【1/4】 波花志遊の恋心
ワタシがそれを恋だと確信したのは、最初の出会いから実に十年後の事でした。
今でも鮮明に思い出せる十年前。六歳のワタシ。
思えば、その日からワタシは小糸さんに恋をしていたのでしょう。
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「パパ、今日はどこへ行くの?」
「今日は錵部さんのお宅だよ。パパの大切な仕事相手なんだ」
「ふーん。
でも、ワタシも行って良いの?」
「ああ。錵部さんにも一人娘がいてね、パパ達が大事な話をしている間、遊んでいてほしいんだ。
できるかい?」
「うん!」
いつもはワタシが「一緒に行きたい」と言っても断られるのに、今日は違いました。
パパが言うには、その子には友達がいないのだそうです。小学校に行っても、ずっと一人。それがワタシには信じられませんでした。
ワタシは友達をつくるのが大好きです。だからパパに「良かったら小糸ちゃんとも友達になってあげなさい」とお願いされた時はとても嬉しかったです。何でもできるパパがワタシにお願いしてくれたのだから、嬉しくないはずがありません。
錵部さんという人の家に向かう車の中で、小糸ちゃんはどんな子なのかな、とウキウキ考えました。
何が好きなのかな? 持ってきたビーズやぬりえを一緒にできるかな?
楽しい想像をしていたら、あっという間に錵部さんの家に到着しました。
「志遊、仲良くするんだよ」
「うん!」
パパと一緒に玄関へ入ると、中にはお手伝いさんが並んでいました。そのうちの一人が、ワタシを小糸ちゃんの部屋へ案内してくれるのだそうです。
元気良く返事をしたワタシの頭を撫でたパパに手を振って、お手伝いさんの後ろを歩きます。小糸ちゃんの部屋は二階でした。
「小糸様、お客様をお連れしました」
コンコンとノックをしながらお手伝いさんが言うと、扉の中から「……わかった」と返事がありました。
「では、失礼します」
「――っ!?」
ゆっくりと開かれた扉。その先にはゴリラが椅子に座っていました。
悲鳴が出そうになったけど、頑張ってそれを我慢します。
小糸ちゃんて、ゴリラなの……?
でも、ノックした時は日本語が聞こえたのに……
「どうぞ、ごゆっくり」
「え!? あ……えっと、はい」
ごゆっくりと言われても、戸惑います。だって、ゴリラがいるなんてパパに聞いてないから。
出ていくお手伝いさんに助けを求めようと思いましたが、そこでパパのお願いを思い出しました。
――『良かったら小糸ちゃんとも友達になってあげなさい』
無理だよ!
……でも、お願いされたんだ。
でもでも、ゴリラなんて!
そんな事を考えている間に、パタリと扉が閉まりました。
「……。」
「…………。」
「………………こ、こんにちは」
「こんにちは」
ゴリラが喋った!
いや、もしかしたらゴリラに似ているだけで人間なの……?
良く見てみると、きれいな白い髪は丁寧なツインテールになっています。ペットのゴリラなら、そんな事はしないでしょう。……たぶん。
「アナタが“小糸ちゃん”?」
「そうよ。
……そういう貴女は?」
「ワタシは波花志遊。よろしくね」
ワタシは友達をつくる時、きちんと名前を伝えます。それから手を差し出すと、みんな握手をしてくれるんです。
……でも、小糸ちゃんは違いました。
ワタシの名前を聞いた途端、差し出す手も無視してブツブツと呟きだしたのです。
「……波花…………こしぎんちゃく?
いやでも……」
「――小糸ちゃん!!」
堪らずに名前を叫んでみましたが、それも無視です。
小糸ちゃんに友達がいない理由が分かりました。
でも、この小糸ちゃんと仲良くならないと。
頑張って仲良くなれば、パパに褒められるから、頑張らないと!
ドシドシと小糸ちゃんの目の前まで近づいて、もう一度「小糸ちゃん!!」と叫びました。
「……うるさいわよ。
悪いけど、私は貴女と仲良くしたくないわ」
「そんな……」
ここまで頑なに拒絶されたのは、初めてでした。
みんなはワタシと仲良くなってくれるのに、小糸ちゃんはどうしてワタシを嫌うの?
ワタシが仲良くしてあげようとしてるのに!
「私は本を読んでいるから、貴女は時間まで勝手に遊んでなさい。
どうせ商談のついでに連れて来られたんでしょ?」
「…………ひどい……酷いよ! ばか!」
気がついたら、小糸ちゃんの頭を叩いていました。
パパには『人を叩いたらダメだよ』と言われているのに、叩いてしまいました。我慢、できませんでした。
「……邪魔しないで。本を読むと言ったでしょ」
しかし叩かれても、小糸ちゃんは怒りもしませんでした。
ワタシという存在を否定されているようで、とても、とても悲しくなります。
でも……でも、頑張らないとパパに褒めてもらえない!
「……叩いて、ごめんなさい。
でも本なんて読まないで一緒に遊ぼう?
