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1 転校生がやってきました

 悪役令嬢に転生しました!

 乙女ゲームの中に入っちゃったワケです!


 うん、ココまでは良い。本当は主人公に転生したかったけど、文句は言わない。

 でも、転生先の乙女ゲームが悪かった。

 非常に。

 とても。

 半端なく、悪かった。


 ……だってさ、せっかく転生した悪役令嬢(私)の顔がゴリラ顔なんだよ?


 無理じゃん。私の知ってる転生悪役令嬢モノみたいに主人公から攻略キャラを(かす)め取るとか、顔面スペック的に無理じゃん。

 モブより不細工って何?

 ライバルどころか噛ませ犬にすらならないよ?

 ふざけんじゃねえよコンチキショー!


 てことで、悪役令嬢なんて目指さずに生きたいと思います。



 * * *



 乙女ゲーム『ドキドキ☆ハイスクール!!』

 略して『ドキハイ』


 乙女ゲーム業界を震撼させた超問題作であり、私がゴリラ顔の悪役令嬢として転生してしまった作品だ。


 で、何で超問題作かって?

 完成度の高いシナリオと魅力的な攻略キャラクター達、美麗な絵柄。

 練り込まれた設定は物語の進行に伴って複雑緻密に絡み合い、やがて大きなカタルシスを生む様は従来の乙女ゲームに、いや、将来含めて超えるもの無しと謳われた程だ。

 攻略対象の性格などはテンプレなのだが、何故か本当に生きているかのように人間臭く、そしてカッコいい。

 絵柄は現実と理想を上手く混ぜ合わせ、素晴らしいストーリーや個性的なキャラクターと相まって、プレイヤーを乙女ゲームの世界にするりと引き込む。


 そこまでなら完璧な乙女ゲーだった。

 だがしかし制作会社は何を血迷ったのか、そこにゴリラ顔の悪役令嬢をぶち込んでしまったのだ。それも身体能力が作中最強のバグスペックという形で……


 想像してみてほしい。

 美麗で繊細なタッチで描かれたゴリラ顔を。緻密な物語を一人で台無しできるような身体能力を。


 ちなみに、その悪役令嬢()の名は“錵部(にえべ)小糸(こいと)

 ゴリラ顔のクセに可愛い名前だと思うでしょ?


 残念!

 これは実在するゴリラ“コピート・デ・ニエベ”をもじった、ネタ全開の名前だからね。


 こんな感じの、例えるならば三ツ星レストランの料理に醤油をぶっかけて台無しにしたようなこのゲームは、乙女ゲーム業界に一石を投じたわけです。





 目の前の無駄に豪奢な鏡には、キラキラと輝く白髪が侍女の手によって縦ロールに整えられていく様子が映っている。それを見ながら、転生してしまったこの世界(ドキハイ)について思い返していると、ふいに部屋の扉が開かれ執事が恭しく入ってきた。


「小糸様、登校の為の御車を用意致しました」

「そう。

 あと少し時間がかかるから、爺は車で待っていなさい」

「かしこまりました」


 そう応えるや、一礼して部屋を出ていく執事。

 何となく、申し訳ない気持ちが込み上げてくる。人生の先輩に『待っていなさい』みたいな命令口調を使うなんて、人としてダメでしょ。

 でも、流石はシナリオが練りに練り込まれているこのゲーム。悪役令嬢を悪役足らしめる性格の悪さにするための設定(バックボーン)がしっかりと存在していた。

 転生したとはいえ、実の両親にこんな評価をするのは嫌なのだがハッキリ言って私の両親はクズでゴミの小物なのだ。

 人を地位や財力でランク分けし、上には媚びて下は見下す。そんな両親に育てられれば、性格悪くなるよね。


 今でも覚えているのは、転生してから四年目。つまり私が四歳の頃、侍女の一人に敬語を使ったところ、両親は私を厳しく叱りつけ中々にゲスな説法をしてくれた事があった。

 しかも、後日その侍女はクビになり、盗み聞きした話では家族共々路頭に迷ったという。きっと、あの親の事だから圧力をかけて侍女の家を潰したのだろう。最低な話だ。

 それからというもの、家の中では高圧的な言動を心掛ける事にした。

 本当に、この最低な家に勤めている方々には申し訳ない。



「お嬢様、髪のセットが済みました」

「そう、なら早く出ていきなさいよ」


 私の命令に、執事と同じく一礼して退室する侍女。

 鏡には綺麗に巻かれた白髪の縦ロールとゴリラ顔。その奥には部屋を出ていく侍女が映っている。


 退室した侍女がパタンと扉を閉めたのを確認すると、おもむろに私は立ち上がった。

 ツカツカと天蓋ベッドへ歩み寄る。


 そして、全力でベッドを目指してルパ○ダイブ!



