第一話
程立、という人間がいる。
彼女の見かけだけを見るならば、一見しただけでは子供と見間違えるかもしれない。
背丈はお世辞にも大きいとは言えないし、いつも眠気を堪えたような表情を浮かべ、頭に珍妙な人形を乗せているその様は、確かに子供のそれと言えるだろう。
しかしその内面は小人と言うには程遠く、豊富な知識と冴え渡る知恵を持った、まさに賢人と称すに相応しい『大人(一人前の人間)』のそれであった。
彼女は賢く、有能である。
後に後漢と呼ばれる国に生まれ、その末期の戦乱が近づく時代に生を受けた彼女は、その未来が多少感じ取れていたくらいに知恵が回っていた。
『蒼天已死(漢は既に滅んだ)』――――とは黄巾党と呼ばれる反乱軍が用いた標語ではあるが、黄巾党出現以前から朝廷に見切りをつけていた人間はそれなりにいて。
それらの人々と同じく漢の天下をさっさと見捨てた程立は、大人しく官史の道を歩むでもなく、諸国を巡る旅に出ていた。
旅。そう、旅、travelである。
漢に未来はないというのなら、仕官先に朝廷を選ぶのはマイナスとは言わないものの、将来を考えるといまいちであり。
どうせなら訪れる戦乱を乗り越えられるだけの力を持ち、且つ仕える甲斐がありそうな勢力に仕官したい、というのは彼女に限らず、当時の知恵者には当たり前の願望だった。
諸国を回って様々な権力者が治める町を見て回り、そこの施政者が自分が仕えるに相応しい人間であるかどうか、判断を下して。良さそうとなれば試しに文官として仕官してみたり、駄目そうならばさっさと次の町に移動する。
そんな旅を繰り返していた彼女は、途中で鼻血を噴き出す妄想眼鏡少女と出会ったり、正義の味方パピヨンマスクと出会ったりして三人一緒に気儘な職探しの旅をすることになったりするのだが、そこらはひとまず省略して。
その旅の最後として、彼女は陳留――――女傑として名高い『曹操』が治めるその町を、訪れていた。
「――私が、曹操。曹孟徳よ」
陳留の城の、謁見の間。
城の中でも一際大きな空間であるそこで、数人の少女達が顔を合わせていた。
一人は自らを曹操と名乗った、背の小さな、しかし身長とは反対に重く巨大な重圧を身から滲み出させている少女。
金髪を両側でツインテールに纏め、揉み上げをぐるぐると螺旋状にしているこの勝ち気そうな少女は、薄い笑みを浮かべて――あえて形容するなら人を見定めるような笑みを浮かべて、眼前の二人の少女を見据えている。
彼女の目の前には、二人のかしずく少女。
片方は黒髪の、眼鏡を掛けた理知的な雰囲気を纏う少女。
もう片方は少しウェーブがかかった金髪を腰まで伸ばした、眠気をこらえているかのような半目の少女。
自分に仕えたいと言ってやってきた人間を見定めるために謁見の機会を作った曹操は、彼女達が自分の求める才を持った人間であるかを存分に判断してやろうと、多少の期待を心内に秘めて上座の椅子に座っていた。
今現在部屋に存在するのはその三人と、曹操を守るかのように側に佇んでいる少女を含めた、たったの四人のみ。
しかし部屋に満ちる雰囲気はその数を感じさせないほど、ピリピリとした、緊張と重圧に満ちていた。
「御拝謁を賜り、恐悦至極にございます。我が姓は郭、名を嘉、字を奉考と申します」
「我が姓は程、名は立、字を仲徳と申しますー」
その雰囲気をものともせずに口を開いたのは、黒髪の眼鏡少女。
その郭嘉と名乗った彼女に続いて金髪の半目少女も名乗り、二人の物怖じしない態度は曹操をして「へぇ」、と少々感嘆せしめていた。
曹操が纏う重圧は非常に“濃い”ものであり、『覇気』とでも呼ぼうか、彼女が重圧を出すと並みの者ならば口を開くことすら出来ない。
そうでなくても多少なりとも気圧されてしまうのが普通の反応なのだが、二人は重圧に何か反応するでもなく、飄々と名乗りを返してきた。
