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其ノ弐拾六 ~絶望~


 視界を覆いつくしていた闇が消えた時、一月は再び廃屋の仏間に立っていた。

 鬼となった琴音が見せていた光景が消滅し、現実へと戻されたのだ。微かに漂う線香の香りが、また鼻腔を撫でるのが分かった。

 そして再び、否応なく彼女と対面することになる。


「っ……!」


 喉の奥で押し潰すように、一月は息を呑んだ。

 さっきの光景の中で見た時とは似ても似つかない、鬼へと姿を変えた想い人が目の前にいた。風もない廃屋の中で、その体を覆う黒霧や、長く伸ばされた黒髪がザワザワと不気味に揺らいでいた。

 琴音が鬼となった原因を知った今、一月には自身を見つめる彼女の瞳が、より一層の憎しみを内包しているように思えた。


(まさか、それじゃあ僕のせいで、僕のせいで琴音は……)


 ほんの先程知った真実に、一月は戦慄する。

 自分が彼女に放った言葉で琴音は絶望し、そして鬼に付け入られてしまった。つまり、一月は琴音が殺される切っ掛けを作ってしまっていたことになる。

 あれ程憎んでいた琴音を殺した犯人は、他の誰でもない一月だったのだ。


《分かったか? お前が私に何をしたのか、どうして私が命を落とすことになったのか……》


 歩き迫ってくる琴音を前に、一月は身動きもできずに立ち尽くしていた。

 驚きと罪悪感で、指の一本も動かせなくなっていたのだ。


《いつき、近づかれたら危ない! もう一度天庭で……!》


 千芹がそう言ったが、一月は返事をしなかった。

 刻一刻と鬼が迫っているのに、天庭を構えもせず、一月はその両腕を体の脇へダランと下げてしまった。


《いつき、何をしているの! このままだと……!》


 千芹の声に、一月は一切反応しない。

 彼はただ表情を絶望と悲しみに染め上げ、目の前にいる鬼へと姿を変えた想い人を見つめているだけだった。

 異変に気づいたらしく、千芹は言う。


《まさか……いつき、あのことを……!?》


 千芹の直後だった。

 鬼となった琴音がその右手の平を一月へとかざす、するとそこから黒霧が出現し、一月の首へと絡みついた。


「ぐっ!」


 苦悶の声が漏れ出る、しかし一月は抵抗しなかった。黒霧を振りほどこうとも、天庭で反撃しようともしなかった。


《いつきダメだよ、殺されたら、いつきも取り込まれちゃう。そうしたらもう、誰も鬼を止められなくなる!》


 千芹が縋るように言ってくる。

 だが既に一月は戦意を失っていた。戦う意思も、その資格もない――自分がしてもいいことは、ただ黙って鬼となった琴音に殺されることだけだ、そう思っていたのだ。

 自分が死ぬことで、少しでも琴音の気が晴れるのなら、こんな命の使い道としては上等だろう。それが一月の結論だった。

 黒霧に首を締め上げられつつ、一月は千芹へ言う。


「ごめん、僕はもう……生きていられない」


 抑揚を欠いていて、覇気のない声だった。

 天庭を握る右手から、一月は力を抜いていく。


《やめていつき、お願いだから!》


 滑り落ちるように、一月の手から天庭が離れた。

 鬼と戦うための武器を、自らの命を守る生命線ともいえる武器を、一月は捨て去ったのだ。

 天庭が床に落ちた瞬間、重々しい金属音が仏間中に響き渡った。まるで、死を告げる鐘の音にも思えた。

 

《死ね……!》


 一月は目を閉じ、ただ黙って黒霧に身を委ねる。

 天庭を失った今では抵抗する術もないし、そのつもりもなかった。


(琴音、殺したいほどに、僕を恨んでいたんだね……)


 今のこの状況は、琴音が亡くなる原因を作り出した自分への罰だった。

 鬼となった琴音が、何故自身に猛烈な怒りや憎しみを向けるのか。二年前の九月二十三日の出来事を見せられた一月は、その答えを否応なく思い知らされた。

 一月の首を絞める黒霧に、一層の力が込められる。


「ぐ、うっ……!」


 薄っすらと目を開け、一月は目の前にいる琴音を見つめた。

 鬼と化した想い人には一片の躊躇も、憐れみもなかった。あるのは一月への怒り、憎しみ、そして殺意だけだった。

 彼女をこんな姿にさせたのは、自分。その事実が一月に重く圧し掛かり、生きる意志すら奪っていく。

  

(僕にできる償いは、黙って殺されること……)


 心中で呟き、また目を閉じようとした、その時だった。


《だめだよ》


 一月が仏間の床に捨てた天庭、その刃が一際大きな光を放ったと思った瞬間、千芹の姿が現れる。

 彼女自身の意思で、天庭の刃から分離したのだろう。白い和服や、長い黒髪が仏間中を照らす光に舞い乱れた。

 

「いつき、そんなのは償いじゃない」


 袂から、小刀が取り出される。彼女が何をするつもりなのか察し、一月は制する。


「やめろ、僕は……!」


 しかし彼女はそんな言葉を意にも介さず、幼くも可憐な声で真言を唱えた。


「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽!」


 それに共鳴するように、彼女が持つ小刀が青い光を宿す。

 千芹は琴音が放っている黒霧に走り寄り、それを小刀で一閃した。火花が炸裂するような音とともに、黒霧が両断されて消滅していく。

 長時間締め上げられていた首が解放され、一月は床に崩れ落ちた。

 二重になった視界が揺れ動き、体の自由が効かなくなっていた。


「琴、音……」


 意識が途切れる間際に、一月はまた、鬼となった琴音の姿を目にした。






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