26.ハルと珠玉のひと(9)
『魔術8』を小脇に抱え、ヒスイが止めるのも聞かずに、どうやら体が動かせないほど衰弱しているのをいいことに、ハルは無視して天蓋を開けた。
「気付いてみればおかしいですよね。王族直属の騎士達が、こんな間近の不法侵入者に気付かないなんて。ああ、いいです。認めます、不法侵入したってこと」
暗幕が下りているせいか、風でそよいで月が照らしでもしない限り部屋の中は闇のようだった。一点に向かい「ふう」ため息をつく。
「ハル?」
「ヒスイはそこにいてくださいね。ええと、やられる前にひっそりこっそりやっておけ、だったっけ。やるならひっそりこっそり?……この場合、ひっそりじゃないけどいいかなぁ」
のんびり言って首を傾げると、闇に消えるのことない燃えるような赤い波打つ髪が視界に入った。
「そういえば、後始末もまだでした。眼鏡と背中の打撲と謎の不審者の恨みは晴らさせていただきますよ」
サラサラと宙に文字を書き記す。
「……なんの、ことだ」
突風が吹き込み、暗幕がギシリと揺れて月あかりが差し込む。同時に全身を黒い布で纏った男が現れた。
否、彼はずっとそこにいた。闇の中に溶け込んで。
黒い布をゆるやかに纏っているというのに、その体躯が鍛錬されたものだとわかるくらい体格の良い男だった。
「ハルッ、戻れっ!お前、何者だ!」
「はい。ヒスイは黙ってそこにいてください。黙ってそこにいてくれるのならば、ちゃんと後で約束は守ります」
ギリ。
さっきと同じ軋むような痛みが両手を駆け抜ける。
動けないだろうけど、ヒスイはヒスイだ。無理して這ってでも出て来そうなので、ひっそりと、けれど俊敏に式を書く。ベット周辺ごと"外見からは見えない厚い膜"で覆い、ハルは「さてと」数メートル先の男を見据えた。
「探しましたよ」
「……あのときの嬢ちゃんか」
「ええ。高かったんですよ、あのメガネの材料費」
「……だから、なんのことだ」
「背中なんてまだ痛みます。おかげでお店も休んで給金が減りました」
「……なんの、ことだ。いや、背中は俺がやった傷だろうな」
「それと、謎の不審者まで家に入れる羽目になって。兎にも角にも……」
あの時。
この男に「なにが」とは聞き返さなかった。聞き返せなかったのではなく、聞き返すのが"普通"から遠ざかると思ったからやめたのだ。
その前の選択肢にしても、ヒスイが誘拐されている現場に出て行くのならば、『何が何でもか弱き一般庶民であると振舞うためにも、殺されるフリをしなければならず』、仮に助けるのならば『ひとりで倒しちゃうと不味いから、誰かを呼ばなきゃ』と。
仮に、うん、この選択肢は今になって思えばひどい人間だ。
『助けられるのに助けない』なんて。
「つまり、あなたはわたしに恨まれているわけです」
笑顔で言ってやったのに、男は笑いもしなかった。口元まで覆ってるから見えないっちゃあ見えないけど。
「……お前」
「それでは、いっきまあす」
「は!?」
「秘儀。大魔術師の呪い」
ありがたくも、全く強そうでもない秘儀を普通に、通常喋るペースで告げた。
"忌み嫌われる魔術師"
ふと、わかりたくもない大魔術師の気持がわかってしまった気がした。
シュルリシュルリ。
ハルの手元から滑るような風を切る音と、音とは正反対の重く太い茨のツタが男を目がけて突進していった。
「ああ、なるほど……これはツタっていう文字なんだ。何が出てくるのかと思った。それにしても……きっともうこの辺りには自生してない貴重なツタなんだろうなぁ。採取して植物園に売ったら高いかな」
ハルはどこからか出したペンで、開いた"魔術8"に文字を追加していく。
「うわあああああああああああ!!!!!!!」
身体を太いツタに絡まれ持ち上げられた男の悲鳴に全く聞く耳持たず、ハルは「今後使えそうなんだけど……」首を傾げながらあーでもないこーでもないと文字を書き続ける。
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
中身が出そうなほど締めあげられた、もはや元屈強な男が、早々に涙目で抗議をしているが気にもかけず、ハルは「さすが大魔術師」諦めたように呟いて、自分が足した文字をなぞった。
文字がふわふわと宙に浮き上がり、ハルの赤い波打つ髪の周りを嬉しそうに一周した。
そんなどこからどうみても奇異な光景に、ひとり呟く。
「…………ハル?」
ハルがその声に反応したように振り返った。
その視線とがぶつかり、彼は咄嗟に手を伸ばした。けれどそれはハルによってもたらされた『厚い膜』によって遮られ、届かない。
「ハル!!いい!!きみがつらいなら……」
赤い髪が揺らめき、イルルージュの視界を染めた。
「わたしは"魔術師"なんです」
ハルは今にも泣きそうな、そんな笑みを湛えていて。
そして、その場にハルは膝を折った。
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