人の手掛かり掴めず』
記事には、事件に関することがまとめられていた。
二年前の今日、九月二十四日にこの鵲村で一人の女子中学生が殺害され、無残な遺体となって発見されたこと、その女子中学生と一緒に暮らしていた祖母も、事件のわずか数日後に後を追うように亡くなったこと。そして、警察が未だに犯人に繋がる手掛かりを何一つ掴めていないことも。
捜査を担当した警官のコメントが記載されていた、殺害現場からは足跡も指紋も、犯人の痕跡は何一つ発見されず、目撃証言も一切なく、殺害時に使用された凶器すら特定できない。こんな凄惨で不可思議な事件は初めてだという。
「っ……!」
一月は唇を噛み締めた。
二年間も捜査をしているのに何の進展もないなんて、警察は何をやっているんだと腹立たしくなる。
記事の中では、殺害された少女は一貫して『女子中学生』と呼称され、実名や年齢は伏せられていた。しかし一月は彼女の名を知っている。
秋崎琴音。
かつて一月の想い人だった、亡くなった今では彼女を知る人の記憶にしか存在しない少女だ。
享年は十四歳、もし彼女が存命であれば今の一月と同じように進学し、多くの友人を作り、充実した高校生活を送っていただろう。その後も十年、二十年……もっと長く生き、人生を楽しみ、人を愛し、そして愛されたはずだった。
だが無念にも十四歳という若さで、彼女の全ての可能性は断ち切られてしまったのだ。
(どうしてだよ、どうして琴音が……!)
二年前から変わらない悔しさとやるせなさが込み上がり、一月は顔をしかめた。
真面目でひたむきで優しくて、何事にも一生懸命だった琴音がなぜ、あんな無残に殺されなくてはならなかったのか。しかも彼女の全てを奪った犯人は今もどこかで生き続けている、それを考えると身を裂くような怒りが込み上がる。
彼女の命を奪った犯人も赦せないが、警察も警察だと一月は思った。二年間もの時を費やしても手掛かりの一つも掴めない、凶器を特定することすら出来ないだなんて、ふがいなくて仕方がない。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り渡り、教師が生徒達に向き直る。
「今日はこれまで。繰り返すようだが、皆寄り道せず家に帰るように。最近この鵲村で頻発している行方不明事件、知っての通りこの学校からも一人行方知れずになった生徒が出ている。因果関係は明らかになっていないが……今警察が捜索活動を行っている」
最近、鵲村で数件の行方不明事件が発生している。一月のみならず、誰もが周知のことだった。
警察が捜査中とのことだが、琴音の事件と同様にこちらも一切の手掛かりが掴めていないらしい。村内の高校では部活動を禁止して放課後は生徒をすぐに家に帰るようにさせ、小学校では毎日集団下校が行われ、警察による村内の巡回も実施されていた。このまま行方不明者が出続けるなら、学校閉鎖も十分にあり得るだろう。
(行方不明事件、か……)
確かに気にはなっていた。しかし一月にとっては、琴音の事件の方が重要だった。
帰りのホームルームが終了し、周りの生徒と同様に教室を出ようとした時、
「ねえ、金雀枝君」
女生徒に呼びとめられて、一月は振り返った。顔は知っていたが、名前を思い出せないクラスメイトの少女だった。
彼女は一枚の紙を差し出しながら、
「これ体育祭のアンケート。金雀枝君、まだ出してくれてないから……」
思い返せば、そんな物の提出を求められていた。
しかし今の一月には、アンケートなどどうでも良かった。
「ごめん、急ぎの用があるんだ」
差し出されたアンケート用紙に目もくれずに、一月は女生徒に背中を向けて歩き去った。
警察はこのまま、真相を解明出来ないのかもしれない。琴音を殺した犯人が、何の罰も受けずに逃げ延びる。そんなことがあっていい訳がない。
何か自分にも出来ることがある、いや、やらなければならない――決意めいた表情を浮かべながら、一月は自分に言い聞かせた。