それは彼女らの胆力が普通とは一線を画しているということであり、その胆力を裏打ちするだけの能力がある可能性が高い、ということでもある。
これは予想以上の拾い物だろうかと、内心の期待を隠そうともしない曹操はその笑みを深め、再び口を開いた。
「話は聞いてるわ。貴女達、私に仕えたいそうね?」
「はい。曹操様の御高名は聞き及んでおり、この陳留の様子を見て、その名に虚構はないものと遅まきながら確信した次第でありまして」
「ここまで陳留を発展させた手腕を持つ曹操様の元でなら、我が才を存分に振るえるのではないか、と。そう判断致しましたー」
――成程、文官志望か。
自身の陣営に有能な文官と呼べる人材が少ない現状を思い出して、曹操の期待はますます高まって行く。
文官の纏め役と言える優秀な少女が既に一人いると言えばいるのだけれど、最近の仕事量――陳留の発展と比例するようにして増大した仕事の量から考えるに、優秀な文官がせめてもう二、三人欲しい、と常々考えていたところでのこの仕官話である。
あの優秀な猫耳筆頭軍師は嫉妬を覚えるかもしれないが、それでも彼女達が優秀であるならば、話を受けない理由はない。
いや、その能力を実際に確かめるためにも、どのみちひとまず雇うことにはなる。
試用期間として適当な仕事を任せ、その仕事ぶりを見てから重用するかどうか判断する、というのが普通なのだから、この話の返事自体は是非もない。
そう考えた曹操は、もう一度軽く二人の姿を見つめて、
「いいわ、私に力を貸しなさい。貴女達の仕官を認めましょう」
「「――ははっ」」
凛とした声で受諾の意を伝えると、二人も同時に感謝の意を彼女に示す。
曹操はその様子を見てニコリ、と笑みを柔らかいものに変えると、傍らに佇む少女、水色の髪をした冷静そうな少女に視線で合図する。
その意を受けた少女はコクリと一つ頷いて、曹操に変わるようにして話を引き継いだ。
「私は夏候淵、字は妙才だ。主を同じくするもの同士、これからよろしく頼むぞ」
「はい、よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますー」
「うむ。で、お前達に一先ず任せる仕事だが、明日までにこちらで決めておこう。すまないが今日のところはこれで帰って、明日の辰の刻(午前七時)にこの城を訪ねてくれないか」
「分かりました、異存はありません。明日の辰の刻ですね?」
「ああ、衛兵に話は通しておくから、真っ直ぐ私の執務室に来てくれ。道は衛兵に案内してもらうといいだろう」
夏候淵のその言葉に「了解致しました」と返した二人は、それから幾つか言葉を交わすと、すぐに部屋を退出する。
そのまま城の門を出、大通りを進みながら城から離れていって。やがて城の門番の姿が見えなくなったところまで来ると、
「――ふぅ」
大きく、一息。
我慢していた安堵の溜め息を漏らした郭嘉は、隣を歩く程立へと顔を向け、表情を朗らかに崩していた。
「問題なく仕官が決まってよかったですね、『風』。これでとりあえずは安心ですか」
「ええ、曹操様も噂通りの英傑のようですしー。予定通りに旅はここで終わり、でしょうねー」
「……私達の才を活かせる場所を探すためとはいえ、思い返すとそれなりに長い旅でしたね。貴女と『星』と出会ってからとしても、一年近くは数えますか」
一瞬遠い目を浮かべ、旅の思い出に思いを馳せる郭嘉。
彼女が呼んだ『風』とは程立の『真名』であり、『星』とは彼女達が以前一緒に旅をしていた仲間の真名である。
真名とはこの国に伝わる風習の一種で、公的に名乗る名前とは別に、自分が認めた相手にのみ呼ばせることを許した名前を一人一人が持つ、というもの。
