初登校、初遭遇
校舎の昇降口から右に曲がってすぐ。
職員室のドアの前で、わたしは走って乱れた息を整えていた。
走ったのなんていつ以来だろ。というか、この身体になってからは(感覚的には)初めてなんだよね。
なんてことを考えつつ、ついでにドアの横に設置されていた鏡を覗き込み、変なところが無いか軽く身だしなみをチェックする。
うん、大丈夫っぽい。
そして鏡に映った自分の顔を見て、やっぱりまりかちゃんだなぁ、と改めて思った。
朝顔を洗うときにも思ったけれど、わたしの顔、というか身体は、いつも画面越しに見ていたはずのヒロインとそっくり同じになっていた。
肩まであるふんわりした栗色の髪の毛。透き通るように白い柔肌。
卵形の輪郭を持つ顔には、ぱっちり二重の瞳と、小振りでつんとした鼻。そして形の良い桜色の唇がそれぞれバランス良く配置されている。
うーん、自分で言うのもなんだけど、結構な美少女だなぁ。
美人というよりは可愛らしい系で、さすが乙女ゲームのヒロインという顔立ちをしている。
わたしもプレイするたび可愛らしいな、と思ってはいたけれど、それが今は自分の顔になってるっていうんだから心中複雑である。
息が整ってきたのでコンコン、と控えめに職員室のドアをノックした。
すぐに中から「どうぞ」と入室許可を告げる声が聞こえてくる。わたしはスライドになっているドアを静かに横に開けると、一度軽く会釈してから職員室に入室した。
「失礼します。あの、わたし今日編入してきた……」
職員室を軽く窺いつつ、わたしがそう来意を告げると、「ああ、君が編入生の結倉さん? 待ってたよ」と、ドア付近の席に座っていた男性が反応した。
うーん、結倉さんって呼ばれるの、慣れないわー。
そう思いつつも「はい」と頷くと、彼は座っていたキャスター付きの椅子から立ち上がると、デスク近くの椅子へとわたしを案内した。
眼鏡を掛けた、温厚そうな雰囲気を持つ整った顔立ち。知性的な眼差しの瞳に、上品な笑みを浮かべた口元。すらっとした長い手足と、さり気ない育ちの良さを感じさせる立ち居振る舞い。
「僕は水町彰。結倉さんが今日から入ることになる2年A組の担任だから。よろしくね」
椅子に座ったわたしの向かいの席に座りながら、彼は軽く微笑み、そう親しげに自己紹介をしてきた。
ピコンッ!
≫水町 彰 みずまち あきら
≫私立叡ノ森学園高等科2ーA担任。生物教諭。
水町先生が自己紹介した瞬間、わたしの頭の中にそんな表記が浮かんだ。ような気がした。
あー、はいはいはい。これってあれっすよね。ゲームやりすぎて現実世界でも何かするたびにレベルアップ音とかのSEが頭の中で勝手に鳴ったりするていう、ゲーヲタの間ではお馴染みのあの現象。
そりゃ何十回と繰り返し見た場面ですからね。そりゃーこんなゲームと同じ幻聴も幻覚も有り得ますよね。ははははは。
「結倉さん? どうかした?」
いきなりがっくりと肩を落としたわたしに、水町先生が不思議そうに尋ねてきた。……いや、すみません。ちょっと自分のゲーヲタっぷりに落ち込んでただけです。
なんでもないです。大丈夫です。と顔を上げたわたしに、「そう? じゃあ、色々説明していくからよく聴いていてね」と水町先生がなにやら資料を片手に説明を始めていく。
主に編入手続きによる書類の受け渡しや、生徒証明書の発行と配付。校舎内の簡単な案内と、学食があるのでその利用の仕方や禁止事項。校則と違反した場合の罰則など、知らないと困ることを中心に教えてもらう。
叡ノ森学園は私立ではあるが、特にお金持ち学校でも超進学校ってわけでもない。至極普通の共学の高等学校だ。
もちろん私立なので学費はそれなりに高いし、教室はエアコンによる冷暖房完備ではあるんだけどね。
「うん、今説明しとくべきなのはこれくらいかな。じゃ、結倉さん。教室に案内するから、これから一緒にいこうか」
そう言って水町先生は、自分のデスクから教室に持っていく物を確認し始めた。
なんとなく手持ち無沙汰になったわたしは、それなりに人がいる職員室内をさらっと見回してみる。
あの人いるかな? という軽い気持ちで見てみただけだったけれど、思いの外その人はあっさり見つかった。
何の変哲もない、スーツにネクタイ姿の中肉中背。
少し垂れ目な優しい目尻に、すっと通った鼻筋。柔らかく緩んだ口元と、すっきりとした顎のライン。
淡海先生だ。
淡海先生が窓際でコーヒーカップを片手に、他の先生方と談笑していた。
ほ、ホントにいたぁ。
わたしはその驚きと感動により、ついまじまじと窓辺に立つその人を見つめてしまう。
淡海先生。彼こそが、わたしが『ほっとけない女神』を全クリしたあとでもしつこくやり込み続けていた理由。
やっぱり、いいなぁ。
実際に動く彼のその姿を見て、ほうっと惚ける。
どこがどうってわけじゃない。攻略対象キャラ達にあるみたいな分かりやすいキラキラオーラは無い、キャラ名だって名字しか表示されないような脇役だ。
けれどゲームをプレイするうち、気付けば彼の姿に惹かれていた。
ゲームでは画面越しに彼を見るたびに、えへへーと溶けたように気色悪く笑っていたし、公式ホームページで開催された推しキャラ人気投票では、持てる端末すべてを駆使して彼に投票した。
ひそかに彼のイラストを描いたり、こっそり彼のキャプチャ画像を保存したりしては、時々それを見て自分を励ましていたりもした。
うん、わたし十分イタい奴だな。
ちなみにわたしが、淡海先生推しなんだ! と話したところ「なるほど、確かにサブカル女子受けする顔だね」と、親友に返された思い出がある。
うん、特に否定はしないが、君の推しキャラだってなかなかのものだぞ。
「じゃ、行こうか結倉さん」
用意の整った水町先生にそう声を掛けられ、わたしは、はっとして見つめていた淡海先生から目を離した。
「はいっ」
思わず焦ってしまい、返事をする声が少し上ずる。
焦るわたしを見て、水町先生が「そんな緊張しなくても大丈夫だよ」と優しくフォローしてくれた。
そういう気遣いの台詞がぽんっと出るところ、やっぱり攻略対象キャラだなー。と思う。
そう、何を隠そうこの2ーA担任、水町彰生物教諭は『ほっとけない女神』の攻略対象キャラなのである。
淡海先生推しの自分が言うのもなんだけど、学園物の乙女ゲームで攻略対象キャラクターの一人が教師って、大丈夫なんだろうか?
まぁ、この『ほっとけない女神』を製作したレーベル『EdgeCompany』は、その名の通り“尖るところは尖っている”と言われるレーベルではあるが。
もともと通向けというか、不条理極まりない推理ゲームや創作意図が不明すぎるノベルゲームを作り出すレーベルとして有名だった『EdgeCompany』。しかし、なぜか急に乙女ゲームを製作、販売。
わたしの親友は大のゲーム好きだったため、怖いもの見たさもあって即購入、即プレイ。
なにこれ傑作じゃないか! となり、他にもそういう人が沢山いたらしく口コミやらネットの掲示板やらで評判になり爆発的にヒット、人気作に伸し上がった。という裏歴史が『ほっとけない女神』にはあったりする。
ま、そんなことはさておいて。
わたしは導かれるまま、水町先生とともに職員室をあとにした。