6 超イライラします
「小糸、なぜ侍女に敬語を使ったのだ?」
目の前の男が、私に問う。四歳の私からすれば、物凄い威圧感だ。
「答えなさい。何故だ?」
「……年上の人には、け、けいいを」
「馬鹿者!」
言葉を選んで慎重に言った答えを、男は一喝した。
「相手は侍女だ。この錵部家に仕える駒だ。
お前が主で、あの侍女は召し使いでしかない。
敬語とは下の人間が使う言葉であって、お前が使う言葉ではないのだ」
「……でも」
「まだ分からんか!
お前は錵部家の一人娘、そろそろ下の人間の扱い方を理解しろ!」
嫌です、とは言えなかった。
作中最強の身体能力を持っていたとしても、目の前の男――父親には逆らえない。
これも、この乙女ゲームの設定故だろうか。
「いいか、小糸。
人にはランクがある。
上の人間には媚びへつらえ。逆らえば、自分が不利になるからだ。
逆に下の人間は、駒として扱え。ただの道具でしかない。
……何故か分かるか?」
「わかり……ません……」
私の答えに、父親は失望したように大きな溜め息を吐いた。
「はぁ……
四歳にしては頭の良い娘だと思っていたが、ここまで物分かりの悪い娘だったとは……
もういい。あの侍女は捨てる」
身が竦んで、何も言えなかった。
件の侍女がクビになったのは翌日。その侍女が家族もろとも路頭に迷ったと聞いたのは、もう少し後の事だ。
「…………嫌な夢だ」
せっかくの土曜日だというのに、最悪な寝覚めだよ。昨夜オールナイトでアニメ観賞して心を癒したってのに。
まさか十年以上前のトラウマを夢に見るだなんてね。
それもこれも、きっと的到田製薬のCMのせいだ。
製薬会社が深夜アニメにCM流すなっての。
的到田モブオ……もしも的到田製薬の関係者なら許さんぜよ……
「お嬢様、お目覚めでしょうか?」
ノックと共に廊下から侍女の声が聴こえた。高圧的な口調で、それに応える。
毎朝、食事の用意が整うと呼びに来るのだ。
…………はぁ。
休日の朝食と夕食は両親と食事する決まりだ。朝っぱらから、いたいけなゴリラ顔少女とご飯を食べたいとか奇特な両親だこと。
いや、親として真っ当な考えなんだけどさ。あの人達は人間性が腐ってんのよ。
こんな人間性を捧げたって、亡者から復活できないっての。
さて、侍女が着替えを持ってくるまで少し時間がある。
その間に今日一発目のルパ○ダイブといきますか。
「なんでしっかりと働いている人に何で命令口調しないとなのよ!
んあああぁぁぁあああ! イライラするぅぅぅううう!
錵部家滅べぇぇぇえええ!」
……もはや日課ですよ。
彼氏持ちのお婆ちゃんとは疎遠ルートまっしぐらだし、両親は最低だし、毎朝叫ばなきゃストレスで胃に穴が開いちゃう。
* * *
「おはようございます。お父様、お母様」
「ああ」
「おはよう、小糸」
先にテーブルに着いていた両親が、私を見もせずに挨拶を返した。
既に置かれている朝食は美味しそうだが、この両親達を見ると食欲すら消え失せる。ダイエットにはピッタリだね。
「食べよう」
「ええ」
「……はい」
会話とも言えない短い単語のやりとり。これが錵部家の“いただきます”だ。
ちゃんと“いただきます”って言おうよ。
「ところで小糸。
昨夜、波花の家で耳に挟んだのだが、波花家の娘と仲良くしていないようだな」
「…………はい、必要性が感じられませんので」
「必要性?
波花家とは親しくしろと言っているだろうが。お前達が仲良くすれば、私の仕事もスムーズに進むのだ。必要なのは分かっているだろうに」
「こんな顔に生まれた私と、果たして仲良く出来るでしょうかね?」
これが錵部家朝食中の談話でございます。生まれ直したくなるね!
自虐ネタをぶっこんでやりましたよ。ざまあみろ!
