【2/4】 波花志遊の恋心
「お邪魔しまーす。
波花志遊を連れ戻しに来ましたー」
「…………誰、あのゴリラ。人間?」
「人間だ。たぶん人間だ。
知ってるぞ、あのガキは錵部って金持ちのガキだ」
「マジで!?
ヒャヒャヒャ、すげえラッキーじゃんか!」
声の主は小糸ちゃんでした。
身体を捻って声の方へ顔を向けると、堂々と立つ小糸ちゃん以外に人はいません。パパや他の大人を連れて来たと思ったのに、一人だけです。
「ヒャヒャヒャ、この顔じゃ変態にも売れねえや!」
「そうだなそうだな。ゴリラは臓器売買決定だ」
「……聞こえなかったのかしら?
私は波花志遊を連れ戻しに来た、と言ったのよ」
「ああ!?
舐めんじゃねえぞガキ!」
小糸ちゃんの冷静な声に、二人が威圧するような雰囲気を出しました。
小糸ちゃんのバカ!
どうして一人だけで来たの!?
「まあまあ、良い見せしめじゃねえか。
志遊お嬢様の前でゴリラの解体ショーってのも――ぉごふ!?」
「……あ?」
「……え?」
ワタシと運転手さんじゃない方の人が同時に疑問の声をあげました。
だってニヤニヤと喋っていた運転手さんが一瞬で消えて、小糸ちゃんがその場所に立っているんですから。運転手さんはどこへ?
…………あ、いました。何故か壁際に倒れております。
「……ゴリラゴリラって、気にしてるんだから言わないでよ」
「お前、何しやがった!?」
「チート全開で殴っただけよ。こんな風に、ね!」
再び小糸ちゃんの姿がブレると、今度は変な笑い方の人がドサリと倒れました。魔法でしょうか。それとも夢?
……意味が分かりません。
でも、助かった事だけは分かりました。
「はぁ……本当に関わりたくないんだけど。
……手足、動かさないでちょうだいね」
「はい」
小糸ちゃんがワタシを縛っていた縄をブチブチと力任せに千切る音が聞こえます……
見た目だけじゃなくて、小糸ちゃんは中身までゴリラなのでしょうか……?
「よし、もういいわよ。立てる?」
「はい……って、ワイヤー!?」
何とワタシを縛っていた縄は、ワイヤーでした。
細い縄だと思っていたのに、縄ですらありませんでした。
小糸ちゃんは、本当に人間なのでしょうか……
「……ジロジロ見ないでくれる?」
「え、あ、ごめんなさい」
怒られちゃいました。
でも、どうして小糸ちゃんがここに来たのでしょうか。
恐怖から解放されると、どんどん疑問がわきあがります。
「……窓から、車が出て行くのが見えたのよ。
で、少し怪しいから走って追ってきたの」
ワタシの表情から疑問を読み取ったのか、小糸ちゃんが説明してくれました。
走って車を追うなんて、とツッコみかけましたが止めておきます。ワイヤーを素手で引き千切る人なんですから、きっと真実なんでしょう。
「……入る前に車を呼んでおいたから、もうすぐ迎えが来るわ。それまでは、ここで待つことになるけど……ケガはしてない?」
「頭を一回踏まれたから、ちょっと痛いけど、大丈夫です」
「そう。でも、一応診てもらう事ね」
相変わらず、つっけんどんな態度ですが、本当は根が優しいのでしょう。
小糸ちゃんを嫌う感情は、いつしか消えていました。
もしかして、今なら友達になれるんじゃ……
「……あの、小糸ちゃん。
改めて言うけど、良かったらワタシと友達に――」
「ならないわ。
貴女と友達になったら、筋書き通りになるじゃないの」
筋書きって、何の事でしょうか?
