48.ハルと不遇の王(14)
"友"と。
あれから何年たっただろうか。リリアンベイリスは、相変わらず暗い地下牢の中で思い耽る。次の日、エルは次代の王を承諾し、リリアンベイリスのところにやってきた時には、すべて吹っ切れたように清々しい表情をしていた。自分のことをリリアンベイリスの前だけで"僕"と言い、リリアンベイリスのことを"リリー"と呼ぶ。
そして。
忘れようとしていることを、わざわざ良いタイミングで思い出させる。
"ロサ・リリアンベイリス・ウィザード"
この国の真実の王、と。
「……年をとるごとにあいつがひねくれていくような気がするが、気にするだけ無駄だな」
鉄格子に掛けた魔術を破ったことを知った魔術師は、さらに強大な力で鉄格子を作り直した。それ以来、エルはリリアンベイリスと鉄格子越しの密会を続ける。
「……思ってもみないんだろうなぁ」
目の前の鉄格子を見ながらのんびり言って、リリアンベイリスは小さく嗤った。
現王が譲位し、エルが即位する。
その前日、深夜。
誰もが寝静まった王城の地下牢で、リリアンベイリスは珍しい気配に目を覚ました。
「…………えが、おま、えが……」
地下牢に響く掠れた声は、リリアンベイリスにとって初めて聞く男の声だった。恨み憎み、悪意、敵意、すべての反感情をむき出しにしたその声に大体の当たりをつけ、石床に寝そべっていたリリアンベイリスは気付かれないように嗤った。
「おまえ、さえ、生まれなければ……!」
リリアンベイリスに不意に届いた鼻を突くその匂いに、さらに嗤いを深め。
「お、前さえ生まれなければ!我は王として君臨し続け、我が血脈の子孫が繁栄を続けたものを!」
禍々しいまでの暗く重い空気であるのに、リリアンベイリスは「さて、どうしたものか」心の中で呟く。
「あんな若造に我が地位を明け渡すことになろうとはっ、すべては、すべてはお前が17年前に生まれたことから始まったのだ!王妃は嘆き、まるで気がちがったかのように叫びながら逝った!お前がっ、お前が全てを壊したのだ!」
もぞりと着古した法衣を揺らし、両手足に繋がる重石を引き摺りながらリリアンベイリスは体を起こした。目の前のそれを、一度たりとも待ったことはなかった。感慨深いこともない。ただ、興味はあった。
現王である父と呼ぶものに。
「呪われた子め!」
金切り声で叫ぶ現王は、痩せこけ、目が血走り、どす黒い隈と顕著なくぼみ、皺と染みだらけの無残な小柄な男だった。少ない白髪は乱れ、眼に宿っていたであろう威光は枯れ果てたかのように黒い闇でしかない。エルが話す現王の姿とは天と地ほどの差があった。最近こんな姿になったとは思えない。きっとエルが気を使って嘘をついていたのだろうと思った。
リリアンベイリスは特に何も発することなく、ただその男を見ていた。
怒り叫び続けるその男の表情を一挙手一動を。
振り上げたナイフと、地面に置いた燃料を。
無造作に地面に撒かれた液体と。
「お前が生きていることが災いなのだ!死ねぇぇぇぇぇぇっ!!」
そして勢いよく燃え上がる炎を。
静かに、ただリリアンベイリスはそれを見ていた。
鉄の柵越しに、炎の壁を境にふたりは対峙する。初めて目が合う王の瞳に銀糸の青年の姿があった。
「……もし、お前が普通であれば愛せたものを」
自分勝手なその言葉に、リリアンベイリスはとうとう声を立てて嗤った。
「死んでやるのも一興だろうか」
生まれて一度も名を呼ばないものなどとうに"父"などではない。
強いて言うならば、彼のものを脅かすもの。それだけでしかない。
「わたしは、ただひたすらに。お前の永遠を望む、エル。ロサ・エル・ウィザード」
口の端を上げ、生きてきて初めてリリアンベイリスは楽しそうに声を上げて笑う。
燃え上がる炎にも掻き消されずに、青白い文字が浮遊し、霧散した。
地下牢内にあっという間に回った炎は、慌てて駆け付けたエルの願いも虚しく3日3晩燃え続け、焼け跡からは小柄な死体が発見された。地下牢内に上がった炎は、その最深部のリリアンベイリスがいた階だけを焼き尽くし、上部に建つ城には、なんら被害が及ばなかった。
それを聞いたエルは久しぶりに声を立てて笑う。牢番の証言から火災で死んだのは現王で、不謹慎だけれど。
「逃げたな、ロサ・リリアンベイリス・ウィザード」
元よりどこかの魔術師が強化した牢屋は、リリアンベイリスにとっておもちゃでしかなかった。いつでも脱獄できたに違いない。
"稀代の魔術師"。
彼はずっと機会を窺っていた。
「リリー」
後にハルが稀代の魔術師と呼ぶリリアンベイリスは、そうして王城から姿を消した。それを追う者は誰もなく、いつしか伝説のように語り継がれることになる。
どうか、エルの前に立ちはだかる敵の足を取らせてください。
どうか、エルの前に立ちはだかる敵を吹き散らかしてください。
どうか、エルの前に立ちはだかる敵を切り刻んでください。
エルをどうか、わたしの元に。
"制御"など必要なかった。
何が何でも、未来永劫、すべてはエルのために。
怯えることなく真っすぐな視線を向け、文字を教え、友となり。
わたしの名を呼ぶ、彼の、彼だけのためにこの力を残す。
「ねぇ、ハル×××?」
銀糸の魔術師が振り返り、恐ろしく美しく笑った。
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