事実、こんなゴリラ顔と仲良くしてくれる人間なんて、お婆ちゃんくらいのものだ。
攻略キャラ? ノーカウントだ。私はお婆ちゃん一筋だもの。
ちなみに私の両親は普通の顔だ。羨ましくて嫉妬心から憎さ百倍ですよ。
「まあ、少なくとも波花家の娘とは同い年なのだ。学校で少しずつでも親密になれ」
「……善処致しますわ」
「まったく、少しは的到田家の子供を見習ってほしいものだわ。
昨夜も彼は志遊ちゃんと友好的に話していたわよ」
口を挟むなよ腐れお母様。あなたが口を挟むと余計に話が面倒臭くなるんだから。
そもそも表面上仲良くするだけなら誰だって出来るっての。
しかし今、的到田家の子供と言ったか?
そこだけは聞き捨てならん。お婆ちゃんと間接的に関わる情報かもしれないから。
親友お婆ちゃんの為に、敢えてストレスの地雷原に踏み込もうではないか。
「お母様、その的到田とは……?」
「最近伸び盛りの家よ。品の無い薬の宣伝をしていると聞いたわ」
「ああ……何となく見た記憶がありますね……」
見た記憶があるどころか、オールナイト中に何度も流れていたせいで脳内に映像が刷り込まれておりますがね。
「それで、そこの子供が波花さんと仲良くしていたと言うからには、もしかして私とも歳が近いのでしょうか?」
「ええ、そうよ。
……今日は良く喋るじゃないの。珍しい」
「一週間振りに朝から両親の顔が見れたのですから嬉しくて」
見え見えの嘘だ。口からヘドロを吐いてる気分。
まあ、相手も皮肉と理解して苦虫を噛み潰したような顔だから痛み分けか。
「それで、もしかして彼の名前は“モブオ”でしょうか?」
「あら? 彼を知っていたの?」
「いえ、学校で偶然名前を見かけただけですよ」
胡散臭げな目を向けられた。
でもこれで、お婆ちゃんの彼氏が製薬会社の御曹司という事は確定的。玉の輿じゃん。
…………気に入らねー……
「小糸、的到田製薬はまだ伸び代のある企業だ。
学校が同じならば、彼とも仲良くしておけ」
「……前向きに考えてみます」
考えたくもないけどね。
そこで朝の楽しい楽しい談笑タイムは終了した。
あーあ、今日は家を抜け出して一人で何をしようかなー……
* * *
雨でした。豪雨です。天気予報に騙された。
六月になったし、こればかりは仕方の無い事なんだけどさぁ……
両親が居る休日にアニメは見れないし、ゲームも出来ないし、流石に豪雨じゃ家を抜け出す気分でもないし、やることがない。
少し前までは、こんな日でもお婆ちゃんとスマホで談笑してたんだけど、それも気乗りしない……
ほら、付き合い始めの頃って恋人とイチャイチャしまくりたい時期じゃん? 邪魔するのも悪いじゃない?
恋人なんていたことないから想像でしかないけどね!
はぁー……どこかにゴリラ顔しか愛せない人格者のイケメン金持ちとかいないかなぁ…………いないね! ちくしょう!
