其ノ拾七 ~天庭~
真剣と一緒に見つけた便箋には、黛からのメッセージが記されていた。
一月は早速、それを黙読する。内容はまず、注意書きから始まっていた。
『まず初めに断りを入れておく。もしも今これを読んでいるあなたが、ここに書かれている内容を馬鹿馬鹿しいと感じたとしても、決して投げ破いたりはしないでほしい。
否、絶対にしてはならない。
ここに記されていることは、何人もの人間の生命に関わる重大な事項である』
便箋を破棄することを厳重に禁じる警告。一月にはそれだけで、その先に書かれている内容が予想できた。
いつの間にか浮かんだ汗が頬を伝う、まばたきもせずに、一月は読み進めていく。
『調査の結果、やはり私は女子中学生変死事件、並びに一連の失踪は、鵲村の言い伝えに出てくる鬼と呼ばれる存在によってもたらされたという確信を得た。
そして、鬼を止める為の手段も見つけ出した。
だが、私には、この鵲村に現れたあの恐ろしい鬼を止められない。独自調査によってここまで辿り着いたのだが、あと一押しが出来そうにない。
日に日に私の体調は悪化の一途を辿っているからだ。あと数週間のうちに、私は村外の病院へ入院しなければならないだろう』
黛は病を患い、入院を余儀なくされた。
漣から聞かされていたことではあったが、やはり一月はショックを隠せなかった。かつての師が病魔に蝕まれていたとは、今日この道場を訪れなければ気づくこともなかっただろう。
その先には、事態の核心に迫ることが書かれていた。
『ここから先は、是非とも心して読んでほしい。
もしも、この手紙を読んでいるあなたが、この内容を真実と受け止めてくれるのなら。
是非ともあなたの手で、鬼を退治してほしい。あなたの手で、この悲劇の連鎖を断ち切って欲しい。
そして、かつて私の剣道の教え子だった彼女――秋崎琴音さんを、鬼の呪縛から救い出してほしい。
琴音さんは鬼に取り殺され、彼女は今鬼の一部と化している。
彼女の死の真相を知るべく、私はルポライターとして駆けずり回ったが、鬼に取り込まれた彼女を目前にして、体調を崩すという不甲斐ない結果に終わってしまった』
琴音の死の真相を求めていたのは、黛も同じだった。
さらに黛は、一月よりも一歩も二歩も先を進んでいたようだ。彼は真相を突き止めただけでなく、この状況を打開する術も見つけ出していた。
その先には、『鬼を止める手段』が記されていた。
『人智を超越した存在である鬼は、本来人間の抗いが通じる相手ではない。しかし霊的な力を持つ道具を以てすれば、その限りではないだろう。
この便箋の側に、霊的な力を秘めたある品を置いておいた。それを見て欲しい』
あの真剣のことだと、一月にはすぐに分かった。
千芹が持っていたそれに視線を向けると、彼女は鞘に彫られた文字に指を添えながら、
「おん・あぼきゃ・べいろしゃのうまかぼだら・まにはんどまじんばら・はらばりたや・うん……」
聞き覚えのある言葉だと感じたが、当然だった。あの廃屋で、千芹が小刀に青い光を宿す時に唱えたのと同じ呪文だ。
千芹は説明する。
「これは、鬼を払いのける力が込められた霊具なの。この道場に入る前、わたしはなにかの力を感じたけど……この剣がその大元みたい」
この真剣に関する説明が、その先には記されていた。
『“霊刀・天庭”。
何十年も前、鵲村の名のある僧侶が自身の手で打ち出し、その手で魔除けの力を込めた真剣である。年季が入って古びてしまってはいるが、鬼を払うだけの力は残されているはずだ。
願わくば、私に出来なかったことを、この便箋を手に取った貴方に託したい。
――黛 玄生』
天庭、それがこの真剣の名のようだった。
黛が見つけ、鬼を止める術として誰かに託し、それを今、かつて彼の弟子だった自分が目の前にしている。一月はなにか、運命のようなものを感じた。
一月は改めて真剣――天庭と名付けられた、黛の置き土産を見つめる。
メッセージの内容が本当ならば、これを使えば琴音を止められる。人間の抗いなど到底通じないであろうあの鬼に、対抗できる。
しかし一月は、なにか引っ掛かるものを感じていた。
(けど、それって……)
と、その時千芹が一月に手を伸ばし、
「いつき、それちょっとわたしにも見せて」
言われるまま、一月は彼女に便箋を手渡す。
千芹は十数秒ほど、それにじっと視線を集中させた後で、
「……どうするの? いつき」
判断を委ねるように、問うてきた。
黛は事件の真相に迫りつつあったが、その体がついてこなかった。そこで誰かが後を引き継いでくれることを祈り、あのメッセージと真剣を残したのだ。
鬼と化した琴音を止めて欲しかった、あの廃屋に今も巣食い、そこに足を踏み入れる人間を次々襲っては、その命を取り込み続ける。誰かがその負の連鎖を断ち切ることを望んでいたのだ。
だが、まさか自身の弟子であった一月がこの手紙を見つけるとは、微塵も予想していなかったに違いない。
やるか、やらないか。本来選択の余地はないはずだった。
しかし一月は、千芹と視線を合わせて首を横に振る。
「僕には……」
無理だ、とははっきり言わなかった。しかし意味は通じたらしい。
その表情に悲しみの色を滲ませながら、千芹が言う。
「どうして……?」
千芹がどんな答えを望んでいたのかは明らかだった。だが一月には、首を縦に振れない理由があったのだ。
彼女から視線を外して、一月は言う。
「そこに書かれてる内容が本当かどうか定かじゃないし、僕は本物の剣なんか扱ったこともない……前は君が助けてくれたから良かったけれど、今度は……」
前は千芹のお陰で死を免れたが、次もそうなるとは限らない。
またあの時のように手の平を串刺しにされるか、それ以上に残虐で、苦痛を伴うことをされるかもしれない。
千芹が歩み寄り、
「でもいつき、誰かが止めないと、あの鬼はこれからも人を……」
一月の顔を見上げながら、彼女は言った。
重々、理解しているつもりだった。今こうしている間にも、誰かが面白半分にあの廃屋に踏み入り、鬼の餌食になっているかもしれないのだ。
しかし、そのことに関して一月は、一つの答えを導き出していた。
「分かってる、だけど用はあの廃屋に誰も入らないようにすればいい、警察に経緯を説明して説得すれば、きっと……!」
どう説明するというのか、誰がこんな現実離れした話を信じてくれるのか……可能性は限りなく低く感じられた。
だが、それこそが現時点での最善策であると一月には思えたのだ。警察が信じてくれなければ、あの廃屋の入り口に釘でも打ちつけて侵入不可能にするという術も思い浮かんだ。
……無駄に終わる気しかしなかったが、再び鬼と化した琴音の前に出ることは避けたかった。
一月は千芹から視線を外して、教官室の出入り口へと進む。
(それに何より、琴音に剣を向けるだなんてことは……)
それこそが、黛の後を継ぐことを拒む最たる理由だった。
たとえ鬼と化していても、想い人である少女に剣を向けることは出来そうになかったのだ。
教官室から出る間際、後ろにいるであろう千芹に言う。
「その手紙と剣、元の場所に戻しておいて」
その言葉を最後に、一月は教官室から出た。