19.ハルと珠玉のひと(2)
燃えるような赤い髪のまだ小さな女の子が、黒い目にいっぱいの涙を溜めて膝を抱えていた。
隣に古いクマのぬいぐるみがちょこんと置かれている。あちらこちらから綿が出て、ボタンの目は片方が飛び出ていた。腕や足に至っては、ほとんど引きちぎられていて、かろうじて糸でつながっているのが不思議なくらいだった。
一見、どこかにはあるような光景で、けれどよく見れば異質だった。
みすぼらしいワンピースに身を包んだ女の子の両腕は、大けがをしたのか何重にも包帯が巻かれている。
何よりも。
女の子の周りには余白がないほど記号が書き詰められている。
あれは。
幼き、わたしだ。
なぜか、わたしは浮遊し、上空から光景を見ているようだった。感覚はなく、目を背けることもできない。
覚えている。これは大切にしていたクマのぬいぐるみを、孤児院の手伝いをしている庭番に『むしゃくしゃした』それだけで壊されたのだ。それを直そうとした。
魔術で。
そう思った瞬間、どこかで歓声が上がり、わたしは幼きわたしから目を外し、振り返った。
赤銅色の髪。
翡翠色の瞳。
向けられたその眼は何も映していない。対面しているはずのわたしでさえ。
イルルージュ王子。
背筋が凍るとはこういうことかと思った。
わたしはとんでもないことをしてしまった、瞬時にそう悟った。
わたしが"普通"を欲したから。
わたしが"普通"に戻るように彼の心を犠牲にしてまで、細工をしたから。
わたしが。
わたしが魔術師であることを認めたくなった、たったそれだけのことのために。
それでも、あがいてもあがいても、あがいても!
わたしは、まだ"普通"の人生を送りたいと切望し、必死に手を伸ばしていたい。
たった一つの、そんな希望でさえ魔術師には、叶わないのか。
万物の力などいらなかったのに!
「――――――ヒスイ!」
叫び、身を起こす。
身を起こす……。
「ゆ……め?」
薄暗い中、ゆっくりと周りを見渡す。荒い呼吸を繰り返すたびに背中に激痛が走り、頬を伝った汗が掛けられた布団に流れ落ちた。体中が重く鈍い。
「ああ!」
突如上がった低い悲鳴に似た声に、ビクリと肩を震わせ、体を硬直させた。
「高熱で倒れたんですよ!何をなさってるんですか!」
何かをサイドテーブルに置くと、慌ててソレはわたしをベットに横にする。手際が良い上、どこまでも丁寧で背中に痛みが走ることなく横にされた。
「まったく!ちょっと目を離すとこれです」
どうやらおかんむりらしい。
……この見知らぬ男は。
「あの」
「さ、少し目を瞑ってくだださい」
「いえ、あの」
「まったく!拒否は受け付けません。ささっ」
いや、そうじゃなくて。
……ダレ?
とりあえず、額に乗せられた布が冷たくて気持ちよくて目をすっと閉じた。
「もう少し休んでください」
静かで落ち着く声。
目を閉じる前に見た謎の不審者の様相を思い浮かべた。
栗色の髪。整った顔はどちらかといえば美形だ。濃紺色の瞳は深く神秘的で、ウィザード歴史大全の中の写真でしか見たことのない、昔あったという湖の色に似ていた。
「あの」
戸惑いがやっとわかったのか、ため息ひとつを返し謎の不審者はベット脇に座ったようだった。ギシリとベットが軋む。
「その傷で無理しすぎです」
さっきまでのドタバタが嘘のように静かに告げて、そっと頬に触れ、髪に触れていく。普段なら恥ずかしすぎて振り払う動作を、熱で重い体のせいか、それともひんやりとした冷たい手が気持よかったからか、黙ったまま受け入れた。
「あの」
「リジーさんは知らない。隠して仕事していたんでしょう?」
「はい」
「……リジーさんから伝言です。三日間、強制休暇とのことでした」
そうなることは見越していたから、リジーに気付かれないように仕事を続けていたのに。
ああ、これで三日分の給与がなくなった。
この異常事態にも、どちらかといえば生活のかかったその報告の方が悲しくて、この謎の不審者を放置したまま再度眠りの中に落ちていった。
お気に入り登録ありがとうございます。
誤字・脱字等発見しましたら感想等でお知らせください。読んでくださってありがとうございます。