「うわぁぁぁあああ!

 申し訳ないぃぃぃいいい!」


 ふかふかの枕に顔を埋めて、腹の底から思い切り叫ぶ。


「本当にごめんなさい!

 馬鹿じゃないのウチの親! クソジジイ! クソババア!


 しっかりと働いている人に何で命令口調しないとなのよ!

 んあああぁぁぁあああ! イライラするぅぅぅううう!」


 バタバタと足をベッドに叩きつけ、のたうち回る。


「みんなこんな家の仕事なんて辞めなさいよ!

 せっかく有能なんだから、もっと待遇の良い職場探してよぉぉぉおおお!

 っていうか、ウチが没落しろ! 錵部家滅べぇぇぇえええ!」



 ………………。


 …………。


 ……。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 綺麗に整えてもらった髪型を崩さないように、作中最強の身体能力を駆使して器用に身悶えること数分間………。

 ゼェゼェと荒い呼吸を整えつつ、ゆっくりとベッドから身を起こした。


 悪趣味にゴテゴテした装飾の姿見で、今の行為で乱れた所は無いかと確認する。

 制服や髪型の乱れがあれば、あのとってもステキでスバラシイ御両親様方に怒られるのは私ではなく侍女や執事なのだ。それだけは避けなくては。

 私のせいで他人が路頭に迷うなんて事は、二度とあってはならない。


「……ん、オッケー」


 問題無さそうだ。

 執事を車で待たせてしまっているし、早く行かないと。


 そう思いながら視線を上に移すと、鏡の中の自分と目が合った。

 サラサラとした縦ロールの白髪に雪色の肌。そして、見事なまでのゴリラ顔。

 前世で笑っていた顔も、今になっては笑えない。引けば喜劇、寄れば悲劇といったところか。


「……はぁ」


 最近はため息が増えた。そのうちストレスで胃に穴が開くんじゃないかと思う。


 一歩でも部屋から出れば、私は高圧的で嫌な令嬢だ。

 もう一度大きなため息を吐いて、執事の待つ車へと向かった。



 ああ、そういえば今日は主人公が転校してくる日だっけ。前世の記憶が間違っていなければ、だけど。

 目指すはモブキャラ。ゲーム通りに悪役令嬢なんてするつもりはないし、目標は元の世界へ帰る事だ。

 私が悪役やらないのが原因で、この世界が崩壊してくれたら元の世界へ帰れるかもしれないしね。



 * * *



 陽光の射し込む窓際で、黙々と本を読む少女。

 本のカバーには有名な哲学者の名前が記されており、少女の教養の高さが窺える。

 和気藹々とする他のクラスメイト達も少女には近づかず、まるで少女の辺りだけが別空間のように静かだ。


「……ふぅ」


 読書に疲れたのか、パタリと本を閉じて小さく息を吐く。

 そして鬱陶しげに髪を掻き上げると、艶やかな白髪がまるで星屑のように輝いた。



 その少女の顔は、ゴリラだ。



 美少女だと思った?

 残念! 悪役令嬢()です!


「……はぁ」


 嫌だなぁ……ゴリラ顔……

 悪役なんて、やりたくないから取り巻きを作らなかった結果、友達ゼロですよ。絶対に悪名高い家柄のせいだよ。

 ……この顔のせいじゃない、よね?

 それにしても、家では威張って学校では一人ぼっちって、最悪じゃね?


 まあ、そんなこんなあって、HR(ホームルーム)の前や休憩時間は読書で時間を潰している。ちなみに読んでる本は哲学書と見せかけて、ラノベだったりする。親にバレないように、持ち前の身体能力を駆使して買ってきた宝物だ。


 さて、そろそろ先生が転校生(主人公)を連れてくる頃合いだろうか。

 クラスの皆はその事で盛り上がっているが、私には関係ない。友達いないし……


 そんな事を考えていると、ちょうど担任が教室に入ってきた。


「えー、今日は新しくこのクラスに入る転校生を紹介する」


 テンプレートなセリフを担任が言うと、クラスが妙に浮足立つ。

 令息令嬢の集まるこの学校では転校生は珍しい。何故ならある程度の家柄ならば、この学校へ進学するのが当たり前だからだ。他の学校から転校してくるなんて、本当に稀なのだ。


 担任の「入って来なさい」という声に従い、転校生(主人公)が入ってきた。

 ゲームの通り、可愛い顔をしている。クラスの何人かは見惚れているし、やはりイケメンを攻略しちゃう主人公ってのはオーラが違うね。

 亜麻色の髪はセミロングで少し癖毛、化粧をあまりしていない素朴な顔。身長は160センチくらいか。

 ちょっと、ほんのちょっとだけ、嫉妬しちゃう。本当に“ちょっとだけ”だよ?


