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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

おなかがすいて

作者: フェリシティ檸檬

うなじを見つめられるくらい、後ろを歩いていた。散髪に行ってから日の経っていないそこは無駄なものが何もない。完璧だった。

蝶が舞っている。

枯れ葉のような色のや、黄金のような色の、大きな蝶たちが、陽多ようたたちの歩く通学路脇の歩道の秋桜に群がっていた。

ある道の横に長くその花壇は続き、黄、白、桃、とりどりの花弁が太陽を透かし、風を受け丈のある茎が踊るように揺れるのを毎日そこを通る人々は目にした。

陽多は前を行く春郎はるおと花と蝶を眺めながら、どんどん歩くペースが遅くなった。起きたまま眠っているようだった。

学校指定のうす青い長袖のシャツの背中にはがっしりしたリュックサックが乗っている。馬鹿でかい、いくらでも物が詰め込めるような真っ黒いそれの上の、頭がくるりと後ろを向いた。

「おせーよ」

わずかにしかめた眉をして、つっけんどんに春郎は言った。呆れたような口調と顔を陽多に浴びせる。

「いつもいつも、なんでこの道でそんなにのらくら歩くんだよ」

立ち止まったふたりの間をひらひらと羽を上下させ、蝶は飛んだ。

「………花、きれいだからさ」

へら、と笑って陽多は答えた。

春郎のひとえは陽多に向かって睨むように細くなり、陽多はそれを見返しながら腰から背がびりびりとした。

視線を左脇の秋の花に春郎が移すと、彼の横を通って蝶がすぐ手前の花芯に留まった。

下唇を落とすように口をほのかに開け、春郎が蝶の蜜を吸うさまを見下ろすのを、陽多は貪るごとく見た。

ここからでも、春郎の下の唇に、ちょんとほくろが浮いているのを確かめられた。

なんの表情も浮かべず蝶の食事風景を黙して見続ける春郎のその口を、自分も蝶のように吸いたいと陽多は欲した。

心底彼らが羨ましかった。

あのほくろに唇を乗せ、その奥の、隠された、蜜のたっぷり詰まった秘密の穴へ舌を入れ込み、思う存分舐め回したい。

陽多の下半身は膨れた。

とにかく栄養が要った。蝶と同じく、腹が減って腹が減ってしかたがない。

花から花へ飛び移る蝶たちからようやく春郎は顔を上げた。

自分を向く春郎から、陽多は斜め下に目を落とした。股間のことに気付かないでほしいと思いながら、どこかで気付いてほしいとも思っていた。とぼとぼと足を進める。

好きだって、言った。

そうしたら、俺もそうだよ、って、言ってくれた。

でもそれは、ほんとうは同じ意味ではなかったんじゃないか。

だってあれから、なんにも変わらない。

春郎に近付きながら、ここ数週間の悩みに陽多の頭は席巻された。

真っ赤な顔で、目尻に涙さえ滲ませながら、必死の形相で伝えたあの言葉を、友人としてのそれだなんて考えるはずがないと、陽多は自分を励まし日々過ごしていた。いまだ携帯電話やスマートフォンの類を持たされていない陽多には、直接会って相対する春郎がすべてだった。春郎のスマートフォンに家から電話するのは気が引けた。だからいつもなにごとも、面と向かって聞くしかなかった。きつい顔をした、低い声の、ゲームと本が好きな中学生。俺のことが好き?とんでもない勘違いなんじゃないか。

でも、聞けない。

暗い思考に支配された陽多は、生まれつき色の抜けた癖のない髪を春郎に向け、そのすぐ前で体を止めた。首を動かせず、自分のアディダスのスニーカーをじっと見た。

「陽多」

声変わりを遥か昔に済ませたかのような、落ち着いた低音が上から降ってきた。

自分の名だと分かっているのに、初めて聴く音楽に心震わせるように陽多は勝手に胸がときめく。

間が、あった。

靴の上を先程の蝶が遊ぶように飛んでいた。

「……………今日、うち、来る?」

蜜を、耳の中に流された。

鼓膜は甘く打ち震え、きゅうとまた、脚の間に熱が溜まった。

ゆるゆると顔を相手の顔の前にさらすと、春郎は再び食事する蝶たちを向いていた。口がきゅっと結ばれ、ほくろが心持ち横に伸びているように陽多に映る。

「……い、いの」

さっと手を伸ばし春郎は白の秋桜の長い茎を指先で掴んだ。親指で葉を弄びながら、うん、と呟く。

「行く」

コンプレックスである垂れた眉が、もっとどうにもならないようすで下に下がっているだろうと、陽多は心中情けなかった。だがそんなこと、今のこの喜びに比べたら、なんということもなかった。

うん、と口の中だけで返事をすると、陽多を見ぬまま春郎は進行方向に体を向け、すたすたと歩き始めた。

また陽多は、春郎の細い首を見つめて後ろを歩いた。ほんのりそこが色付いているように見えるのは、自分の思い込みではないはずだ、と考えながら。

股間の状態のせいで体をかがめながらも、陽多は心が蝶のような軽さで浮き上がるのを感じ、このあとのことに思いを馳せた。

ほくろ。

初めて見たときから、どうにかならないだろうかとずっと、夢想していた。

視線の先を横切る蝶に対し、俺だってこれからやっと、食事だ、と春郎は心のうちで勝ち誇ったように言った。




おわり





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