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其ノ零 ~一月ノ追憶~



 人が死を迎ふる時、その肉体は土へと帰るが、生前にその者が抱きたりし想ひは現世に残る。


 怒りや恨み、憎しみ、嫉み。現世に残されし死人達の負の想ひは連なり、寄り添い、やがて『鬼』となりて形を成す。


 鬼となりし負の感情の塊は、行き場のなき想ひを鎮める生贄を求めて生者を襲い、死の世界へと誘ふ。


 死の世界へと誘はれし生者の魂は鬼の負の思念に取り込まれ、思ひ出も記憶も、理性も全て失ひ、鬼の一部となる。






                                                            ――鵲村の古い言い伝えより。











 一人の女の子の話をしよう。

 その子の名前は秋崎琴音、この鵲村では割合珍しく、いたって普通の苗字を持った家庭の子だ。

 出会った時のことは今でも忘れられない。あれはまだ小学生の頃、剣道場で初めて見た時、琴音は周囲の男の子にも劣らない覇気を帯びた声を出しながら竹刀を振るっていた。面を外してその顔が見えるまで、僕は彼女を男の子だと勘違いしていたくらいだ。


 同じ剣道の先生のもとで稽古に励む間柄、つまり同門という関係になってから僕と琴音はすぐに意気投合し、剣道のことや、それ以外にもたくさんの話をした。同じ小学校の、しかも隣のクラスに在籍していると聞かされた時は本当に驚いたのを覚えている。

 同門となり、さらに小学校でも顔を合わせるようになった僕達は、ますます一緒にいることが多くなっていった。昼休みには校庭で語り合い、放課後にうちに遊びに来たりもした。気づいた頃には、琴音は僕にとって一番親しい友達になっていたんだ。

 他の友達も何人か誘って神社のお祭りに行ったこと、夏の道場レクリエーション会で一緒に花火をしたこと……琴音との思い出は、思い返せばとめどなく浮かんでくる。


 中でも印象に残っているのは、やっぱり小学校の卒業式の日のことだろうか。

 あの日、式を終えた僕は賞状筒を片手に鵲村の道を歩いていた。夕日が景色一面をオレンジ色に染め上げ、とてもきれいだったのを今でも覚えてる。

 すると突然後ろから呼び止められて、振り返るや否や琴音が僕の右袖を掴んで駆け出した。僕がどんな問いかけをしても、彼女は溌溂とした表情で『一緒に行きたい場所がある』とだけ告げた。

 子供に引きずられるソリの気分を味わうこと数分、やっと琴音が足を止めてくれた時、僕らは通い慣れた剣道場の前にいた。そして琴音はやっと、僕をここに連れてきた理由を教えてくれた。

 彼女は、僕と剣道の試合がしたかったのだ。

 それまで、僕は琴音と真剣勝負をしたことが幾度かあったが、結果はいずれも僕の負け。彼女の腕前は、同年代の男の子を簡単に打ち負かすほどのものなのだ。小学校卒業を期に、僕がどれほど強くなったか見極めたい。彼女は僕に竹刀を手渡しながらそう告げた。

 面のみを装着し、それ以外の部位は狙わない。勝敗条件は面を一発打たれたら負け、そういうルールを設けて、僕らは二人しかいない道場で試合を行った。

 機敏で一切の無駄を欠いた足さばき、針の穴を通すように正確に繰り出される打ち――結果はやはり僕の負けだった、琴音が得意とするフェイント……つまり相手を惑わす動作を伴う攻撃にはまって面を打たれてしまったのだ。彼女の強さ、そして僕の未熟さを改めて思い知った瞬間だった。

 試合後に面を外し、背中を壁に預ける形で座り込んでいると、僕の頬に冷たいお茶のペットボトルが押しつけられた。琴音の仕業だった。

 僕の隣に腰を下ろして、彼女は色々と講釈を始めた。

 足さばきをもっと練習すべきだとか、フェイントにとらわれてはいけないとか……僕に足りないことを色々と教えてくれて、そして最後に琴音は僕にこう言った。


 ――小学校卒業お互いにおめでとう、中学校でも一緒にがんばろうね。


 剣道場の片隅で交わした約束通り、僕らは進学後も剣道場へ通い続けた。さらに僕らは中学校の剣道部にも入部し、小学校の時以上に剣道の練習に打ち込むようになった。

  その頃からだっただろうか、今までショートの髪型だった琴音は髪を伸ばし始め、胸もふくらみ初めていて、小学校の頃よりもずっと女の子らしくなっていた。

 僕はこれまで琴音を一番大事な友達だとは思っていたけど、彼女にそれ以上の感情を抱いたことはなかった。

 その気持ちを自覚するのに、そう時間はかからなかった。僕は、琴音が好きになっていたんだ。真面目でひたむきで優しくて、何事にも一生懸命な彼女のことが、いつの頃からか好きになっていたんだ。

 だけど、彼女にその想いを伝えようとはしなかった。今はまだ、琴音とは『仲の良い友達』という関係でいいと思ったから。彼女と共に剣道の稽古に励めるだけで、彼女の側にいられるだけで十分だと思っていた。だから抱いた想いは胸の中に仕舞って、ただひたすらに強くなることを目指し、彼女の背中を追い続けていた。


 中学二年の夏、剣道大会の決勝戦にて、僕と琴音は相まみえることになった。

 公式大会ではない道場主催の大会であるがゆえ、男子の僕と女子の琴音が当たることになったのだ(もちろん体力の差を考慮し、ハンデは設けられていた)。

 結果的には、やはり僕は彼女にはかなわなかった。だが試合後に僕を満たしていたのは悔しさではなく、感じたことのない清々しさだった。何年も共に稽古に励んだ彼女と全力をぶつけ合い、そして負けたのだから悔いなど一片もなかったのだと思う。

 

 閉会式が終わって、僕は琴音と話していた。すると、僕の母親が会場まで迎えにきた。

 母は琴音と僕が一緒にいるのを見て、バッグからカメラを取り出した。そしてなんと、二人で記念撮影しないかと提案してきた。母さんは、琴音と僕が小学校から仲の良い友達だということを知っているのだ。

 母の提案に、僕は渋った。周りに人が沢山いるのに女の子とツーショットなんて恥ずかしかったから。

 けど、琴音の方はそんなことを気にする様子も見せず、ノリノリで僕の腕を引っ張った。

 突然の出来事に戸惑ったけれど、内心は嬉しかった。まさか、こんな場で好きな女の子と写真を撮れるとは思っていなかったから。


 その時に撮った写真は、今も机の上に飾ってある。そして、そこにある琴音の笑顔を見ると、数年経った今でも彼女のことを思い出す。

 道場で初めて知り合った時のこと、一緒に剣道の稽古に励んだこと、この写真を撮ったあの決勝の日のこと……数えきれない琴音との思い出が、砕かれた鏡の欠片を散らすように僕の頭に蘇る。

 そして同時に、耐え難い程に胸が苦しくなる。苦しくて悲しくて悔しくて、自分の何もかも全てを、投げ出してしまいたくなる。


 ……ああそうだ。まだ、言っていなかった。






 彼女は、琴音はもう、この世にはいないんだ。






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