6.ハルと神様(5)
14時。
お客さんが一区切りついたところで看板を裏返し、一旦、お店を閉めた。後は、リジーと契約をしている宿屋やレストランなどが注文分を取りに来るだけだから、ハルの一日の仕事はそこで終わる。
「からっぽ、よかった」
ヴィシソワーズは中々好評で早々となくなってしまった。他の野菜で冷たいスープもいいかも、なんて考えながら三輪車の荷台に積み込んでいると、リジーが階段を駆け下りて来るのが見えた。
「ハル、おつかれー!で、はい、いつもの!……っていうか、いつもので悪いけど」
「ありがとうございます。リジーのパンは美味しいから、いくつでもいただけるのは嬉しいです」
紙袋に溢れるほど詰められたバケットと胚芽パン。仄かに温かい紙袋を受け取り、前の荷台の隅に入れる。リジーのパンはハルの食事の中心だ。これからお昼を食べて、夜を食べて、そして朝を食べて……。
「あと、これはちょっと買いすぎちゃったから。お裾分けね」
リジーはそう言って、茶封筒を数袋、荷台にそそくさと入れる。疑問符を浮かべていると苦笑いしながら「家で開けて?絶対」。どこか拒否できない口調で言われて「ありがとうございます」素直に頷いた。
「あ。これ」
何故か苦々しい顔をしたリジーの視線は寸胴鍋の横にぎっちりと置かれた『ウィザード歴史大全16巻』に向いていた。
「ああ、今日、図書館に返却に行こうと思ってて」
「本が好きなのはいいことだと思うけどさぁ……なんていうか、もっとおもしろいのあったでしょ。酵母菌の歴史とか、酵母菌の種類とか、酵母菌の育成の仕方とか、酵母菌の世界とか……」
……おもしろいのか。
っていうか、リジーの目があやしげに輝いてきた。
「リジー!リ・ジ・ィッ」
「はっ……え、えへへ?」
そこまで酵母菌が好きな理由を聞いてみたい気もする。けれど、それが世界の終りさえ示しているようでハルにはまだ聞くことができないでいる。
「ほ、ほら。酵母菌じゃなくてもさぁ。小説とか、そうそう!騎士様と庶民との憧れのロマンスとかっ」
どうやら、今まで知らなかったけれどリジーは色々両極端らしい。
騎士様とのロマンスはさておいて、確かに、酵母菌については職業柄知っていた方がよさそうだけど、そこまで突っ込んだ世界じゃなくても良い気もする。いつまでも『酵母菌の~』が出てきそうだったので、慌てて三輪車に乗る。
「あと1冊なんで、なんていうか使命感から読んでるので、次の本は参考にしますね」
「うんうん。酵母菌とロマンス小説は任せて」
「多分」心の中で一言付け加えてペダルを漕ぐ足に力を入れた。
「おつかれさまでした。お先に失礼します」
「うん。またあしたねー」
リジーは笑顔で手をぶんぶんと大きく振っている。また明日、すぐに会うのにと苦笑しながら、それでも嬉しく思う。会うのを楽しみにしてくれているひとがいる、そんな"普通"に。
深緑のサルエルパンツに生成の長袖のブラウス。どちらかといえば、男の子。身軽に動けるし、なにより気に入ってる。黒く長い髪を三つ編みにして、分厚い瓶底めがねを掛けて。それがいつもの格好。
でも、若干、気が重い。
王立図書館は貴族街にあるから余計だ。
白いレースのブラウスに踝丈のフワリとしたシフォンスカート。綺麗な赤銅色やリジーのようなブロンドの長い髪を後ろでキュッとバレッタで留めて。薄く化粧を施し、きっとすれ違う時に香ったのは流行の香水なんだろう。それが町の同じ年頃の女の子たちのいつもの格好。
外見に気を使うお金はないし。そもそもわたしは目立つ必要はない。
「気にしてないけど、ないけど、ないけど、……っはぁ」
けれど。
一応、年頃の女の子なわけで。
可愛いものも。綺麗なものも。甘いものも。
やっぱり好きなわけで。
きっと、わたしは視界にも入っていないに違いない、すれ違った子から香る『甘い女の子の香り』を横目で見つつ、ため息をひとつ。
「いつかあんな服着てみたいなぁ」
清楚な白色のワンピースへの意識を断ち切るように、寸胴鍋と『ウィザード歴史大全16巻』を乗せた三輪車を飛ばした。
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そろそろ展開していきたい!です。今回も読んでくださってありがとうございます。