47.ハルと不遇の王(13)
「現王の口から恐ろしい言葉が発せられました。あなたが何をしたかわかっています」
「……何か要求されそうな脅し文句だな」
体を起こそうと、芋虫のようにもぞもぞとしているリリアンベイリスを放ったまま、エルは近くの硬いベットに腰かけた。
「リリアンベイリス王子殿下」
「……そしてお前には、わたしを起こしてやろうという善意はないんだな」
ぶつぶつ言いながら、リリアンベイリスは聞きなれない音域の音を口ずさみ、青白く整列した文字を浮かべる。昔からそうしていたように、その動作は彼に馴染んでいた。
「ぬかるみが泥になり、風が敵を蹴散らしました。ちなみに、薔薇の花は"リリアンベイリス"でした。美しかったです……が、どこから意図的にやったんですか」
「どれも意図的ではないな。お前が戻ればそれでよかったんだから」
ふわりと絹の法衣が揺れ、浮かび上がったリリアンベイリスは軽々と石の床の上に座りなおす。その途端、足と手につながった錘が石に当たり鈍い音が響いた。「ちッ」悪態が聞こえたが、エルは気にせず話し続ける。
「わたしは戻るとお約束しました」
「一週間と言った。だが帰らなかった。わたしにお前の近況を知らせる者はいない」
「だからと言って、自分を犠牲にしてまでわたしを王にすることはありません!」
リリアンベイリスは珍しく感情を顕わにするエルに多少驚きながらも、無事に戻ってきたその姿に知らずうちに笑みを浮かべた。
「お聞きになられているのですか。わたしは怒っているんですよ」
「聞いてる。それに知ってる」
「ならば、さっさと現王に撤回してください」
「それは無理だ」
「何故です」
「わたしがお前を王にと望んだからだ、エル」
銀糸がサラサラとリリアンベイリスの背中で揺れる。ベッドの上に置かれた生き続ける薔薇の花を一瞥し、首を傾げた。
「それではだめなのか、エル?」
やはり飄々としたリリアンベイリスにエルは顔を歪め、俯く。
「お前のやり方で言えば、"その理由を述べよ"というところだな。エル」
苦虫を噛み潰したような表情で、エルは一度顔を上げ、そして力なく項垂れた。
「理由がないならば」
「そ、それはっ、殿下!」
「理由を述べる必要はない。わたしには関係のないことだ。だが、王にはなれ」
「殿下……あなたに知恵をつけてしまった自分を呪います」
「わたしはお前に感謝しているが。薄気味悪いわたしのために毎日時間を作っては本を読み、文字を教えてくれた」
そしてリリアンベイリスの花を。
リリアンベイリスの決意を知ってか知らずか、エルは観念したように口を開く。
「……わたしの妹は……本当に小さな力しか持たない魔術師でした」
"魔術師"。
妹がいることにも驚いたが、少なくとも滅多に聞くことのないその単語の方に、驚いた。自分以外に魔術師は見たことがない。
突然変異としてこの国に生まれる奇異な者。リリアンベイリスを放っておいて、エルは目を伏せたまま続ける「まだ赤ん坊でしたから自分が力を持っているなど知りもしなかったでしょうね」と。
すべてが過去形で紡がれる"エルの妹"に、リリアンベイリスの心が深く沈む。
きっとその娘は。
「死にました」
「……エル」
「妹は魔術師や奇異なものを忌み嫌う現王によって、殺されたも同じなのです。高度技術を要した医師が必要な病気だとわかっていながら、それを派遣できる立場にありながら、高熱に苦しみ続ける妹を無視し――――――殺した!わたしは、現王をそしてそれを見なかったことにした父を、この国から引き摺り降ろすことが目的なのです!」
石の床にエルは両手拳を力いっぱい叩きつける。
普段、すがすがしいほどに冷静なエルが、本当は荒い気性も持ち合わせていたのだとリリアンベイリスは知り、今後はあまり怒らせないようにしようと心に決めた。
もちろん。
エルが、真実を話した後もリリアンベイリスに同じように接してくれるのならば、だけれど。
「殿下の父上を、わたしは……」
「お前の手は災難だな」
リリアンベイリスは、何度も打ち付けるうちに血が滲んだエルの美しかった手を見つけ、呆れたように呟く。あのくらいなら大丈夫だろうと、組み立てようとしていた式を霧散させた。
「殿下!」
「聞いている。それだけならば、お前が王になることに何も断る理由はないだろう。それとも怖いのか」
「――――――怖い、だと?」
リリアンベイリスの明らかな挑発に、顔を上げたエルの目は怒りに満ちていた。
「憎むべき王と同じ王座に着くことが怖いのか?自分にも同じ血が少なくとも流れていると」
「わたしはあんな王にはならない!」
エルは、"あんな王"と叫んでから、それがリリアンベイリスの実の父であることを思い出し、口を閉ざし下を向く。
「気にすることはない。その現王とやらにわたしは会ったこともなければ、名を呼ばれたことすらない。"父"などというものはわたしにはいない」
気にするなと言っているそばから、エルの口から「すみません」小さな謝罪が漏れる。
「エル。もし、お前が王になるならばどうする?」
「…………魔術師は同じ民であると認識するよう行動を起こします。そして民のことを考えます」
「ベータがまた攻めてきたらどうする」
「必要ならば自ら戦います、どんなに醜い戦いになろうとも、ひとりになろうとも。わたしはこの王国を乗っ取られるわけにはいかない」
「なぜ」
「ここが、わたしの生きる国であり、守るべき民のいる国だからです」
「ふうん。迷うことも恐れることもないではないか」
「面倒なやつだ」嘆息し。
「もうお前の中で決まっている。王。さっさと勇敢に立ち向かえ、太陽の王」
ふたりは闇の中でしばらく見合い、しばらくしてどちらかともなく視線を外し、エルは法衣を揺らしながら立ち上がった。
「あなたは、まだわたしとともにいてくれるのでしょうか」
牢屋の扉を開け、帰途につこうとしたエルは不安げにそう漏らす。
「友、だと思っていたが、エル」
はっきりとしたその返答に、エルは振り返らずに地下牢を上がって行った。
その口元に笑みを称えて。
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