ほら、ワタシ、ビーズとか持ってきたん――」
「興味ない。うるさい。黙って」
できるだけ優しい声で誘っても、それを遮るように拒絶されます。顔すらワタシに向けてくれません。
それがとても嫌で、パパのお願いを叶えられない事が悲しくて、鼻の奥がツンと痛くなりました。
「……どうして? なんで、そんなこと言うの?」
「…………貴女が“波花志遊”だからよ」
ワタシの質問に、やっと顔を向けた小糸ちゃんが、怖い顔で言い捨てました。
今度こそ完全にワタシという存在が否定されたのです。
心当たりなんてありません。理由なんて知りません。
でも、もう知りたくもありませんでした。
目からポロポロと涙が出ます。
頭の中がグチャグチャで、何も考えられません。
ただ一つ“小糸ちゃんなんて大嫌い”という感情だけが、胸を締め付けました。
もうここには居たくない。
そう思って、泣きながら部屋を出ました。
パパのところへ行こうと思いましたが、仕事の邪魔をしたら怒られてしまいます。だから、ワタシは外に出ることにしました。
「あれあれ?
志遊お嬢様、どうされたんですか?」
泣きながら一人で車へ戻ったワタシに、運転手さんが驚いたように訊きました。
「……もう、小糸ちゃんの家に居たくない」
「喧嘩でもしたのですか。
それで、お父様は?」
「まだ、お仕事してる」
「……そうですかそうですか。
家を出る時、誰かに会いましたか?」
なんでそんなに詳しく聞くんだろう、と思いましたが、今は何も考えたくない気分でした。首を横に振って答えるワタシは、早く家に帰りたい、その一心です。
だから運転手さんに「それなら、僕とこっそり遊びに出ましょうか?」と言われた時、嬉しくなりました。
そうよ、ワタシを無視する小糸ちゃんが変なのよ、と一人で納得します。
「それで、どこまで遊びに行くの?」
「そうですねぇ……少し遠くまで行きましょうか」
「……パパに怒られない?」
「もちろんですもちろんです。
商談が終わるまでに戻れば良いんですよ」
その言葉に安心したワタシは、泣き疲れていたこともあって、車が動き出すとすぐに眠ってしまいました。
* * *
「おら、起きろ!」
怒声が寝ていたワタシを起こしました。
驚いて目を開けると、そこは――
「……どこ?」
「ヒャヒャヒャ、おはようございまーす」
散らかった倉庫のような場所で、横たわるワタシに気持ち悪い笑みを浮かべた男が二人。そのうちの一人は、なんと運転手さんです。
誘拐――その言葉が浮かび、何とか逃げようと身体を動かして、手と足が縛られていることに気づきました。
「残念残念。志遊お嬢様、逃げようとしてもムダですよ?」
「ヒャヒャヒャ、何だよその喋り方!」
「いきなり素で話したら恐がられるだろ?
なぁ、志遊お嬢様?」
「ヒャヒャヒャ、キモいっての!」
なんで運転手さんが悪い人と一緒にいるの?
なんでワタシは縛られてるの?
次々疑問が浮かびます。
「で、何でいきなり誘拐なんてしちゃったワケ?
お前、ロリコンだっけ?」
「バカか。
さっきも言っただろ。このガキが誰にも言わずに家から出てきたんだよ」
「ヒャヒャヒャ、それで何の計画も無しに誘拐ってか」
「こんなチャンスは二度と無いだろうからな。
身代金でも要求するか?」
「見た目が良いし、海外の変態に売った方が金になんじゃね?」
ワタシの横で、楽しそうに物騒な会話をする二人。
悪い夢でも見ているような、変な気分です。
怖いけど、きっとパパなら助けてくれるはずですから。
「身体が痛いから、縄をほどいてくれませんか?」
「……は? は?」
「ヒャヒャヒャ、このガキ、自分の立場を分かってねえや!」
「大事な話をしてんだから、ちょっと黙ってろよ。志遊お嬢さ、まっ!」
「ぎっ!?」
運転手がワタシの頭を踏みつけました。
硬い地面にぶつかって、目がチカチカとします。
その痛みで、ようやくワタシの身が危ないのだと理解しました。
怖い痛い怖い怖い……
小糸ちゃんの時とは違う涙が、流れ出します。
「……たすけて」
「ヒャヒャヒャ、『たすけて』だってよ!」
「無様無様。涙なんて流しちゃってまあ」
涙が止まりません。
この人達の気分一つで、ワタシは最悪殺されるのです。
……もし、殺されたら。
二度とパパに頭を撫でてもらえない。
二度と遊ぶことができない。
「やだ……死にたくない……」
「ヒャヒャヒャ、殺したら金になんねえよ!」
「いやいや、臓器売るってのも良いな。足がつきにくい」
怖いよ。
誰か、誰か助けて!
ガタガタと鳴る歯の音が響く中、願います。
すると、その願いが届いたのでしょうか。
薄汚い倉庫の扉がギィィィ……と開く音が聴こえました。
「お邪魔しまーす。
波花志遊を連れ戻しに来ましたー」