「じゃあ、自己紹介をしてから、席に座って。席は出入口側の一番奥だから」

「……はい」


 声まで可愛いなチクショウ。

 あ、全然嫉妬なんてしてないよ?


「は、はじめまして。

 わたしの名前は…………」


 『名前は』の次が中々出てこない。顔を少し伏せて、何やらモジモジしている。

 おかしい。ゲームだとすんなりと名乗っていたはずなのに。


「わ、わたしの名前は――――です……」


 そして、やっと名乗ったのに、名前の部分だけ小声過ぎて聞こえなかった。

 何だろう。主人公ってこんなキャラだっけ?


「あの、もっと大きな声を出してもらえるかな」

「あ、えと、すみません……」


 担任も呆れたような表情をしている。

 対する主人公は担任に注意された為か、半ば自暴自棄になった顔で口を開いた。



「わたしの名前は お婆ちゃん です!

 よろしくお願いします!」



 …………は?


「じゃあ、お婆ちゃんさん、席に座って」

「……え? あ、はい」


 一瞬、驚いたように担任を見た後、主人公(お婆ちゃん)はそそくさと席の方へ向かって行った。


 転校生(主人公)の名前が“お婆ちゃん”て……

 ネタプレイなの? というか、誰も名前にツッコまないの? そもそも、どこまで苗字でどこから名前なの?


 そんな私の胸中を無視して、普通に授業がスタートした。



 * * *



 終礼のチャイムが鳴り、クラスメイト達が帰っていく。この後ゲームでは、主人公が悪役令嬢に呼び出されるイベントがある。

 モブキャラでいくと決めた手前、ゲーム通り人気(ひとけ)の無い校舎裏へ呼び出すつもりはなかったのだが、私の足は主人公(お婆ちゃん)の所へ向かっていた。


 理由は、主人公の名ま……態度だ。

 そう、決して主人公の名前についてツッコむつもりはない。主人公登場時の態度が気になっただけだ。


 ゲームの性質上、主人公の性格は相手の反応から推し量るしかなかった。だから、このゲームをプレイした私も主人公の性格を詳しくは知らない。

 けれど主人公の登場シーンを思い返してみると、周りの反応が私の記憶と若干違っていた。

 悪役令嬢()は元々のゲームと比べて取り巻きがいないなど、立ち位置が違う。主人公もそれに影響されて登場シーンが変化したのか。

 もしくは、主人公も私と同じように転生してきたのか……


 どちらにせよ、今後もこの世界で生きていく以上、原因を知っておきたい。そんな思いから校舎裏に呼び出す事にしたのだ。



「ねえ、お婆ちゃん(主人公)

 ちょっと話をしたいのだけど、いいかしら?」

「……はい」


 私を悪役令嬢と知ってか、はたまた口調のせいなのかは分からないが、お婆ちゃんは若干怯えた顔で頷いた。

 家同士の付き合いがあるクラスメイトも少なくない為、学校でも高圧的な口調を使わなくてはならないのは、やはりストレスが溜まる。

 早く家に帰って、天蓋ベッドにダイブしたい……


「じゃあ、校舎裏へ行きましょう」


 私の提案に、コクリと首を振るお婆ちゃんの顔は心なしか緊張して見える。


 きっと私の美貌(ゴリラ顔)に惚れたのね!

 …………うん、虚しいや。自虐ネタはダメだね。


 ちなみに本当はゲーム通りに校舎裏というのは避けたかったのだが、この顔(ゴリラ顔)だと何かと目立つ。

 だったらゲームで“人気(ひとけ)が無い”と明示されている校舎裏の方が、逆に都合が良いだろうという判断だ。



 と、そんなこんなで校舎裏。

 自虐ネタで勝手に自爆して落ち込みながら歩く悪役令嬢(ゴリラ)に、後ろを歩く緊張した面持ちの主人公(お婆ちゃん)

 さぞかし滑稽な絵面だったろう。ゲームでは、悪役令嬢の呼び出しから場面転換ですぐに校舎裏だったから気づかなかったわ。


「さて、と……」


 私の目の前には地面を一心に見つめる主人公(お婆ちゃん)

