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其ノ拾壱 ~雨雲ノ下~


 鳴り渡る雨音が、否応なく鼓膜を揺らしてくる。

 汚水を吸った脱脂綿のごとき雲が空を覆いつくし、無数の雨粒を鵲村に降らせていた。陽が遮られているせいだろう、いつも感じている秋の空気が、今日は一段と冷たく感じた。

 見慣れた村の風景も、この天気ではどこか陰鬱で、物悲しげな雰囲気を帯びている気がする……傘を差して歩を進めながら、一月はぼんやりとそんなことを思った。

 遠くの道路を見渡してみると、登校する児童達を数人の大人が引率しているのが目に入った。村で頻発している、神隠しとも噂される失踪事件、その対策だろう。


(そういえば……)


 ふと、あることが気にかかり、一月は後ろを振り向く。

 すると、彼の背中を追う形で歩いていた千芹が顔を上げ、二人の視線が重なった。


「君、寒くないの? 傘も差さないで……」


 鬼のことが頭を巡っていて、気が回らなかった。

 千芹の着衣は白い和服のみで、それだけで寒さをしのげるとは到底思えない。しかも彼女は傘も差しておらず、その小さな体を雨にさらしている状態だ。しかも足元を見てみれば、着物の裾から素足が覗いていた。

 こんな状態で、女の子を歩かせていた……申し訳なさが込み上がる。

 しかし千芹は、


「大丈夫だよ、わたしは寒さなんて感じないから」


 少しばかりの笑みと一緒に、一月の心配を断った。

 その顔を見て、一月はあることに気がつく。

 

(濡れて、ない……?)


 千芹の顔に雨粒はついていないし、その長い黒髪にも濡れた形跡は見受けられない。彼女の白い和服には汚れの一つもなく、積もりたての新雪のような純白のままである。

 どうしてなのか、一月はそう考えたが、すぐ結論を導き出す。

 鬼と同じく、千芹は人智を超えた存在なのだ。ならば人間の常識の範疇にある現象、つまり雨に打たれるということも受けつけないのだろう。

 

(この子は、一体……)


 千芹の顔を見ながら、改めて一月は彼女を不思議に思う。

 この少女は鬼となった琴音と同じか、もしくはそれ以上に謎に満ちた存在かもしれなかった。現時点で判明しているのは、少なくとも一月に対して害をもたらす存在ではないということのみだ。

 疑問は尽きなかった。しかし、現時点では彼女だけが頼りであるようにも思えた。一月の今の状況を理解してくれるのは、千芹の他にはいない。

 疑問を抱きつつも、一月は学校へ向かって歩を進め始める。



  ◎  ◎  ◎



 その日も、一月はいつもと変わらない高校生活の流れをなぞった。

 右側の門柱に『鵲村第一高校』と刻印された校門をくぐり、高校の敷地内へと踏み入る。玄関で上履きに履き替えて廊下を進み、階段を上がり、そして再び廊下を進み、自身の所属するクラスの教室へ向かう。一月だけでなく、誰もが繰り返しているであろう、朝の習慣だ。

 けれど、今日は少しばかり違った。普段ならば、誰かと一緒に登校することはない。しかし今日は、一月の後ろを千芹が歩いているのだ。

 もし、彼女の言っていたことが本当ではなかったら。一月のそんな不安は、早々に取り越し苦労だったと彼自身が実感することになる。

 千芹の言った通り、彼女の姿は一月以外には見えていないようだった。教室に向かう最中、一月は他の生徒と幾度もすれ違った。しかし、誰一人として反応を示さなかったのだ。一月以外の人間には、千芹の姿を見ることも声を聞くこともできない、千芹の言ったことは本当だった。

 雨音に鼓膜を揺らされつつ、一月は教室に踏み入る。その最中、彼はふと後ろを振り向いた。


「ん……?」


 ずっとついて来ていると思っていた、千芹の姿がなかったのだ。

 どこに行ってしまったのだろうか、そう思って一月は周囲を見渡してみたが、彼女の姿は目に入らなかった。彼女が着ている白い和服はよく目立つから、見逃しはしないだろう。


(どこに……)


 もしも万が一、なにかの拍子で千芹の姿が他の者に見えてしまったら、騒ぎになるのは間違いなかった。探しに行こうかと思った時、チャイムが鳴り渡った。

 朝のホームルームが始まる、千芹を探しに行く猶予は一月に与えられなかった。

 陽の光が届かず仄暗い教室を歩き、一月は着席する。


「金雀枝、遅刻寸前だぞ」


 教師の声に、一月は鞄から教科書やノートを出しながら応じた。


「すいません先生、ちょっと寝坊で」


 教師は出席簿を開くと、生徒達に向き直った。


「朝のホームルームを始める前に、ここにいる全員に尋ねておきたいことがある」


 生徒達は皆、静かに教師の話に耳を傾ける。一月もその一人だった。

 雨音は鳴り止む気配がなく、むしろ時間と共に強さを増しているようにも感じられた。


「もう知っている者もいるかも知れないが、天恒と佐天が昨日から家に帰っていないんだ。親に連絡もないそうで……誰か、なにか知らないか」


 生徒達がざわめき始める。

 

「う、嘘だろ、まさか例の失踪事件……!?」


「呪われてんじゃねーかこの村……」


「ちょ、ちょっとやめてよ、そんな怖い話……」


 さっきまでと打って変わったように、騒がしくなった教室内。その中で一月はまばたきもせず、ごくりと唾を飲み込んだ。

 二人の女子生徒がどうなったのか、恐らく彼だけが知っている。だが、もちろん言い出せなかった。

 否応なく、周囲の生徒達の声が耳に入ってくる。


「ねえ、そういえばあの二人……『秋崎の廃屋』に行くとか言ってた気がするんだけど」


「え、それってあの『鵲村女子中学生変死事件』で殺された女の子の……?」


 その時だった。

 窓の向こうで雷鳴が轟き、教室全体が大きく照らし出されたのだ。


「っ!」


 途端、一月の脳裏に廃屋で見た凄惨極まる光景が蘇った。蘇ったというよりも、『映し出された』と言う方が正しいかもしれない。

 目の前にあったが見えなかった光景が、雷鳴の光と衝撃によって強引に映し出されたかのような感覚だった。

 廃屋の仏間にゴミのように放置されていた、二人の女生徒の惨殺死体。制服ごと大きく裂かれた腹部、そこからはみ出していた胃や腸や肝臓や腎臓、見開かれた充血した両目。命を持って動いていたとは思えない、血塗れの肉塊と化した二人の女生徒の姿、さらに臓物が放つ生臭い臭気までもが、フラッシュバックのように一月の脳裏へと蘇ってきたのだ。


「うっ!」


 呻くような声と共に、一月は机に身を倒した。その拍子に、彼の机の上に乗せられていた教科書やノートや筆記用具が床に落ちる。


「金雀枝、どうした!」


 異変に気づいたのだろう、教師が自身に駆け寄ってくるのを、一月は感じた。

 背中をさすられる感触がする。


「どうしたんだ……大丈夫か、気分が悪いのか?」


「うっ……!」


 教師の声に応じることはできなかった。込み上がる吐き気に、ただ一月は机に身を伏せるだけだ。


「保健室に連れて行ってくる」


 教師に助け上げられるようにされ、一月は教室から出た。

 鵲村を覆う灰色の雨雲は、一向に晴れる気配がない。雨脚は次第に強くなり、再び巨大な雷鳴が轟いた。






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