同い年なのに、何を考えているのか全く分かりません。
「それに直接話してみて気付いたけど、貴女の性格が気に入らないわ。筋書きを抜きにしても、友達にはならない」
「どうして?」
「……そういうところよ」
ワタシの性格のどこが気に入らないんでしょうか。
友達はみんなワタシを『優しい』と言ってくれるのに。パパのお願いもあるから仲良くしてあげようとしてるのに。
本当に分かりません……
お互いに黙ってしまいました。変な沈黙が流れ、それは迎えが来るまで続きました。
* * *
誘拐事件から高校に入学するまで、ワタシが小糸さんと関わる事はありませんでした。
親同士の間でどのような話し合いがあったかは分かりませんが、小糸さんがワタシを嫌っている事が関係しているのでしょう。
しかし会えない間、ワタシは自分を磨き続けました。
小糸さんに認めてもらうために。
小糸さんと友達になるために。
高校は同じところへ入学するのは知っていました。令息令嬢なら、皆そこへ通うのですから。
そして、待ちに待った入学式。
小糸さんは相変わらず仏頂面でした。
* * *
「小糸さん、お久しぶりです!
ワタシ、波花です! 覚えてますか?」
「……覚えているけれど、仲良くなるつもりは無いわ」
一刀両断でした。瞬殺でした。
けれどもワタシは焦りません。だって、これから三年間も同じ学校に通うのですから。
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しかし、焦ってしまう事態は二年生に進学した翌月に起こってしまったのでした。
「志遊さん、知ってらっしゃいますか?
この学校に庶民が転校してきたんですって」
「へえ、どんな子?」
「見た目は良い方ですが、ビクビクしてて薄汚い感じですわ。大方、格の違いに怯えているんでしょう」
「ウフフ、庶民なんかが転校してくるからよね」
「ホントホント、お金はどうされたのかしら」
くだらない会話を興じるトモダチ。
友達じゃなくて、トモダチ。仮初めの友好関係。ワタシの家の財力に引き寄せられた羽虫。
成長するに従って、そういう事が判るようになってきました。でも人脈は財力にもなりうる力ですから、パパのためにも我慢します。
そして、だからこそ、小糸さんがどれだけ輝いて見える事か……
「それでね、その庶民が同じクラスのゴリラと」
「ちょっと!? 錵部さんの話はタブーなの――」
「良いわ。続けて?」
己の失言に気付いたトモダチが顔を青くしました。
これまで、小糸さんの悪口を言うトモダチは友好関係から外してきたため、いつしかワタシの前で錵部さんの話をするのはタブーになったのです。
一瞬で凍った空気の中、ワタシに先を促されたトモダチが言葉を選びながら話を続けます。
「……ええと……その、庶民がですね、錵部さんと仲良く帰っているのを見たんです」
「そう。仲良く、ね……」
転校してきたばかりの庶民が、小糸さんと仲良く……
心が奥底から冷え固まっていくのを感じました。
今までは、一人も友達をつくらない小糸さんだからこそ、焦らず少しずつ仲良くなろうと思っていたのに……
なんで……なんでワタシはダメで、庶民の転校生はオーケーなの……?
* * *
お婆ちゃん、それが転校生の名前でした。
親しげに小糸さんと話す姿を見かける度に憎悪とも呼べる感情が膨らみ、胸の内側からワタシを圧迫します。
苦しくて、悔しくて、悲しくて、妬ましい。
でも、何でそんな感情が広がるのでしょうか。
友好関係なんて、単なる繋がり。そこに、こんな感情が付随しているはずはありません。
ならば、ワタシの感情は劣等感でしょうか?
……いえ、どうにも違う気がします。
「…………志遊、それって“恋”なんじゃないの?」
「恋……?」
女の子同士で?
冗談かと相談相手を見ますが、彼は至って真面目な表情です。
「そう。絶対に恋だって。
いやぁ、青春だなぁ」
「青春て……
シンヤ君だってまだ二十六歳でしょ?」
「うん、だからボクと志遊は十歳も違う。
大人ってのはな、その十年の中で青春や純心やらを無くした末になるものなんだよ」
よく分かりません。
親戚のシンヤ君は自分の言葉に酔っているらしく、黄昏ております。
それにしても、恋、か…………
恋は男女でするもの、という先入観を抜きにして考えてみると、確かに納得できます。
「そうか……ワタシ、恋してるんだ……」
グラウンドで部活動に励む人々を見ながら、ようやく十年越しに小糸さんへの感情を自覚しました。




