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55.ハルと薔薇のひと(6)



 ノックをしても主からは返事がなかった。クラウドはため息ひとつついて、勝手に扉を開ける。


「入りますよ、殿下」


 大きな窓を背に、執務机の上のランプの明りだけを頼りに殿下かれは何かに没頭していた。クラウドは肩を竦めて、静かに扉を閉める。

 三方の壁は書棚で覆われ、入りきらなかった分厚い本がさらに床やソファ、丸テーブルの上に積んである。積まれた一番上の本を何げなく手にして掠れた題字をなぞった。


「……"趣味の魔術1"」


 どこもかしこも怪しい。需要がそれほどあるとは思えないのに、どうやら続刊しているらしい『1』も『趣味』も怪しい。そこの魔術師かれが、何故、題字が擦り切れるほどこの本を読んだのか是非知りたいところだ。


「クラウド」


 暗く低い、端的な冷たい声。

 一瞬、それが誰の声かわからなくて、本を捲っていた手を止めびくりと肩を震わせた。恐る恐る顔を上げたが、彼は手元に視線を向けたまま。


「そのトレイをさっさと下げろ、邪魔だ。それよりイルはどうだ」


 積まれた本の一番上にトレイに載せられた食事があった。毒見後だから、細かく美味しそうではないのは仕方ないだろうけれど、一口も口をつけた様子はない。


「イルの周囲で変わったことはないか」

 少し考え、「特にない」報告する。


「王の動向は」、「あいつはどうだ」

 「……あいつ(・・・)?」矢継ぎ早に単語が並べられ、返答に窮する。それでも気にしていないのか、止まることなく薄暗い部屋で本を捲る音だけが響く。

 とりあえずと、いつかうっかり落としてしまいそうな食事のトレイを取りに立ち上がった。


「クラウド。……ハルは、どうだ」


 今度は、彼はしっかりと顔を上げ、訪問者(ハル)と視線を合わせた。

 全く違う意味でどちらかともなく息を飲んだ。


 切れ長の深い湖色の瞳は、暗く深い黒へと変わっていた。薄らと眼下に隈が現れ、随分食事を摂っていないのか頬がやつれている。元々血色の良い方ではないけれど肌は青白く、ざっくりと背中に下ろされた銀色の長い髪が余計にそれを増長させていた。


「クラウド様は明日も早いとおっしゃったので、宿舎へお帰りになるように言ったんです。わたしの我がままにお付き合いさせては申し訳ないですから。お仕事中だったので勝手に待たせていただきました……もしもし?…………とりあえず、これを下げますね」


 そう言ってトレイを持ってソファに戻ろうとしたその腕を、咄嗟に立ち上がった彼が力強く掴む。その拍子に机の端の何冊かの本が床に落ちた。それを目で追って、掴まれた腕に移す。最後にこの部屋の主(シュネーリヒト)を見上げた。


「どこ……に」

 さっきまでの問答とは打って変って、弱弱しく呟かれる。


「……どこに、行く」

「わたしはどこにも行きません。シュネーリヒト様」


 彼の名をしっかりと告げ、はっきり返事した。

 見下ろすようにしてあった黒い一色素が揺れ、深い湖色が現れたのを見て、やっと小さく息を吐く。


「とにかく、お夜食にしましょう」


 半ば強引に手を外し、ソファと応接テーブルに積みあがった本を崩さないように部屋の隅へと移動する。その間シュネーリヒトは何も言わないので、持ってきたバスケットから、テーブルクロス代わりの赤と白のチェックの布を取り出しテーブルに敷く。布で包んできた軽食を広げ、持参したマグカップ二つに水筒から並々とハーブティーを注いだ。


 気分転換に最適な、すっきりとした香りが漂う。


「ごめんなさい、押しかけて。直接許可をいただいた方が早いと思いまして。今日は野菜のマリネとコロコロタマゴサンドですよ。ハーブティーはまだ熱いですから気をつけてくださいね」


 ソファに座ったシュネーリヒトに、湯気のたつカップを持たせる。ハルが一口含む前にシュネーリヒトがそっと香りを嗅ぎ、静かに上品にハーブティーを口にしていた。


 "強制的に集中力を切る(・・・・・・・・・・)"。

 よく酵母菌中毒者(リジー)に使うわけだけれど、まさかここにもいたとは仕事中毒者(ワーカホリック)


「本当、そういうところイルルージュ王子と兄弟ですよね。おふたりとも王族なんですから、食べ物に対してもう少し疑った方が良いですよ。何が含まれているかわかりませんから。もちろん、わたしはこれ以上、王城こちらに関わりたくないのでそんなことはしませんが……って、つい数時間前に同じようなことを言った気が」

「……つい数時間前?」


 訝しげな声。シュネーリヒトにいつものように微細な変化を認めたハルはふわりと笑った。


 気分転換に最適(・・・・・・・)な、すっきりとした香りがシュネーリヒトを包み込む。追い打ちをかけるように、空になったカップに水筒から温かいハーブティーを継ぎ足した。


「さあ、もう一杯どうぞ。シュネーリヒト様」


 ゆっくりと湖色の本来の彼の目がハルを見つけ。『とさり』、そんな軽い音がしてシュネーリヒトがソファに体を任せる。


「だ、大丈夫ですか?」

「あーーーーー、ええと、すみません……やっちゃいましたか。ハル」

「……クラウド様がいつものことだとおっしゃってました。お仕事も大切ですけど、お食事もしてください。集中力を途切れさせるのも大切ですよ」

「普通と反対のこと言いますねぇ」


 ばつの悪そうなシュネーリヒトの目の前に、呆れながら小鉢と大きめに茹で卵を潰したタマゴサラダを挟んだサンドウィッチを差し出す。


「ものには限度があるんですよ。何十時間、そうして机に向かっているつもりです?」

「……誰も特に止めないもので」


 シュネーリヒトは不貞腐れたようにしながらも、早速、サンドウィッチに手を伸ばす。根本的にこの兄弟にはハルが作った料理に疑念は湧かないらしい。嬉しいような、怒った方がいいような、微妙な面持ちでハルも自分のサンドウィッチに手を伸ばした。


「クラウド様は昔、止めたそうですが、リヒト様の魔術に吊るしあげにあったそうです。レイン様はこの部屋に数日閉じ込められ、クラウド様の部隊の他の方もなんだか青白い顔で色々おっしゃってましたが。クラウド様にもわたしも随分止められたんですけど、まあ……どうにでもなりそうでしたので」


 そう言って、中空に文字を書くふりをしたハルにシュネーリヒトは頭を抱え。


「なんか……明らかに極悪非道な人間ですね」


 げんなりとそう呟いて、手掴みでサンドウィッチにかぶりついた。



遅くなり申し訳ありません。いつも読んでくださって、またお気に入り登録ありがとうございます!とても嬉しいです。誤字脱字等ありましたらお知らせください。引き続きよろしくお願いします。

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