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其ノ拾 ~千芹~


 一月が生まれ育ったこの鵲村には、古くから伝承されてきた言い伝えがある。

 それこそが、少女が読み上げたあの伝説。死人がこの世に残した怨みや憎しみは鬼となり、鬼は生者を取り殺して死の世界へ引きずり込む……聞く側としては、いかにもオカルトめいているだろう。

 この村の者ならば一度は耳にしたことがあるであろう話、もちろん一月も知っていた。でもこれまでは空想に過ぎないもので、いわばおとぎ話のように考えていた。

 しかし、その認識は変わらざるをえなくなる。他の誰でもない一月自身が、鬼となった琴音を目にしてしまったのだから。

 まばたきも忘れ、一月は唾をのむ。

 

(こんなことが、現実に起こるだなんて……)


 悪い夢ならば、早く覚めてほしいと思った。口の中がカラカラに乾いて、手の平には汗が滲んでいた。

 一月の心中を察したのだろうか、少女が遠慮がちに問いかけてくる。


「いつき、大丈夫? 確かに信じられないっていう気持ちは分かるけど……」


 返す言葉が見つけられず、押し黙る一月。その時ふと、ある疑問が頭に浮かび、少女と目を合わせた。


「どうして……琴音の姿を?」


「え?」


 目を丸くする少女に、一月は言葉を重ねた。


「あれが本当に鬼だとして、どうして琴音の姿を……!」


 鬼という存在が単なる迷信ではなく、現実のものだと受け入れることに決めた。

 しかし一月には、それがなぜ琴音の姿を有しているのかが疑問だった。想い人であった少女が、どうしてあんな姿になって現世にいるのか、それを知りたかったのだ。

 至極まっとうな疑問だ、少女はそう言いたげな表情を浮かべ、口を開く。


「今、鬼の媒体となっているのがことねだからだよ。それまで実体を持たなかった鬼はことねを取り殺して、それからことねという存在を核にして、ことねという器を手に入れて……あの廃屋に潜み、人を殺め続けてきたの」


 一月は、少女の言葉に秘められた重大な事実をくみ取った。


「じゃあ……琴音は人間じゃなくて、鬼に殺されたっていうこと……?」


 少女は小さく頷いた。

 現実離れしすぎていて、未だに本当かどうかは疑わしく感じた。だが、死んだはずの琴音が鬼となって現れた事実のもとでは、もう常識など存在しないように思えた。

 一月はふと、琴音が殺された事件に関する記事の内容を思い出した。

 記事によれば、殺害の際に使用された凶器も特定できなければ、現場周辺からは犯人に繋がる痕跡も一切発見されなかったという。さらに警察は入念な捜査を続けているが、未だに手掛かりの一つも掴めずにいるとのことだった。

 当然だった。凶器も痕跡も、見つかるはずがないのだ。

 琴音を殺したのは、人間ではなかったのだから。


(まさか、こんなことが……)


 一月は押し黙った。期せずして知ることとなった事件の真相は、あまりにも想定外で受け入れがたかった。

 ふと、壁の時計に視線を向ける。

 時刻は朝の七時半に迫っていた。あの廃屋から戻ってきたまま(そもそも、廃屋にいた時間すらも分からないが)、ずっと眠ってしまっていたらしい。

 学校に行くような気分ではなかったが、ずる休みをする気にはならなかった。それにこのまま何もかもを抱え込んでじっとしているより、とにかく動いていたい気分だった。

 手早く教科書やノートを整えて鞄に押し込む、部屋を出ようとして、後ろから話しかけられる。


「学校に行くの?」


 少女に背を向けたまま、一月は応じた。


「うん」


 一月が部屋から出ていく最中、少女は机の上の写真立てに収められた写真を見つめていた。数年前、まだ琴音が琴音が一月と共に笑顔を浮かべている。

 写真を見つめる彼女の表情は物憂げで、悲しみが滲んでいた。

 もちろん一月は、そんな彼女の様子に気づくはずもなかった。



  ◎  ◎  ◎



 自室と変わらず、居間でも雨音が鳴り渡っていた。昨日から雲行きはすでに怪しかったが、想像以上の大雨らしい。

 ダイニングテーブルに、メモが残されていた。


『今日は帰りが遅くなります、夕飯は冷蔵庫にカレーがあるから』


 母からのメッセージだった。

 そしてメモの近くには目玉焼きやサラダが盛りつけられた皿があり、ラップがかけられていた。母が朝食として用意してくれたのだ。まだ温かく、作ってからさほど経っていないことが分かる。