忠誠や信頼、信愛や愛情の証に真名を許すのが殆どで、郭嘉と程立も共に旅をした際に育んだ友情の証として、星というもう一人の旅仲間と共に真名を許しあっていた。
郭嘉、真名を『稟』という彼女はすぐに視線を風に戻すと、再び先程の仕官先へと話を戻した。
「それはそうとして、当面の仕事ですけど。さすがにいきなり重要なものは任されないでしょうし、どんなものになりますかね?」
「……さあ、どーでしょう。書類の整理、経理、思い付くだけなら色々ありますけど。正直何を任されたところで他愛ないものばかりだと思いますし、気にするだけ無駄じゃないですかねー」
ばっさり、と。稟の言葉を斬って捨てた風に対し、思わず苦笑を浮かべる、稟。
一見ぽわぽわしているように見えて、その実ひどくドライで腹黒い、風という少女。
そんなある種外見詐欺な親友は上手く職場に溶け込んで行けるだろうか、等と稟は一瞬だけ心配を浮かべて。
それと悟られない程度に素早くその感情を隠すと、風に新しく話題を振ろうと口を開いた。
そのまま二人で話しながら歩くこと、暫し。
大通りにある大きな、しかし人気があまり見えない本屋の前を通り過ぎようとした辺りで、ふと稟が足を止めた。
いったいどうしたのかと風が尋ねると、稟曰く、探していた軍略本がここの本屋の奥に見えたような気がした、とのことで。
少し探してみてもいいかという稟に、断る理由もない風は構わないと頷いて、二人共に本屋の中へと入っていった。
その本とやらを見かけた場所に向かった稟とは少し別れて、風は彼女とは別の場所の本棚、主に政治分野の本が置かれている一帯へと足を運ぶ。
新しい、もしくは見逃していた本の中で有用そうな物はないだろうかと、興味を引いた題名の本を手に取ってはパラパラと捲り、無価値と判断したものは棚へと戻す。
そんなことを繰り返し、流し読みした本の数がそろそろ二桁に届こうか、という時のこと。
店の奥に行ったきりの稟が帰ってくる様子もなく、キョロキョロと周囲を見渡していた風は、また新しく興味を引く本を見つけて。
その本が陳列されている棚へと近づき、うんしょと軽く背伸びをしながら、ギリギリ届くか届かないくらいの高さに位置する本へと手を伸ばして――――
「――おおっ?」
ヒョイ、と。彼女の横から伸びてきた手が、彼女よりも先に本を取っていた。
思わずその手が伸びてきた方へと視線を向ければ、そこにいたのは中肉中背の、優しげな雰囲気をした男性。
顔つきはどちらかと言えば良い方で、美青年、とはお世辞になら言える程度の容姿であろう。
彼はニコリと風に微笑むと、手に取った本を彼女に差し出して、
「どうぞ。これ、ですよね?」
その雰囲気と合った、優しげな調子で口を開いた。
どうも、と軽く頭を下げてから本を受け取った風は、じっと目の前の男を見つめる。
年は成人してそう経ってない辺りだろう、決して使い込まれたとは言えないような文官服を着ていることと合わせて、まだ若々しい印象を抱かせる。
瞳には知性があり、礼儀もきちんと仕込まれているのだろう、仕草の一つ一つからどこか洗練されたものが見受けられた。
男は風に注視されていることに気づくと、どうしたのかと疑問を表情に浮かべて。やがて「ああ」、と何かを理解したように口を開くと、誤魔化すように頭を軽く手で掻き出した。
「別に、邪な意図はありませんよ。ただ困っていらっしゃるように見受けられたので、少しお手伝いしようか、と。それだけです」
「え? ……ああ、いえ、ご心配なさらずとも、そういう意味で見ていたわけではないのでー。
ただ、貴方の雰囲気が少し、気になったと言いますか」
「そうですか?」
「はい。何と言うか……どうにも普通とは見受けられない、と申しましょうか」
その言葉を聞いて、男は一瞬だけキョトンと、言葉の主である風を見つめる。
