進路希望調査表ってのは白紙で出す物である
椅子に深く腰掛けて目の前に投げ出された紙を睨み付ける。
勿論そんな事をしても、何も解決しないことを知っているのだが。
無駄に時間が過ぎ去っていくだけという事も重々承知だ。
ずり落ちて来た眼鏡を片手で押し上げる。
それから肺の中にある全ての空気を押し出すような深い溜息。
右手で持ったボールペンをクルクルと回す。
いつもいつも文房具は決まったものしか使わない事にしている。
今日もいつもと同じ会社のボールペン。
右手ではボールペンをクルクルと回して左手は頬杖。
目の前にあるのは一枚の進路希望調査表。
勿論白紙。
一応申し訳程度に名前とクラスと出席番号が書かれている程度。
それを見て吐き出される溜息は無限。
別にやりたい事が無いと言う訳ではない。
むしろやりたい事ならちゃんとある。
ただ、そのやりたい事が書けないだけだ。
「どうしようかなー」
ガタン、と椅子を傾けて天井を眺める。
夕日が差し込み始める教室には私しかいなくて、グラウンドからはどこかの運動部の掛け声が聞こえてきた。
平和で何事もない普通の放課後。
いいなぁ、運動部。
学生生活の中である数々の部活動の中で、最も青春を感じるのは運動部ではないだろうか。
残念ながら私にはそんな体力も運動神経もないので所属するのは無理な話だが。
まず第一にどこの部活にも所属してない。
部活をせずに本屋さんでバイトをして、どうしてもやりたい事に時間を費やする毎日である。
クルクルクルクル、と回し続けるボールペン。
カツン、と指先で弾かれてしまう。
ボールペンは指から離れて床に落ちる。
素材同士がぶつかる硬い小さな音が教室に響いた。
ボールペンが悪い訳でも無いのに小さな舌打ちをしながら、傾けていた椅子を戻して体を起こす。
視線を向けた先にボールペンと足。
私と同じ上履きでラインの色も同じ。
顔を上げれば見慣れた存在というか顔というか相手。
「何してんの、涼君」
パチパチ、と瞬き。
立っていたのは双子の兄だった。
涼君は私の顔を見てから足元のボールペンを拾う。
男の癖に白くて細い指先を見ていると、何だか無性に腹が立つ時がある。
私にボールペンを差し出す涼君は変わらず無言で無表情。
受け取ってお礼を言っても返ってきた言葉は「ん」の一文字、一言である。
双子だからと言っても全てが似るわけではない。
そもそも私と涼君は性別が違う時点で二卵性双生児だし。
見た目はそれなりに似ていても、残念な事に中身とその出来は全くと言っていいほど違う。
手の平に乗せたボールペンを眺めていると、涼君が身を乗り出して机の上の進路希望調査表を見た。
しまった、そう思い手を伸ばしたが空振り。
それはもう涼君が持っている。
ズキズキズキズキドクドクドクドク、と心臓が嫌な音を立てて痛む。
今すぐそれを奪って逃げた方がいいと警告音が鳴り響く。
「聖も馬鹿じゃないんだ。適当に公務員とでも書いておけば安心だよ」
死んだ魚みたいな目で私を見ないで欲しい。
涼君は学年主席で文武両道で『出来る子』だよ。
でも私は良いとこ上の下で運動だって得意じゃない『出来ない子』なのだ。
何も迷うことなく進路希望調査表に公務員と書き込んだ涼君は、色んな意味で凄い。
学力的にも足りているし、むしろ先生方は喜んだことだろう。
私だって頑張れば、とは思うけれどそれはしたい事ではない。
ボールペンを握った右手。
昔からついた癖でペンの持ち方を直せない手の薬指にはペンだこ。
それが私のしたい事を示している。
「うっさいよ、涼君」
たった数分数秒早く生まれただけの兄。
私は机に手を置き身を乗り出して涼君から進路希望調査表を奪い返す。
職種の欄。
クルリ、と回されたボールペン。
馬鹿みたくデカデカと書いてみた夢。
『作家』
頭上から落て来た涼君の溜息に、私は一人で笑った。