38.ハルと不遇の王(4)
律儀にノックの返事を待ってから扉を開けたのは、昨日からお世話になっている騎士ともうひとり。黒髪の騎士だった。暗殺犯かと疑って申し訳ない。
「ハルさん。王城からの呼び出しです。御仕度ください」
「あ、はい。すぐにでも出られます」
傍の椅子に座っているクマの下に『術と式』をそっと仕舞い入れ、ハルは背筋を伸ばす。
「それでは、こちらです。どうぞ」
どうやらしっかり名前は把握したらしい騎士と端的な言葉を交わし、促されるまま彼の後ろに着く。丸ごとキャベツのスープが効いているのか、昨日に比べたら格段に物腰が柔らかくなった。
「ふむ。偉大です、キャベツ」
とんちんかんに納得し、もうひとりの黒髪の騎士が静かにハルの後ろに着くと、警護されながら王城へ向かった。白亜の中心部、そこは。
「――――――つ、疲れた……」
とてつもなく遠かった。
同じ敷地内なのに、隣町へ出かけるくらいの距離があった。そもそも、騎士の一歩は大きいというのに、この騎士が女子供に慣れていないのか、それともハルだから遠慮なく歩いたのか知らないが、ハルはずっと小走りだ。やっぱり物見遊山とはいかないらしい。
「こちらでお待ちください」
そう言われてやっと足を止めたのは、明らかに豪奢な調度品が整然と並んだ部屋だった。特に座れとも命令されなかったので、せっかくだから室内を一巡してみる。
食器棚には、この国の王の花をモチーフにしたティーカップとソーサー、お皿。銀食器。絵画は歴代の王。並ぶ分厚い本にも心惹かれるが、多分、触るのは厳禁。これらはすべてこの部屋の装飾でしかないのだろうから。
触れられないとなると一気に見る気も失せ、「ふむ」そんな声を漏らしつつ、一番気になっている場所へ。
「あの」
「はい」
扉の両脇に直立不動に立った騎士に声をかける。とりあえず見知った金髪騎士へ。
「もしよろしければでいいのですが、お名前をお伺いしても?」
「な、なま……あ、あの、私、名乗りませんでしたか」
昨日は兜、被ってましたしね。
小さく頷くと、以外に簡単に「大変失礼致しました」謝り、微笑を浮かべる。本当にキャベツは偉大だ。
「クラウドです。で、こっちが私の部……」
「レイン」
黒髪騎士にぶっきらぼうに返された。
「ちょっ、レイッ、そりゃないだろ。初対面のしかも警護相手にっ」
金髪騎士が慌ててとりなそうとするけれど、レインは明後日の方向を向いてどこ吹く風だ。
クラウドとレインの背丈はそう変わらず、簡単な騎士服に身を包んだ彼らの体つきは、商人街で見かける同じ年頃の青年と比べてもはるかにがっしりとしている。
「きっとリジーは嬉々として、あの筋肉を触らせてもらうな。騎士様との恋愛ものはまってるし」
ため息をひとつ。
この城内には美形しかいないのかと叫びたい。できれば普通の顔だちの、普通の感性を持った人間に今すぐ会いたい。考え出したらたまらなく商人街が懐かしくなってきた。
「すみません、ハルさん。いつもはここまでひどくはないんですが」
フォローになってないけれど、結局、クラウドが困ったように謝った。いきなり得体のしれない小娘の警護を依頼されたらと思えば、心情はわからなくもない。
レインの前に立ち、表情は髪に隠れていてよくわからないが、とりあえず当たり障りのない挨拶をした。
「ハルです。レイン様はわたしがお姫様だとは思ってませんよね。料理人です。一ヶ月間、シュネーリヒト王子殿下とイルルージュ王子殿下の元で働くことになりました。何かとお世話になることもあると思います。なにとぞよろしくお願いします」
そうして頭を下げる。
「ハ、ハルさんっ」
慌てたようにクラウドが名を呼ぶ。
「はい?」
顔を上げるとレインが、奇怪なものを見たような視線を向けていた。嫌悪ではなく、どちらかといえば"おもしろい"、そんな表情で。
「え?」
それを問う間もなく、彼らが両脇をかためていた扉が勢いよく開く。咄嗟のことに、ハルは扉をよけきれず、顔だけを背ける。
体に当たる痛みを覚悟した瞬間、いつの間に、それは風のように。
ふわりと肩にかかる漆黒の美しい髪は、自分のものではないと気付く。
「……大丈夫か、料理人」
低い低い声。
隠されていた玉虫色の瞳がすぐ近くにあって。
ああ。
なんとなく"懐かしい"。
そんな気がした。
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