21.ハルと珠玉のひと(4)
「平穏無事……これに勝る言葉はないわ……熱っ」
のどかだ。
小窓から差し込んだ、強くなり始めた夏の日差しを眩しそうに見つめ返した。
ハルは無駄にスースーする背中を気にしながら、ゆでたじゃがいもを剥いていた。台所の小窓から入るそよぐより少ない風にも背中はスースーする。冷却効果抜群の薬草が、あの不審者の塗り薬に大量に投与されていたのだろう。そのお陰で、随分、背中の熱が下がり楽にはなった。若干、臭気が気になるが。
けれど。それにしても、とハルは思う。
「……で、あの不審者……っていうか、ダレ?」
栗色の髪。深い湖色の目。美形の不審者は、リジーのお店にたまたま買いものに来たところ、奥から悲鳴が聞こえて駆け付け、そのままの流れでハルをわざわざ送ってきてくれたのだと言う。その上、一日中介抱し、一緒にオートミールを食べた後、用事があるのでと颯爽と去って行った。
そうなると、不審者は乗り掛かった船よろしくの善意のみで甲斐甲斐しく介抱してくれたのだろう。自分が作ったという塗り薬を律儀に予備まで置いて。
「善意、ね」
向けられたことないその感情に、苦笑した。
「珍しいこともあるなぁ」
呟いて、不意にヒスイ、イルルージュ王子の歪んだ顔が浮かんだ。
夢で見た彼は憔悴しきり、澄んでいた瞳に輝きがなかった。真実のところはわからない。けれど、あの優しすぎる王子様は当たらずも遠からずなのではないかと、心のどこかで思う。
こうなるとわかっていたはずなのに。
後悔しないと決めて、やったことなのに。
「……どうしたらいいんだろう」
今朝から幾度となく考えてきたこと。けれど、それを実行するにはハルにとってあまりに重いことで。それをしたことによって、果たして済む問題なのかもハルには予測がつかない。後悔を背負うのは自分に課せられた罪だ。けれど。
「ヒスイは」
彼にこそ何も罪はない。
もやもやと沈み込んだ憂鬱な心を払拭するように、昼食のスープを作り始めた。
が、結局、始める前と同じところに辿りつき、ため息をつき、小さく首を横に振って打ち消す。しばらくしてやっぱり、彼の顔を思い出し、考え込んで、ため息をつく。
そんなことを繰り返している間に、いつのまにかボウルに山盛りになっていたじゃがいもを見て苦笑いした。
「まったく。後悔しないと、決めていたのに」
じゃがいもを潰して少量の雑穀粉を混ぜ、適度にまとまったところで棒状に伸ばす。
「お湯、お湯」
いつもリジーのお店に持っていく寸胴鍋にたっぷりのお湯を沸かしながら、隣で小さめの鍋に完熟したトマトを潰す。バジルと酸味のさわやかな香りにハルは口元を緩めた。小さな家中にその香りが広がって、ハルは背中の痛みも不審者のことも忘れ、ヒスイのことは取りあえず再度、奥底に隠してスープを作る。
「うん。美味しそう!」
じゃがいものニョッキ、トマトスープ。いそいそと湯気の立つスープカップを持って、振り返って。
固まった。
「…………安静にしてろと、言いましたよね?」
低い、ひんやりとした声。
っていうか、何故。
「え、えと」
それは壁に凭れたまま、有無を言わさない視線を向けていて。
「言い、ました、よね?」
だから、何故。
「ハル、さん」
名前を呼ばれて浮かんだ冷や汗に、背中は凍りつくほど冷たく感じた。いや、冷や汗のせいだと思いたい。
額にあからさまな「怒」マークを付けてそこに立つのは、帰ったはずの"不審者"。どんな状態でも綺麗な人は綺麗なんだと悠長にも思いながら、取り急ぎ。
「……ごめんなさい」
謝った。
どうやら、不審者は元々戻ってくる予定だったらしい。
ベットに血痕ごとく赤い染みを作るのは断固拒否したため、テーブルで食べることが許可された。もはや誰の家だか、誰が家主なんだかわからない。
とりあえず、不審者の前にもスープカップを置く。
「いただきます」
口に含むとニョッキが柔らかく、けれど弾力をもって潰れる。甘味に雑穀のプチプチが美味しい。次いで大きめに潰したトマトのスープ。自画自賛だが。
「美味しい!」
と、はた、と気がついた。
なんていうか、訝しげ、もしくは不審そうな微妙な表情をしている"不審者"に。クールビューティーは返上だ。表情が表に現れにくいだけで、気がついてみれば意外に豊かだ。細微だからわかりにくいだけ。
確かに言うことを聞かないで長時間台所に立ったことは認めるし、それに対して怒っているなら百歩譲って許せる。けれど作ったものに対して、その表情は許せない。
「"不審者"さん」
「はっ」
「毒とか入ってませんから。これでも一応、リジーのお店に出してる料理人ですし、そんな変な物入ってませんよ」
「あ、いえ」
「あ、もしかしてお昼食べて来ました?もう三時くらいですもんね。って、どうかしました、"不審者"さん」
「って、え、"不審者"……って、は?」
"不審者"連呼。小さな反撃を繰り出す。
顔を上げて訝しげな表情のまま見据えられて、ハルは鼓動が速くなるのを感じた。
薄暗い部屋の中でも落ち着いた湖色の瞳が、まるで。
その目に捕えられそうになって、慌てて次の言葉を繋げる。
「"謎のひと"でも"謎のお節介"でも、"謎の美男子"でも、なんでもいいですが」
「なんで謎ばっかり」
機嫌が悪くなるかと思っていたら、反対に口元を緩めた。
反則です。
だって、まるで。
珠玉のようなひと、じゃないか。
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