 ゲームでは、悪役令嬢に呼び出された主人公は泣いてしまい、そこを攻略キャラの一人“虚嶋(うろじま)ヤナメ”が助けに入るイベントだ。

 主人公が泣くような事をするつもりなんて無いが、それでも悪名高い錵部家の令嬢が転校初日の主人公と一緒に校舎裏という状況は、虚嶋ヤナメが登場する可能性が高そうだ。

 さっさと話を聞き終えて、この場を去らなくては。



「ねえ、お婆ちゃん。

 ちょっと聞きたいのだけど、貴女はここがゲームの世界だと知っている?」

「へ……? ゲーム……?」

「ええ、そうよ。

 それとも、他のキャラと同じく、ゲームの世界だとは知らないの?」


 訊ねる時は端的に。ストレートに。

 けれども、お婆ちゃんは呆けた顔で私を見つめるばかりだ。

 私の美貌(ゴリラ顔)に惚れ……いや、このネタは止めよう。


 端から見れば、意味不明な質問をしているのは承知の上だ。けれど、私には勝算があった。

 理由は主人公の名前だ。“お婆ちゃん”なんて名前は、この世界に来てからの十七年間、見たことも聞いたこともない。

 ならば目の前の少女もまた、元の世界から来た可能性が高い。少なくとも、何かしらこの世界に関する情報が得られるはずだ。

 仮に目の前の少女が他のキャラと同様ならば、この事を他言しないように脅迫……じゃなくて、お願いすればいい。



「……えっと……はい、ゲームの世界だと知ってます」


 少し戸惑った様子の答えに、私は内心でガッツポーズをした。予想通りだ。

 私以外にもゲームの世界だと知っている人が現われた。彼女と力を合わせれば、もしかすると元の世界へ戻れるかもしれないと希望が湧く。


「あの、わたし、気がついたらこの世界にいて……

 どうすれば元の世界に戻れるんですか?」


 お婆ちゃんも同じ心境なのだろうか。何かを期待する眼で、私に詰め寄ってきた。

 しかし、それは私が知りたい事だし、これから二人で考えていく事だ。仮説はいくつかあるが、仮説は仮説でしかない。


「元の世界へ戻る方法は知らないわ。

 それを知ってたら、十七年もゴリラ顔をしてないわよ」

「そう、ですか……」


 私の答えに肩を落として落胆するお婆ちゃん。

 だが、何かに気づいたのか、すぐさま顔を上げた。


「……十七年もこっちの世界にいたんですか!?」

「え? 貴女もそうじゃないの?」


 お婆ちゃんはブンブンと首を横に振って、それを否定する。


 え、なにこの可愛い動作。もしかして、私も首で肯定否定をすれば可愛くなる?


 ……んなワケあるか!

 ゴリラ顔が首を振ったって、全然可愛くならないっての!


 思わず地団駄を踏んでしまうくらい悔しいわ。

 突然の行動に目を丸くするお婆ちゃんには、私の行動はさも奇怪だろう。

 だけど! だけれども、女にとって“可愛らしさ”ってのは大事なのですよ!

 最初から可愛い女の子には、それが分からんのですよ!



「……えっと、あの……に、錵部さん?

 地面が、その、(えぐ)れてる、と言うか……」

「ああん? 地団駄踏んだ程度で地面が、えぐれ……え?」


 抉れてる。

 深々と私の足跡が大地に刻み込まれている。


「……大丈夫、ですか?」


 何が大丈夫なのかは分からないが、とりあえず頷く。

 ゴリラ顔が頷いたって可愛くないんだろうけど、とりあえず首を縦に振っておく。


「あの、話を戻してもいいですか?」

「……ええ、是非ともお願いするわ」


 そうだ。

 お婆ちゃんの可愛らしさを嫉妬するために校舎裏に呼んだわけじゃないんだった。危ない危ない。


「十七年もこっちの世界で過ごした錵部さんと違って、わたしは家でこのゲームをやろうとして名前を入力したら、白い光に突然包まれて……そしたら、ゲームの主人公になって校門の前に立ってたんです」

「確かに、全然状況が違うわね」


 私の場合、そもそも前世の記憶が曖昧だ。お婆ちゃんのように白い光に包まれた記憶も無い、というよりも思い出せない。元の世界で普通に生活している中で、何かが起こり、気がつけば赤ん坊になっていたのだ。

 この世界へ来たショックで忘れてしまったのだろうと考えていたが、違うのかな……?

 お婆ちゃんの場合は、こちらの世界で十七歳まで成長した身体に意識が入ったらしいし。

 この違いは何だろう。お婆ちゃんが主人公だから? それとも、単なる偶然?

