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其ノ弐拾七 ~千芹ノ悲哀〜


「うっ……!」


 目を覚ました時、一月の視界には見慣れた天井が映る。

 雨粒が屋根を叩く音が鼓膜を揺らす、自室の床に仰向けに横たわりながら、一月は今の状況について思案した。

 自分は確か、あの廃屋に行って……そう思いつつゆっくりと身を起こす。すぐに、傍に腰を下ろした少女が目に留まった。


「いつき……」


 電気が点いていなくて部屋は薄暗かった。しかし彼女、千芹が身にまとう白い和服は、その中でもはっきりと視認できた。彼女の側には、鞘に収められた天庭が置かれていた。あの廃屋から逃げる際、一緒に回収しておいたのだろう。

 声を出そうとしたが、千芹が悲しげな眼差しを向けてきて、一月は口を噤んで視線を外してしまう。

 二人とも何も言わず、ただ雨音だけが鳴り続ける。

 

「どうしちゃったの?」


 千芹の問いかけが、沈黙の時を終わらせた。しかし、一月は答えずに俯くだけだった。

 すると彼女は、言葉を重ねてくる。


「天庭を手放して、自分から鬼に殺されようとするなんて……」


 天庭を手放したあの時、一月には鬼と化した琴音に抵抗する術はなかった。もしも千芹が天庭から分離して助けなければ、一月は殺されていたに違いない。

 さらに、一月が死ぬということは鬼を止められる者がいなくなるということ。そうなれば鬼と化した琴音はこれからも呪いを撒き散らし、人を殺め続けるだろう。事態は、一月の命だけの問題ではないのだ。

 分かってはいた――しかし一月はやはり何も答えなかった。


「どうしてなのいつき、どんな理由があって、あんなことを……?」


 悲しみに満ちた千芹の声に、一月はもう黙ってはいられなかった。

 俯いたまま、一月は応じる。


「僕のせいだったんだよ」


 どうにか発したのは、雨音に吸い込まれてしまいそうな声だった。


「え……?」


 自分の膝を見つめたまま、一月は続けた。


「今の今まで全然思い出せなかった、まさか、あんなことがあったなんて……!」


 先程とは変わって、思い詰めるような声だった。


「『あんなこと』……? 鬼になったことねに、何を見せられたの?」


 一月はやっと、千芹を向いた。


「琴音が殺される日の前日……僕の父さんの葬儀があったんだ。仕事中の不慮の事故で突然父親を失って、僕は落ち込んでいた……その時、琴音が僕を励まそうとしてくれたんだ。なのに僕は些細なことで琴音に八つ当たりをして、彼女に酷いことを言って、傷つけて……!」


 込み上がる自責の念を吐き出す一月。

 それを一身に受ける千芹はただ、悲しげな面持ちを浮かべていた。


「それで琴音は絶望して、そのせいで彼女は鬼につけ入られて、殺されたんだ……」


 一月とのすれ違い、それこそが琴音が有していた、鬼を寄せ付けない力が弱まってしまう切っ掛けとなった出来事だったのだ。

 

「でもいつき、今までそのことを本当に覚えていなかったの? いつきはことねと仲が良かったんでしょう? ことねと喧嘩しただなんてこと、忘れたりする?」


 思い詰める一月に配慮するように、千芹が尋ねてくる。

 至極当然な質問だった。一月にとって琴音は親友という枠組みには収まらず、初めて恋をした想い人だった。その彼女と諍いをしたことを忘れるなど、断じてあり得ないはずだった。普通なら、相手が大切であれば大切であるほど、記憶に焼きつくものだろう。

 しかし一月には、ある思い当たる出来事があった。


「殺された琴音を見た時……」


 その時のことを思い返しながら、一月は返答する。


「僕、警察を呼んだすぐ後……その場で貧血起こして、意識失って倒れたんだ」


 無残に殺された琴音の姿は、今もなお一月の脳裏に刻み込まれていた。

 腹部を大きく切り裂かれ、内臓が露出し、瞳を充血させ、その身を鮮血の水溜まりに横たえた琴音の姿――残酷で凄惨極まる光景を目の当たりにした一月は、正常を保ってなどいられなかったのだ。

