36.ハルと不遇の王(2)
眼鏡には不穏な原因のひとつである"魔力封じ"の術をかけ。
"燃えるような波打つ赤い髪"はこの国では珍しいから、地味に黒く変え。
ハルは心機一転、晴れやかに豪奢なテーブルの席に着き、大きな口を開け、フレッシュチーズのサンドイッチを頬張ろうとした瞬間だった。重苦しい気配に視線を向ける。
「……あ。おはよう、ございます?」
昨日の騎士だった。その手にワゴンを押して、その姿がこれほど似合わないものはない。
甲冑に、ああ、でもよかった、兜はしてない。
変なところでほっと嘆息しながら、騎士の顔を初めて見た。昨日は多分わざと隠していたから。この屋敷は、いや、彼はそれほど忌み嫌われていると。それもまたハルにとっても例外ではなく。
騎士は、この国ではそれほど珍しくもない金色の短髪に精悍な顔つきをしていた。頬にはす、と一太刀の傷。見た目の年齢から言っても、きっと他国との前の戦での傷だろう。青年の藍色の切れ長の目をすっと見つめていて、はたと気付く。
「そうだ。食べます?」
ポカンとした騎士の顔を見て察した。
たぶん、タイミングを色々間違えた。
騎士は、ぎこちない手つきで、テーブルにパンのかごや見たことのない果物が盛られたガラスのボウル、綺麗に飾り付けられた前菜の皿をどんどん並べていく。甲冑の手甲のまま並べるんだから、ある意味、器用なんだろうけれど。
「今日も綺麗ですねぇ」
もちろん返事はない。湯気の立つことのない食事を並べる騎士の様子をチラリと確認しながら、とりあえずニコニコと笑った。
「リジのパンもおいしいけど、王城のパンはふかふかですねぇ、……あ」
ふいに、騎士の手が止まった。ハルが騎士の視線を追うと、サンドイッチの皿と、キャベツがこんもりと盛られたまだ湯気の立つスープボウルを凝視している。まさか、朝食が運ばれてくるとは思わなかったのだ。うっかりいつもの調子で鍋いっぱいのスープを作ってしまった。
「ごめんなさい。いつも4時とか5時とか、朝焼けの前には起床して……」
「朝焼け前!?」
思わず、騎士から反応があった。
「お、驚くことですか?朝食の用意もしなければならないです……」
「朝食の用意!?これ、ひ、姫様が!?」
「姫様!?誰が!?」
「え、だって、シュ、シュネーリヒト王子とイルルージュ王子が……」
「……へぇ?」
あのふたりは後で問い詰めなければいけないようだ。
ハルはまだ試していない、稀代の魔術師の書いた『術と式』に思いを馳せる。それともそれを独自に変更した式を書いてみようか、ひっそりとニヤリと笑う。同時に眉間に皺を寄せ、考え込んだのがいけなかったのか、それは突然発せられた。
「あああああああああっっ!も、ももも申し訳ございません!勝手に口を開きまして」
「え、え、え?」
そう謝罪の言葉を述べたまま、騎士はピタリと口を噤む。
体格の大きな男性がシュンと頭を下げ、微動だにしなくなった。
「あ、あの。私はお姫様ではないので」
そう言ってみても無駄のようで。
「あ、実はわたし、料理人なんです。だから、顔を上げてください。騎士様の方が身分は高いでしょう?あ、でも王子様たちも何かわけがあってそのように申したのかもしれませんから、ここだけの話でおねがいしますね?」
そろそろと上目がちに騎士は顔を上げる。
「あ、あの……り、りょうり……にん?」
「はい。1ヵ月だけですが、シュネーリヒト王子に頼まれました。ハルです」
リジに教わった笑顔を張り付けてみた。
「う……」
「あ、あの?」
「い、いや。うん。ええと、ハルさん」
一気に緩和した雰囲気にハルは、そのあままふわりと笑う。
「はい。よろしくお願いします」
口元を押さえ、騎士は呟く。
「……シュネーリヒト王子ってもしかして面食い……?」
その騎士の呟きはハルには届かなかった。
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