「お嬢様、お客様がお見えになりました」
世知辛さを嘆いていると、侍女の声が聞こえた。「入りなさい」と返答し、侍女を部屋の中に入れる。
「失礼します」
「客って誰よ?」
私を訪ねて来る人間なんて思い浮かばないんだけど。
お婆ちゃんには「絶対に家に来ないで」とお願いしてあるし……
まあ、暇を潰せるなら誰でも良いか。
「波花家のご令嬢、志遊様です」
「帰ってもらって。そして敷居を二度と跨がせないで。
あわよくば、この世から抹消――」
「申し訳ございません。それは無理でございます」
即答ですか。そりゃそうだよね。
波花志遊。
医療法人波花会理事長の娘。
さらさらの黒髪を背の中ごろまで伸ばし、小動物を彷彿させる可愛い顔立ち。しかし、その性格は非常に腹黒い。元の世界では“腹黒ウサギ”と渾名を付けられていたくらいだ。
そして、本来のゲームでの立ち位置は悪役令嬢、錵部小糸の腰ぎんちゃくである。
そう、悪役令嬢の腰ぎんちゃく。つまり、主人公たるお婆ちゃんをいじめる悪い奴だ。
まあ私が悪役令嬢をしていないし、取り巻きをつくらなかったから、この世界では腰ぎんちゃくではない。さらに言えば、実際にお婆ちゃんをいじめている訳でもないんだけどね。
それでも、なるべく接触は避けたい人間だ。
今朝、親に小言を言われるくらい関わり合いを避けてきたのに、何故来た。
「応接室でお待ちして頂いておりますので、早急にお越しください」
「……分かったわよ。
準備があるから、出ていきなさい」
「かしこまりました」
はぁ……こんな事ならお婆ちゃんは無理でも、カイトあたりと予定を入れておくんだった……
いや、無理か。あいつ、アフリカに行ったから。
* * *
「げぇ!? ゲホンゲホンッ!
……失礼。お待たせしましたわ」
扉を開けると、波花志遊と仲良く会話する父親の姿がありました。
志遊一人だと思ってたのに嫌な不意打ちだ。不意打ち過ぎて『げぇ!?』とか言っちゃったし。ごめんあそばせ。だから、睨まないでくださいまし父上殿。
ん~、応接室に隕石がクリティカルヒットしないかな~。
「あ! 小糸さん!
突然お邪魔してすみません」
「いや、良いんだよ。波花家にはお世話になっているからね。
いつでも歓迎するよ」
パパ、何よその態度。『父親が女子高生を口説いています』って通報しちゃうよ?
「……いらっしゃい、志遊さん。
今日はどういった御用件で?」
「昨夜のパーティーで、錵部のご主人様に『良かったらウチの小糸と仲良くしてやっておくれ』と言われたもので」
……お前の仕業かクソ(自主規制)!
「それでせっかくですから、ご好意に甘えて一緒にお勉強でもと思いまして。
……お邪魔でしたか?」
「邪魔だなんてとんでもない!
こいつは家に居ても部屋に籠りっきりでね。そんな娘と仲良くしてくれるなんて、ありがたいよ」
パパ、私の代わりに応えてくれるなんて!
今すぐその口を(自主規制)した(自主規制)で(自主規制)したくなっちゃうくらいだわ!
「…………じゃあ、私の部屋で勉強しましょうか」
「小糸さんのお部屋で!
もちろん、お願いします!」
「小糸、粗相の無いようにな」
聞こえないように舌打ちをして、応接室を出る。
ニコニコしながら私の後ろを歩く志遊は、本当に何を考えているのだろうか。
部屋に着いて椅子をすすめたのち、単刀直入に聞いてみる。
「何が狙いなのかしら?」
「狙い?
んー、小糸さんと仲良くなる事でしょうか?」
「……前にも言ったけど、私はあなたと仲良くする気は無いわ。
だから、家に来るのも止めてもらえるかしら」
「そんな……」
うるうると瞳を濡らす志遊。あざとい上目遣いだ。
清楚な外見も相まって、かわいい……
いや! 騙されるな私!
こいつは腹黒だ! 何を考えているか分かったもんじゃない!
「本当に……本当にワタシは小糸さんと仲良くしたいだけなんです」
その、胸に両手を置く仕草やめない?
あざとカワイイから。
……ま、まあ、お婆ちゃん以下だけどね。
そうだ、お婆ちゃんの方が可愛いんだから!
お婆ちゃんの方が可愛いんだから!!
「友達に、なりたいんです……
なのに何でワタシを避けるんですか」
「そ、それは……」
ゲームでは腰ぎんちゃくだったから、なんて言えないしなー……
かと言って、瞳うるうるの可愛――あざとい相手に「嫌いだから」と言うのもなー……
「……と、とりあえず勉強しましょうか」
結局、お茶を濁した。
次回、波花志遊とのイチャイチャ勉強会