 その先の出来事について、一月は引き続き思い出しつつ語る。

 

「気を失う直前に、頭に固い物がぶつかって、すごく痛かったんだ……病院の先生は、倒れる時に頭を石か何かに強く打ったんだろうって言ってた。手当てするだけで大丈夫で、詳しい検査をする必要はないって言ってたけど……」


「それじゃあ、その時に記憶を……?」


 千芹の言葉に頷き、一月は恐る恐る、自身の頭部に触れてみた。髪の毛越しでも、その時の傷が残っているのが分かる。

 頭部外傷による、部分的な記憶障害。それこそが、一月が琴音と喧嘩をした記憶を失っていた原因だった。単なる偶然か、それとも運命の悪戯なのか……気絶間際に頭部を強打した際、その部分の記憶だけを喪失していたのだ。

 つまり一月は二年前の九月二十四日に、その一つの思い出を置き忘れていたということになる。

 傷に触れていた手を下ろし、一月は千芹に問う。


「どうしてさっき、僕を助けた?」


 千芹は息を呑んだだけで、返事はしなかった。

 一月は続ける。


「僕はもう、生きてなんていられない。琴音を死に追いやって、彼女を鬼にさせて、何人もの人が命を落とす原因を作った……あのまま黙って死なせてくれれば良かったのに……!」


 思い詰めた様子で語りながら、一月は廃屋で見つけたあの二人の女子高生の死体を思い出した。自分があんなことを言って傷つけなければ、琴音は鬼にはならなかった、だから彼女達が命を落としたのも、自分のせいだと一月は思った。

 罪悪感が、不可視の十字架となって背中に圧し掛かっていた。


「そんなこと言わないでよ、いつき……!」


 自分を責める一月に、千芹は言う。


「生きているってことは、とても大切で尊いことなんだよ、死んじゃったら全部終わりなんだよ、何もかも全部……」


 千芹の言葉が心に届かなかったというわけではなかった。しかし一月はどうしても、頷くことはできない。


「琴音だってきっと、僕の死を望んでる。彼女が鬼になっていることこそ、その証拠じゃないか。僕が苦しみ抜いて死ぬこと、それが彼女の望みなんだよ」


「そんなことないよ……!」


 千芹は胸元で拳を握り、縋るような面持ちを浮かべる。


「思い出してよいつき、ことねはそんな人だった? 誰かの死を望んだりするような、そんな残酷な人だったの? いつきの目には、ことねがそんな風に見えたの?」


「見えるわけがないだろう……!」


 思い詰めた一月の声には、怒鳴り声以上の感情が内包されていた。


「けど……本当は琴音は、僕なんて取るに足らない存在だと思ってたのかも知れない……もしかしたら琴音は、僕のことなんて嫌っていて……自分の前からいなくなってしまえば良いって思ってたのかも知れない」


 一月にとって琴音は古くからの親友であり、初恋の相手でもあり、居なくてはならない大切な存在だった。しかし、琴音は一月をどう思っていたのかは分からない。琴音の亡き今では、分かる手段もない。

 琴音が自分を疎ましく思っていたなど、決して考えたくなかった。しかし、一月の考えは悪い方へと進んでいく。


「琴音が僕をどう思っていたのかなんて、分かるわけが……!」


 一月の言葉は、千芹が彼を呼ぶ声に止められた。


「いつき」


 一月が振り向いた直後だった。

 乾いた音が部屋に鳴り響き、一月の顔が横を向く。

 何が起きたのか理解が追いつかない一月に、涙の混ざった少女の声が発せられる。


「どうして……?」


 熱を帯びていた頬に手を当てて、一月は千芹を向いた。

 彼女の瞳にはなみなみと涙が溜まっていて、その一雫が彼女の頬を伝うのが見えた。


「どうして、そんな悲しいこと言うの……?」


 そこに至って、一月はようやく理解した。

 千芹の手が、彼の頬を叩いたのだ。






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