52.ハルと薔薇のひと(3)
孤児の部屋が並ぶ廊下を見学して応接間に戻ると、ちょうどイルルージュが施設長に案内されながら出てきたところだった。ハルはそっとイルルージュの背後、壁際に立つ。
「小さい子どもたちは昼寝の時間です。本日は、殿下がいらっしゃるとのことでしたので上の子どもたちは自室で勉強をさせております」
俄かに額に汗をかいている施設長をハルは一瞥し、そんなに暑くはない室温に首を傾げた。
「そうか。それでは邪魔をしては悪いな。しかし、何もせずに報告だけ受けにきたのではわたしも……ハインツ」
イルルージュは王城の時とは打って変わってまさしく"上に立つ者"だ。真っすぐに射抜くような翡翠色の目をハルは好ましく思う。
「はい、殿下」
「子爵邸には母屋のほかに別邸があったと思うが」
「はい。そのように報告を受けております」
「は、はい。そ、そちらは」
施設長がチラリと背後の窓を見る。何かを確認して、やはり額の汗を拭く。
「子どもたちの学びやと食堂として使用しておりますので、特段、ご見学されることもないか――――――」
「わたしが決めることだ」
「はい、殿下。施設長、案内をお願いします」
施設長が再度、視線だけを彷徨わせ「承知いたしました」頷いた。若干、声が上ずっていたような気もするけれど。
別邸もあるのか、ハルは広すぎる子爵邸に感嘆しつつ目立たないようにイルルージュの近衛騎士のさらに後ろを着いていく。
一階の廊下をぞろぞろ、ぞろぞろ。末尾だからとハインツの目が光らないのをいいことに、気を抜いてハルはキョロキョロと辺りを見物した。子爵邸に足を踏み入れることは今後一生ないだろうから。
「……?」
振り返る。何もなくて、前を向いた。
「……ぅ」
再度、振り返る。
無駄に長い足と綺麗な筋肉をつけたレインがそこにいた。
「……何か用か」
「レイン様じゃないです。っていうか、嫌味ですかその足の長さ」
「は?」
レインもクラウドも不思議そうな顔をするので「なんでもない」と首を振る。
「あんまりキョロキョロしてると蹴躓くぞ。ハインツはあれでも見てるからな」
「えぇっ!?そうなんですか、お叱りかなぁ……はぁ」
こそこそと話す二人の肩をクラウドがげんなりとした様子で叩く。
「頼むよ、ふたりとも」
遅れかけた列の最後尾にしっかりと戻り、ハルは一瞬振り返ったハインツに咄嗟に頬笑みを張り付けた。
一面の花。
別邸へと向かう扉を開けると、ふわりふわりと柔らかな花弁が風に揺れた。黄色、赤、薄紅色、白。薄いこぶし大の花弁が右に左に揺れている。裏庭に広がるのは、とても花壇の規模ではない圧巻の光景だった。
「アイスランドポピーですか!綺麗ですね」
小柄なハルの膝上辺りで満開に咲く色とりどりの花。同じ系統の花が何種類か植えられているようで、小道を逸れた庭の中央の薄紫色と赤色の花は背が高い。アイスランドポピーより背が低い小さなオレンジ色の花が、ここが小道だと進むべき道を案内している。
子どもたちの走り回るスペースを全て埋め尽くすポピーの花畑。別邸を囲むように咲き乱れるその光景は綺麗だが、やはり異様で。
「ダチュラ子爵はよほどポピーがお好きなんですねぇ」
孤児院として使用しているなら花畑よりも、芝生。せめて更地がいいと思うが、子爵ともなれば価値観も違うのかもしれない。
「……」
振り返る。
何度目かの視線は、母屋の二階から感じた。振り返り見上げたその窓には、防犯のためか補修のためかしっかりと板が打ち付けてあり、安眠のためにか暗幕が降ろされている。
「って、そんなわけないでしょ」
「ハル……とりあえず歩け」
「レイン様。すみません」
ひとり突っ込みを入れたハルに何かを敏感に察したのか、レインが訝しげに足を止めたハルの背を押す。
「あの、クラウド様。ダチュラ子爵はどういった方なんですか?」
「ダチュラ子爵ですか?そうですね。元々は男爵家でして、最近子爵位を賜ったんですよ。確か、今代の子爵になってからのはずです。まだ30代の若い子爵で……そうそう、これがまた美貌の持ち主でして、王城の女性方が集計した嫁ぎ先ランキング人気ナンバー5に入ってましたよ」
「なんですか、そのランキング。……美貌の持ち主はもう結構です。目の保養以上で保養にもなりません。毒です、毒」
筆頭にシュネーリヒトを思い浮かべ、ため息をついた。イルルージュは子犬判断だとしても、中々、シュネーリヒトの"孤高の美しさ"には慣れない。
「王家の方々は皆様見目だけは麗しいからな」
「ハルさん、レイン!それに、頼むからレインはお前ごとオブラートに包まれろ……」
「あ、あはは?そ、それでダチュラ子爵はなんでまた子爵位を?」
「は、すみません。つい我を忘れて……。ええと、子爵はお家の成り立ちからして商業と運搬方面に強いですから、戦争時にもほぼ独占してお活躍でしたので」
クラウドが苦笑いしながら「それと」付け加える。
「大臣方にも覚えはいいですからね」
「よくあることだ」
「どういうことです?」
レインが呆れたように続ける。
「金は怖いな、ってこと」
ハルの脳裏に満開に咲き乱れるアイスランドポピーの花畑だけを残して、イルルージュのお供の孤児院視察は終わりを告げた。
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