 ……駄目だ。

 まずは出来る限り、私がこの世界へ来る直前の事を思い出さないと。

 それを思い出さない限り、私とお婆ちゃんの違いについて考えたところで意味は無い。



「じゃあ……わたし、もう元の世界へ戻れないかもしれないんです、よね……」


 私の思考を遮って、今にも泣き出してしまいそうな声が耳に届いた。お婆ちゃんだ。

 考察している間、彼女も戻れないかもしれないとセンチメンタルになってしまったのかもしれない。


 思えば私も、自分の現状に気がついた時は不安で泣いたっけ。

 とはいえ、その時はまだ赤ん坊で、執事や侍女達は泣きじゃくる私を『元気な赤ちゃんだ』と可愛がり、両親は『うるさい』『黙らせろ』と邪険に扱っていた。

 ……まあ、こんな思い出話なんて蛇足だね。



「……うっ…………ひっぐ…………」


 私と違って、お婆ちゃんは今朝この世界に来たばかりなんだ。最初の私と同じ。

 だから、泣き始めたお婆ちゃんを、“うるさい”と責めることも“絶対帰れるよ”と慰めることも出来ない。私が出来るのは少女が泣き止むのを待つだけだ。








 ……………………ん?


 そういえば、何かを忘れている気がする。

 シリアス気味な空気に一瞬流されそうになったけど、この後何か起こる気が――――



「おい! こんな所(校舎裏)で何をしてるんだ!」


 私の予感を裏付けるように、突然凛とした声が私とお婆ちゃんの間に割り込んできた。

 声の方を見ると一人の男子生徒が歩いてくるではないか。

 黒縁眼鏡に利発そうな顔立ち。右腕には“風紀委員”と書かれた腕章が付けられている。


 あ、そうだった。

 主人公が泣いているところに攻略キャラの一人、虚嶋(うろじま)ヤナメが登場して悪役令嬢を追っ払うんだっけ。

 理由はどうであれ、現に主人公は泣いてるし、奇しくもゲーム通りの展開になってしまった。


「なっ……地面が抉れてる……!」


 どんどんと近付いてきたヤナメは、私の足下を見て絶句した。

 だが、それも一瞬。視線を地面から泣いているお婆ちゃんに、そして私へと転ずると、キッと眼光を鋭くする。


「お前はたしか、錵部家の人間だな?

 これはどういうことだ?」


 やだ! この世界では初めて話すはずなのに、彼ったら私の事を知ってる!?

 もしかして、もしかすると、一目惚れってヤツ!?

 人生初のモテ期!?



 …………錵部家の悪名とゴリラ顔のせいですね。ええ、知ってますよ。


「……別に。貴方には関係の無いことよ」

「そんなはずあるか!

 その子は何故泣いているんだ!」


 あーもう、うるさいな。そんな声を張り上げなくても聞こえるって。

 あと、お婆ちゃんも助け船を出してくれても良いんだよ?

 いきなり転移しちゃって動揺したり不安だったりするのも分かるけど、TPOを考えよ?

 私ピンチだから。ね?


「風紀室まで来てもらおうか。

 その子が泣いている理由を詳しく説明してもらう」


 いや、そこ(風紀室)に行ったら私の負けは決定じゃん。

 痴漢冤罪で駅員に連れて行かれるのと同じだよ。


「聞こえなかったのか?

 風紀室まで――」


 口うるさく私を連行しようとするヤナメ。

 面倒臭いなぁ……


 ……よし、逃げてしまおうか。

 そのうち泣き止んだお婆ちゃんが私の無罪を主張してくれるだろうし。


 そうと決まれば後は簡単。

 周りを見渡して、足場(・・)になりそうな所を探す。


「何をしている?」


 ヤナメがキョロキョロとし始めた私に怪訝な顔で問いかけた。

 無論、面倒なので答える気は無い。


 そして屋上までのルートを決めると、足を軽く曲げて力を込めて、全力でジャンプした。


「なっ!?」


 ヤナメが驚きの声をあげる中、木の枝や校舎の窓の縁などを足場に、上へ上へと跳び跳ねる。

 作中最強の身体能力を駆使した逃亡に、思わず呆けた顔で私を見上げるヤナメ。お婆ちゃんも泣き止んで私を見上げている。




 うん、中々に良い気分だ。

 悪役令嬢らしく、高笑いでもしてみようか。


「フハハハ――ハァ?」


 しかしその下手くそな笑い声も長くは続けられなかった。

 だって、上から人が落ちてきた(・・・・・・・)んだもの。

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