 一月は台所へ向かい、引き出しから箸を、そして戸棚から『ウスターソース』のラベルが貼られた容器を取り出した。一般にはトンカツや魚のフライにかけるソースだが、目玉焼きには醤油よりソース、というのが一月のこだわりだった。

 容器の蓋を外し、目玉焼きにソースをたらしていく……と、不意に横から声がした。


「どうして目玉焼きにソースかけるの? 普通は醤油じゃない?」


「いっ!?」


 突然居間に現れた彼女に、一月は思わず声をあげてしまった。


「君、いつからそこに……?」


「さっきからいたよ」


 可愛げに小首をかしげ、少女は即答した。一月には足音も、扉を開ける物音も聞こえなかったのだ。

 すると少女は、なにかを思い出したように言う。


「あ、そっか」


 一体どうしたのか、一月が問いかけるよりも先に、少女は彼の顔を見上げながら続けた。


「そういえば、まだわたしの名前も教えてなかったね」


 彼女の言う通りだった。

 幼い外見に見合った、無垢で弾んだ声で、


「千芹、これがわたしの名前だよ」


「ちせ、り……?」


 一月は少女の名前を復唱した。

 ソースのかかった目玉焼きに伸ばしつつあった箸を止め、一月は彼女に、千芹に問う。


「君は……君は一体? あの廃屋で助けてくれたのは覚えてるけど……」


 鬼になった琴音の陰に隠れてはいたが、一月にとっては千芹もまた、謎に満ちた存在だった。

 窮地に陥った一月の前に突如として現れ、彼を救ってくれた白い着物姿の幼い女の子。害を及ぼす存在ではないと思うが、一月も垣間見た彼女の力から察するに、普通の人間ではないだろう。

 千芹はその場でくるりと踵を返し、一月に背を向けた。彼女の長い黒髪が、優雅に空を泳ぐ。


「あえて例えるなら……わたしも、鬼みたいな存在だよ」


 鬼という言葉に、一月は僅かばかりの恐怖を覚えた。

 すると千芹はまた振り返り、


「だけど大丈夫。わたしは鬼みたいに、いつきのことを傷つけたりはしないから」


 純粋で無垢で、一片の穢れもない笑顔を向けながら言う。

 その可愛らしさは、一月が思わずどきりとしてしまうほどだった。


「いつき、学校行かなくてもいいの?」


 千芹の言葉で、一月は自分が登校の支度途中だったことを思い出した。


「あ、やばい……!」


 ソースのかかった目玉焼きを平らげ、洗顔を済ませ、歯も磨く。準備を済ませた一月は、通学用鞄を片手に玄関へ向かおうとしたところで、千芹を振り返った。


「僕は学校行くけど、君はどうするの?」


「わたしも一緒に行く」


 千芹は即答した。


「え、だけど……」


 当然ながら、一月は難色を示す。生徒でもない彼女を学校に連れて行けば、騒ぎになることは目に見えていた。

 すると千芹は、


「大丈夫。いつき以外の人はわたしを見ることはできないし、声も聞こえないから」


 普通ならば到底ありえない話だった。しかし、一月には彼女の言うことが本当だと分かった。

 廃屋での出来事といい、目の前にいるこの少女といい……もう一月は、自身が人間の常識を超えた場所に足を踏み入れていると感じていたのだ。

 少しの間をおいて、一月は首を縦に振る。


「分かった」


 玄関で外靴を履きながら、一月はふと琴音のことを思い出した。

 命を失い、鬼と変じた想い人。彼女は今も、あの廃屋に潜んでいるのだろうか。


(あの事件、もう一度詳しく調べてみよう)


 今、自分がすべきことはなにか。考えてみて、一月はその結論に辿りついた。

 一月の通う高校の図書室には、昔の事件に関する文書や、当時の新聞記事が多数保管されている。それらを紐解いてみれば、琴音が殺された二年前の事件、『鵲村女子中学生変死事件』について、なにか掴めるかもしれない。

 靴紐を縛り、玄関の隅に立ててあった傘を手に取り、一月は玄関扉を開ける。

 後ろには、白い着物姿の少女がついて歩いていた。






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