51.ハルと薔薇のひと(2)
いつもの地味な濃紺のワンピースに黒ぶち瓶底眼鏡。もちろん滲み出る厄介な魔術師の香りを封じ込めるために。真黒な長い髪を左右で三つ編みにして、目立たないことを最優先していたら、イルルージュの入った応接間の扉を孤児院の施設長らしき小太りのおじさんに、目の前でバタンと勢いよく閉められた。
「ぶ」
瞬間、背後から小さく噴き出す音。
「あ、開けましょう」
逆におずおずと申し出たのは、もちろんクラウドで、前者は言わずともがなレインだ。
「クラウド様。いいです。必要ならイルルージュ王子殿下が開けるように指示してますよ」
「はい、ですが、失礼ですよ、ハルさんは王子殿下の客人なんですから」
「この顔に格好ですからねぇ」
「地味」
「レイン!ハルさんは可愛らしいです!コホン……あー……ハルさん。イルルージュ王子殿下は、施設長からの経営状態の現状報告が終われば、出ていらっしゃると思いますよ」
気を使ってクラウドがそう言い、レインの肩を小突いた。ハルは特段気にせず、どちらかと言えばあの施設長と個室に入らなくて済んだことに胸を撫で下ろす。
「そうですね。時間がありそうですから、院内を見てみますか?ハルさんは初めてでしょう」
"初めてどころじゃないけれど"、ここで拒否するのもおかしいかと「そうします」と頷く。クラウドが扉の両脇に張り付いたイルルージュの正規の護衛騎士に連絡をしに行き、ハルは小さくため息を吐いた。あまり長居はしたくない、それが正直なところだ。
突如、ぽすりと頭に大きな手の感触。
いつもなら突然触れられれば、はねのけるくらいしたのに、そこに温かい温度が加わっていてハルは押し留まった。
レインだ。
肘掛じゃないと文句を言おうと顔を上げようとしたら、思ってもみない言葉が落ちてきた。
「……あの殿下はバカじゃないから」
いつものように低く、端的だけれど。目の前で扉が閉められたことに傷ついているとでも思ったのか、珍しくレインが何かを悟ったように言い、ハルは苦笑いした。
「大丈夫です。目立たないことこそ目的ですから」
むしろ、いつのまにまた冷え切っていたのか、ハルは自分の手の冷たさにため息を吐く。「問題は、どこまでも自分が弱いってことですよ」聞こえない程度に嘲笑を含めて呟き、拳をさらにきつく握り締めた。
いつまであのトラウマを背負わなければいけないのか、もう自分はあの頃の自分ではないのに。
「ハルさん、ご案内します」
「はい」
優しい声に顔を上げ、ハルはクラウドの元へ小走りに向かった。その後ろ姿を何とも言えない表情で見ていたレインには気付かずに。
「ここはダチュラ子爵の寄付で建てられた孤児院で、建物自体も元々は子爵邸なんです」
孤児院にあるまじきシャンデリアが玄関にあったのはそのせいか、頷き、丁寧なクラウドの説明を隣で聞きながらハルは違和感のありすぎる孤児院を見て回る。
螺旋階段に古いけれど上等な赤い絨毯が敷かれ、どちら様かの胸像と硝子花瓶や調度品が数段おきに置かれていた。壁には抽象的な絵画が飾られ、不意に視線を感じて天井を見てみれば、そこには大きな天使の姿絵が描かれていた。
「二階が子ども部屋とのことでしたよ」
「孤児の部屋、ということですか?」
「ええ。確か……年齢の近い子どもを数名ずつ一部屋にしているとの説明を以前、受けました」
クラウドはそう返事して廊下を進む。ゴミ、塵、染みひとつない立派な廊下。重そうな木の扉はしっかりと締まり声一つ聞こえない。
「これだけ豪奢な建物なら、お庭もさぞ広いんでしょうね」
「ええ、裏手に。このあと行ってみますか?あの奥の階段から降りれたと思いますよ」
「……イルルージュ王子殿下が行かれるようなら、お供しようと思います」
「ああ、そうですよね。以前に来た時は一面に花がたくさん咲いていましたよ」
「一面、ですか」
「ハル、言いたいことは言え」
真後ろを歩いていたレインからそんな声がかかり、それでもハルは言い淀んだ。はっきり言って違和感だらけだ。設備の華美さだけではない、根本的に。けれどそれを口に出すのが躊躇われる。
もし、孤児だと知られてしまったら。
わたしは今、シュネーリヒトの"料理人"だ。
いくら彼が忌み嫌われる魔術師であろうとも、彼は王族に違いない。信用が置ける王都公認の料理人であるべきなのに、わたしはただの孤児だ。認められるわけがない。
違う。
わたしが真っ先に恐れているのは、クラウドとレインに軽蔑されはしないだろうか。と。
いつのまにこんな自分本位の考え方をするようになったのかと、ハルは自分に再度嘲笑を向けた。
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