が、すぐさま表情を笑みに戻した男は、ふふふと笑いを堪えながら彼女を見て。興味を持ったとばかりに彼女へと体を向け、真正面から彼女を見据えた。
「それはそれは、何とも。反応に困る評価ですね」
「おや、失礼でしたかー?」
「いえいえ、誉め言葉だと受け取っておきます。どちらかと言えば嬉しい評価ですし」
そう言って言葉を切ると、暫し風をじっと見つめ出した、男。
下世話な視線ではなく、何かを推し量るような類いのものであったために、風も何かを言うことはなく。
やがて視線を緩めた男は、浮かべた優しげな笑みを崩さぬまま、彼女との会話を再開した。
「見たところ、中々の人物とお見受けしますが……仕官の希望を?」
「はい、先程お受けしていただきましたー。これから同僚としてよろしくお願いしますね、おにーさん」
「……おや、どうして私が貴方の同僚だ、と」
「まあ、おにーさんみたいな人物を、曹操様が放っておくとも思えませんし。
……半分くらいは、おにーさんの雰囲気を見た、私の勘ですけどー」
それとも違うのか、と首を傾げる風に、男はいやいやと首を振って。
「ご想像の通り、私も文官の一人として曹操様にお仕えさせていただいていますよ。まあ、下っ端より多少出世している程度ですが、ね」
男がそう口にすると、風は面白い冗談だとばかりに口端を緩め、その表情を笑みに変えた。
風が見る限り、目の前の男は一角の、それも自分と比べても決して見劣りしないくらいの才を持つ人物だ、というのが感じ取れる。
別に超能力的な何かではなく、彼の言葉や動作から滲み出ている雰囲気、所謂知恵者の雰囲気が、ある種同類の風には分かり。
断言は出来ないが、それでもそこらの有象無象よりは遥かに高い能力を持つであろうことは、容易に想像出来た。
そんな人間が下っ端に近いと言われても、それを額面通りになど受け取れるはずもなく。
おそらく冗談なのだろうと判断した風は、彼に冗談で返そうとして、
「おにーさんが下っ端とは、曹操様の陣営は余程層が厚いんですねー。風は出世出来るかどうか不安です、よよよ」
「ははは、ご心配なさらずとも、貴女なら出世は間違いありませんよ。――――貴女は女性ですからね」
「……えっ?」
一瞬だけ男が見せた暗い表情に、風も思わず浮かべた笑みを消した。
が、次の瞬間には男は再び優しげな笑みを浮かべ、ニコニコと風に笑いかける。
その様子からは先程の表情など窺えるべくもなく、見間違いだったのだろうかと、内心疑問を浮かべながらも風も笑みを戻した。
それから他愛もない話を二人で交わしていると、やがて店の奥から風の名を呼ぶ声と、郭嘉と思わしき影が出てくる。
それを見た男は「連れですか」と風に問いかけ、それに風が頷くと、それならこれで失礼しますと一礼。
風が返事をするよりも早く、さっさと彼女に背を向けて歩き出した。
「――お待ちを」
しかしそれに待ったをかけたのは、風。
駆け寄るでもなく、ただ彼の後ろ背に言葉をかけるだけを選んだ彼女の行動は、見事彼の足を止めて。
いったい何の用だ、と言わんばかりの表情で振り返った男に対し、彼女は「大したことではないです」と前置きしてから、
「まだ、名乗りを交わしてなかったもので。風は程立、字を仲徳と申します」
そう言って、深く一礼した。
それを受けた男は驚いたように目を見開くと、数瞬もせずに顔を笑顔に戻し、体を風へと向け直す。
そして彼女と同じく深く一礼しながら、最初に名乗らなかった非礼を詫びつつ、彼も名乗りを返した。
「これはこれは、本来なら私から名乗るべきであるのに、申し訳ない。
私は司馬懿、字を仲達と申します」
実を言いますと、アニメ版ホワイトアルバムみたいな展開が大好きです。
別にハッピーエンドなら問題ないよね(震え声)