其ノ拾参 ~道標~
「しょうりょう……?」
聞き慣れない言葉に、一月は繰り返した。すると千芹はこくりと頷く。
ふと一月は、今朝聞いた彼女の言葉を思い出す。何かに例えれば、自分も鬼のような存在……千芹は確かに、そう言っていた。
鬼と化した琴音と同様に、千芹も元は生きていた人間だった、そういうことなのだろうか。
「もしかして、君も鬼になった琴音みたいに、元は人だったってこと?」
一月の問いかけに、千芹は少しの間を開けて応じる。
「ごめん、その質問には……今は答えられない」
気になることではあった。
しかし千芹がどこか表情に陰を浮かべたような気がして、一月はそれ以上問いを重ねようとはしなかった。彼女が人間ではない存在であろうとも、感情や表情は人のそれと何ら変わらなく思えたのだ。
精霊だとしても幼い女の子だ、傷つけたりしてはならない。千芹はこの異常事態の唯一の理解者であり、そして一月の命を救ってくれた恩人でもあるのだから。
「分かった……」
一月がそう応じた直後、チャイムが鳴り渡った。
はっとしたように時計に視線を向ける、時刻は十二時四十五分、既に昼休みの時刻だった。
(もうこんな時間……そんなに長く眠ってたのか)
登校して間もなく保健室に行ったので、少なくとも三時間は眠っていたことになる。
扉の向こうから、生徒達の声や足音が聞こえてくる。昼休みなので、購買に行ったり体育館へスポーツをしに行くのだろう。
喧騒は次第に大きくなり、保健室内にも届く。ここにも人が来るかもしれない、騒がしいのはごめんだと感じた一月は、この場から退散する支度を始めることにした。
パイプベッドから立ち上がり、靴を履く。
「どこか行くの?」
制服の乱れを直しつつ、一月は返答する。
「図書室に行く。琴音が殺された事件のこと……詳しく調べてみる」
◎ ◎ ◎
図書室に足を運ぶのは、一月が高校に入学して以来、初のことだった。
入口の近くに司書と思しき教員がいたが、室内に生徒の姿は見受けられない。保健室と同じように、ここも雨音だけが鳴り渡る無機質な空間だった。
司書の教員に小さく会釈し、一月は備えつけられたコンピューターを操作して蔵書検索エンジンを立ち上げる。検索欄に『鵲村女子中学生変死事件』と入力したが、一月はすぐにエンターキーを押そうとはしなかった。
(やっぱり、いい気分じゃないな)
どこかからか湧き出た躊躇の気持ちが、一月の指を止めていた。
鵲村女子中学生事件を調べるということは、琴音の死の真相に迫ることでもある。真実を突き止めたいのは事実だったが、今朝のようにまた気分が悪くなるかもしれない。
事件に深入りしていけば、知らない方が幸せだった事実に直面することも考えられる。
「いつき、どうかしたの?」
近くに司書の教員がいるので、一月は千芹の顔を見ながら首を横に振った。
一月以外の人間には千芹の姿は見えず、彼女の声を聞くこともできない。誰かが近くにいる状況で千芹と会話をすれば、はたから見れば一月が独り言を喋っているように見えてしまう。
(引き下がることなんか、もう無理だ)
意を決して、一月は『検索』のパネルをクリックした。
数秒の後、検索結果が表示される。ヒット数は一件、ある本の題名が画面には映っていた。
否、正確には本というよりも、新聞の切り抜きなどの資料をまとめ、作者の考察などを記した著書らしい。タイトルは、『鵲村女子中学生変死事件に関する考察』だ。
一月はすぐに、蔵書の位置を確認した。
(四番の棚……!)
検索で見つけた著書を探すため、一月は図書室内の棚に記された数字を追っていく。
その最中で言いようのない不気味さを感じ、ふと足を止めた。
(ん? こっちだけ少し暗いような……)
雨雲に遮られて陽の光が届かず、昼間の時刻だが電気が点けられている。
しかし四番の棚の方へと向かうごとに、暗くなっていくのだ。原因はすぐに分かった。
(蛍光灯が切れてる……)
四番の棚の真上に位置する蛍光灯が、光を発していなかった。
交換もしないなんて、司書の教員は何をしているんだと思う。ふと一瞥してみると教員は椅子にふんぞり返って携帯電話をいじっていた。司書の仕事に対して、さほど意欲的ではないのだろう。
四番の棚を見つけた一月は、早速目当ての著書を探してみる。しかし薄暗くて不便だったため、廃屋の時と同じように携帯電話のライトを照らした。
(『神戸児童連続殺傷事件の真相に迫る』……『女子高生コンクリート詰め殺人事件・狂宴の殺人劇』……)
背表紙に記された題名を読んだだけでも、猟奇的な雰囲気が漂う本が陳列されていた。
この四番棚は、過去にこの日本で起きた凶悪事件に関する著書を集めたスペースらしい。他にも、題名を見ただけで凄惨な光景を呼び起こすような本が多数保管されていた。
(もしかして、ここが『四番目』の棚だから……?)
忌み数と称される『四』と、人間の『死』。
偶然そうなったのか、或いは学校が計らってそうしたのか(だとしたら悪趣味な気もするが)。一月には分からない。
「いつき、あそこ」
しばらく黙って一月の後を歩いていた千芹が、棚の上部を指差した。
その先に視線を向けて、一月はようやく見つけることができた。探していた本、『鵲村女子中学生変死事件に関する考察』である。
「あれか……」
背伸びして、本を手に取った。さほど厚くはなく、ページ数は多くないようだ。
手近な図書机に向かい、一月は早速本を開いてみる。
少しの間その内容を黙読していると、千芹が問うてきた。
「なにが書いてあるの?」
「ちょっと待って……」
また、一月は黙々とページをめくり続けた。
数分の後、雨音だけが鳴り渡る図書室の中に、彼の驚きの声が発せられる。
「これは……まさか、こんなことが……!」