46.ハルと不遇の王(12)
ぬかるみはいつしか沼となり足を取り、彼らを引き摺り込み。狂ったように咲き乱れた薔薇の棘は彼の者たちの進行を苦しめた。強大な風は幾度も止むことなく敵を鈍らせ、そして、エルは10日目の早朝、すでに大分減らしていた自軍の兵とともに白亜の城へと凱旋した。家族、仲間と無事を確かめる兵の姿を横目にエルは足早に王の元へと向かった。
自分が勝ち戻った喜びよりも、何故か言い知れぬ不安が大きく影を落としていた。
いや、わかっていた。"沼"も"薔薇"も"風"も、すべては自然の産物でありながら、そこには強大な何かが働いていたことを。
現王はマニュアル通りにエルを褒め称えた。現王の子ども達とは元々そりが合わない、エルを称えるものは誰もいなかった。
そして。
早々に切り上げようとしていたエルの耳に、一番届いて欲しくない言葉が届く。
「この功績を認め、お前を次の王とする。ロサ・エル・ウィザード」
ありえない。咄嗟に許される前に顔を上げた。
この国では直系男子がなるものだ。現王には3人の男児がいる。実際にすでに視界の端で、列席した現王の子どもたちが異を唱え、父である王の元へ駆け寄っている。
現王の真意を探るべく忌々しい王を見上げた。ふてぶてしく玉座に収まった仮初のような王。いつかその座から引き摺り落とし、真実の王を据えるために自分はどんなに無残な戦い方になろうとも勝ってみせると誓った。
その王の手に一枚の封筒を見つけ、エルは悪い予感が当たっていたことを知る。
「"ロサ・リリアンベイリス・ウィザード"」
呟く声に反応したのは、現王ただひとりだった。今にも切りかかりそうな殺伐とした雰囲気を纏い、王は忌々しげにエルを射る。
エルはすぐさま立ち上がり、自らの父である大臣や側近の止める声を振り切り廊下を走った。毎日塔へと昇るためにくぐり抜けた小さな門の前で立ち止まる。
「……んだと――――――っ!なんでっ」
鎖で厳重に封鎖された木戸を、エルは持てる限りの力を振り絞り短剣で突き刺す。
現王の持っていた封筒には間違いなく"リリアンベイリス"の文字があった。封筒もまた、使われることはないはずの"リリアンベイリス"の紋章が入った淡い黄緑色の封筒だった。
リリアンベイリスが自分の存在と引き換えに、現王である実の父親に迫ったことは間違いない。
"ロサ・エル・ウィザード"
現王の口から出たその言葉に背筋が凍った。
現王もまたエルに、いないはずの自分の子を重ねて見たに違いない。青ざめた、まるで幽霊でもみたかのような視線、殺気。
「わたしがっ、おれがっ、喜ぶとでも思ったのかっ」
返事のない塔の上へと叫ぶ。
「わたしは、いらないっ、ロサの座などいらないのだ!」
塔の上にリリアンベイリスがいないと知ったのは、翌日のことだった。
暗い、湿気と冷気を纏った王城の地下。地下へ降りる鉄の扉の前で護衛の騎士たちを言い含め、ひとり階段に足を踏み入れた。階段を下り、うめき声がどこからか聞こえたが、エルは顔色一つ変えずさらに階下へと降りた。最下層に着き、闇の中に見知った牢番が立っていた。彼の表情には今までなかった絶望が表れていたが、エルだとわかると場所を譲った。
「触れるな」
端的だが、知った声が聞こえてエルは顔を上げた。
「……リリアン、ベイリス王子殿下」
銀糸の髪を背中に無造作に流したまま、硬い石の上に寝転ぶようにして彼はいた。『寝転ぶ』それが語弊だとすぐに知る。彼の使い物にならない細い両足と両手には重い枷がはめられ、筋力のないリリアンベイリスには座ることもできないのだとエルは悟った。
「触るな。魔術師が牢屋に焼く術、馬鹿っ、さっさと放せ!手が焼け落ちるだろうっ」
リリアンベイリスにしては口数多く伝えていると、エルは関係ないとばかりに牢屋の柵に触れる。焼きつく音がして、辺りに焦げた匂いが漂う。それでも放そうとはしないエルに、慌ててリリアンベイリスは近付こうとして重い鎖に倒れた。
「エル!」
今度は聞きなれた声で耳慣れない言葉がエルの元へ飛び込む。
「バカだ阿呆だ!さっさと手を放せ」
うつ伏せになったままの彼から、言葉のない音が聞こえ体の周りに青白い文字が浮遊する。エルが耳慣れない言葉に茫然としている間に霧散した。握っている鉄の牢屋の柵からは熱さがなくなっていた。
牢屋の扉が勝手に開く。
「さっさと入れ、バカ王子。すぐに手当しないと使い物にならなくなるだろう」
果たして、リリアンベイリスはこんなに雄弁に物事が言えただろうか。いや、それよりも何よりも。
「ど、どちらがバカ王子ですか。あ、あなたでしょう!このアホ王子っ」
「注意したのに、何をやってるのか。お前の方がバカだ。とりあえず、近くに来い。まさか今更わたしが怖いとは言わないよな、バカ王子」
「こ、怖いわけなどないでしょう!今までどれだけあなたと共にいたと思ってるんですが、このアホ王子」
バカだの阿呆だのと低俗な言い合いをするうちに、ぐったりとエルはその場に腰を落とした。
「……いいから、早く寄れ。わたしは動けない……まあ、いいか」
そう呆れたように言ったかと思うとリリアンベイリスは音色を奏で、青白い式を浮遊させる。また違う音域の音に文字は霧散し、じわじわと痛みを伴っていた赤く焼け焦げたエルの手を包みこんだ。
「よくここがわかったな」
相変わらずうつ伏せのまま、リリアンベイリスは小声でエルに問う。
「父を脅しましたので」
「そうか。で、何か用か」
飄々とした調子の目の前の物体に、エルはやっと目を落とした。
「それよりも、何よりも。あなたが言った言葉をもう一度聞きたい」
エルは節々がしっかりと動く自分の白い手を確認した。牢番が、勝手に開け放たれた扉を見ないことにしているのか、背を向けていた。なんだか、物事は大きいのに、目の前で白い絹の法衣を必死にもぞもぞとさせている姿を見ていたらどうでもよくなってきた。
「リリアンベイリス王子殿下」
だから、容赦なく催促した。これぐらいの権限は自分にもあっていいだろう。
しばらくして。
蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。
「お帰り、エル」
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