53.ハルと薔薇のひと(4)
「美味しい」
「……本当、そういうところシュネーリヒト王子と兄弟ですよね」
イルルージュは疑うことなくハルの作ったスコーンを口に頬張り、首を傾げた。
「兄弟だよ」
「……おふたりとも王族なんですから、食べ物に対してもう少し疑った方が良いですよ。何が含まれているかわかりませんから。もちろん、わたしはこれ以上、王城に関わりたくないのでそんなことはしませんが」
「はっきり言うなぁ……」
苦笑いしながら、イルルージュはテラスの風に赤銅色の髪を靡かせた。寂しそうにイルルージュの視線が森の向こうの明るい王城を眺めているのに気付いて、ハルは何も言わずに空になったカップにハーブティーを継ぎ足す。
「わたしは、兄様を尊敬しているのに」
独り言のようにそう言って、イルルージュは翡翠色の瞳を細めた。
孤児院訪問の後、公務が続くイルルージュと別れ、鍛錬場に部下の様子を見に行くというレインとクラウドと別れ、ハルはひとりでシュネーリヒトの屋敷へと戻ってきた。新しく用意されていた涼しげなワンピースに着替え、いつものようにクマを台所の定位置の椅子に座らせて、ハルは無心に小麦粉をこねた。"あの頃"の記憶から逃げるように。
夕陽が落ちて、手元が暗く見えずらくなってやっと顔を上げたときには、ボウルの中に大量の生地ができていた。木の実やドライフルーツを生地に混ぜ、オーブンに入れ。しばらくして仄かな甘い香りと香ばしく焦げる匂いにハルは満足そうに笑顔を浮かべ、焼きあがったばかりのスコーンをバスケットに詰めた。
山盛りのバスケットを両手に持ち、ハルは王城の庭を走り抜けた。毎回のごとくその光景が噂になるとは思いもせずに。
鍛錬場には多数の死体が横たわっていて、その中心に涼しい顔で軽く素振りをしているレインを見つけ、死体を避けながら向かう。
「レイン様。これ、お願いします」
「は?」
目を丸めて驚くレインに、ハルは問答無用にバスケット二つを押しつけ、声を掛けようとしたレインを振り切り屋敷に戻ってくると。
「やあ、ハル」
食堂から続くテラスに彼がいた。
自らスコーンを皿に盛り、すでにスコーンを咀嚼中だ。
見かけない騎士が屋敷の前でウロウロしていて何かあるとは思ったけれど、まさか不用心王子が自らやって来ているとは思わなかった。
「ハルさぁ、兄様が今何を調べてるか知ってる?」
「知りたくありません」
イルルージュの向かいの席に座りながら、笑顔で即答。イルルージュが苦笑いした。
"お家騒動がらみ"を一カ月で片づけると言っていたけど、書庫の前で倒れた時にこの屋敷に戻ってきた後、シュネーリヒトは一度も屋敷へ戻ってこない。そもそもこれ以上、普通からかけ離れるのも御免だ。
「そっか」
残念そうにため息をつき、眉間に深い皺を作る。
「……危険なことをしなければいいけど。上層部が兄様が魔術師だと知ってることを逆手にとって、わざと"魔術師"を前面に出すから。魔術師は忌み嫌われ、奇異な存在であること。それ故に、兄様は誰にも負けないって。……でも兄様も僕と同じように人間だ。血が出るし傷つけば、死ぬ」
「……そうですね」
皆がイルルージュと同じように考えれば魔術師も、例えば稀代の魔術師も普通に生きて、それがいつか普遍になるのかもしれない。
そう考えて、何かがひっかかった。
「あの、イルルージュ王子?」
「ん?」
「変なことをお伺いしますけれど、イルルージュ王子の血筋って、遡ればロサ・エル殿下ですよね?」
「へぇ、太陽王のこと知ってるんだ。さすがウィザード大全全巻読破しただけのことはある!」
「まだ最終巻を読んでませんけど。ロサ・エル殿下の統治期間は長かったんですか?」
「数年だよ。あの頃は隣国との敵対関係も激化してたし、そもそもエル王は正当な王位継承者ではなかったから、王城内にも反抗者が多かった。反逆者もまた然り」
イルルージュはそう言って薄く笑う。そんなイルルージュの態度にハルは嫌な予感しかしない。
"すべてはエルのために"
銀糸の魔術師は確かにそう言った。
「もう一度お伺いします。現王の血筋はロサ・エルですよね」
イルルージュは頭を横に振る。
「アリアンナ王女。ロサ・エルは、即位と同時に前代王の王子たちを全員追放したから、ひとり残ったアリアンナ王女がわたしたちの血筋の元だ。結局、この国が起こった時から流れる血は変わらない」
彼は。
「ロサ・エルは君主となった後、民のために隣国と自らも出陣して戦い、私腹を肥やしていた前王と実父の資産を惜しげもなく民に分け与えた。ロサ・エルの髪は眩しいほどの金色で、民からは親しみをこめて太陽王と呼ばれていたらしい」
「……ロサ・エルはなぜ失権したのでしょうか」
翡翠色の珠玉の瞳が曇る。
「あらぬ噂を立てられたために、失脚させられたと」
「……あらぬ、噂?」
「真の王の名を語り、前王を殺した、と」
「真の王の名……ですか?」
「真の王、つまり本来王を継ぐべき子どもは、亡くなっているんだ。民からも王族からも望まれて生まれてきた、生まれる前から名を持つ第一王子は」
「それをどうやって……」
第一王子は亡くなってなどいない。真実はむしろ、リリアンベイリス自身が王を脅迫し、従兄弟であるエル王子を王の座に無理矢理座らせた。
「そこに何らかの不祥事があったと、それを盾に王を脅迫し、自分が王の座に即位すると同時に死に追いやったと。ロサ・エルは正当な世継ぎではなかったから、悪い噂は絶えずあっただろうし、失脚させようとする動きも大きかったと思う。王と王弟が私腹を肥やしてたっていうことは、周りにもそれなりの恩恵があったはずだしね。ロサ・エルは民のための王だ、そういう奴らにとってみれば面白くないだろうから」
ハルは顔をそっと両手で覆い、月が二つ昇るいつもの奇異な夜空に向けた。
「ハル?」
「いえ……ちょっと目にゴミが……。すみません、それで、ロサ・エルはどうなったんでしょう」
顔を戻したハルに、イルルージュが視線を交わらせた。一瞬、言い淀み、けれどゆっくりとはっきりと告げる。
「太陽王は処刑された」
拭う間もなく、ハルの両目から透明な滴が溢れ落ちた。
真実は闇に消された。
歴史は後の者に都合よく塗り替えられていく。
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