17.ハルと花待ちのひと(10)
とある花祭りの夜。
伝わる地響きとともに、何かが盛大に爆発する音が夜空にこだました。
けれど一年に一度の祭りに酔いしれる王国の民はそれに気付かず、新しい酒を開け酌み交わし、灯るランプの下で陽気に踊り続けた。その一方で、一部の人間はそれを敏感に察知し、慌ただしく動き出した。
「……って、ハルッ!!!」
ヒスイは爆風に飛ばされないように、けれどハルに言われた通り真っ直ぐに走った。
振り返れば爆風で飛んだ小石が正面から突き刺さるから、兎にも角にも振り返らずに走り続けるしかない。爆風が背を押し続けるのもあるが、ハルの所在を確認できないまま一番近くの大木を目指し全力疾走する。
大木の裏に回り込むと、辺りを覆う灰色の粉塵が落ち着くのを今か今かと待った。パラパラと瓦礫が地面に降り注いでいる。
「……ふっ飛ばしすぎだろ……」
焦燥だけが浮かぶ。思った以上の衝撃だ。制御できないにもほどがある。それよりも、それを放った彼女の姿が見えない。
「ハル!」
靄のかかった状態のまま、倉庫を振り返った。
「…………え」
そこに倉庫などなかった。
「え?」
いや、倉庫だけではない。元からそこには何もなかったかのようだった。次第に晴れ上がっていく視界を、満月がその場を明々と照らし出す。
数十メートル先まで一直線になぎ倒された木々。
その手前に唯一、無残に残った石の土台。
「ハル?」
無数の瓦礫はあるものの、人気はまったくなく、時折、忘れた頃に木々から風で落とされた小石が音を立てるだけの静寂が訪れていた。
確かにさっきまで彼女はいて。
確かにさっきまで彼女と捕えられていた。
その現実さえ疑わせるほどの現実。
不確かに手が震え、体中からあっという間に血の気が引く。足腰が途端に力をなくし、その場に足を折った。走り寄り、あるはずの探し回る力さえ、例えば、故意的に引き抜かれたように。
「なぜ、なにも……ない」
疑問にもならず、声は掠れ、風に消えた。
それならば彼女の名を呼ぼうとして、彼女の名前を忘れてしまったように口は動かず、まるで、その言葉が何か制約を受けているように。翡翠色の瞳は今は混濁し、何も映さない。
「――――――ああ!」
両手で顔を覆う。この事態に涙さえ出なかった。
よく考えてみれば。
彼女は全く逃げる素振りを見せていなかった。
そんなことさえ気付かないなんて。
情けない。
不甲斐ない。
ああ、そんな言葉ではすまされない!
それよりも何よりも。
「――――――巻き込むだけ巻き込んで、私だけが生き延びようとは!」
いつからか干乾びてしまったように、乾いた喉はその悲鳴に、叫びに、強烈な痛みを与える。
痛い。
痛い。
痛い!
彼女は、どこへ行った。
何故。
何故。
何故!
何故、私だけが生きる!
「――――――名しか知らない彼女の全てを私が奪った!」
数時間前に会ったばかりの、少し変わったまだ小さい女の子の全てを。
「――――――ハル……」
世界が暗く重く堕ちていった。
いつまでそうしていたのか。
数分だったのか、数時間だったのか。
チリン。
背後に聞こえた小さな音に、咄嗟に振り返った。
けれど、そこに彼女はいなくて、代わりにこの王国ではあまり見かけなくなったモノがいた。遥か昔の大戦後から、彼らのような小動物は絶滅の一途を辿っていたからだ。今では裕福な家庭の愛玩動物でしかない。
「……ねこ?」
猫。
その様相は、今までみたこともないほど変わっていた。突然変異でもありえないだろう、燃えるような赤い長毛。じっと見つめるその目は、混沌を思わせる、吸い込まれるような一色の黒。
「おまえ」
不意にとことこと歩き近付くと、心配そうに見上げた。
「きみにまで心配させるなんて、わたしは……失格だ」
何が、とは口には出さなかった。
チリン。
よろよろと立ち上がる。
"ヒスイ"が立ち上がったことに満足したのか、赤い猫は暗い森の方へと歩き出す。何故か、その猫がついて来いと言っているようで、後を追った。
時折、猫は心配そうに振り返り、そして"ヒスイ"もまた跡形もなくなった倉庫を振り返った。
静かに風が吹き、木々が揺れた。
「ごめんなさい」
どこからともなく澄んだ声が聞こえた。
「……さようなら。イルルージュ王子」
チリン。
鈴の音が最後に聞こえ、不意に強く吹いた風に消されていった。
次に閑話を一話はさみます。ここまで読んでくださってありがとうございます。誤字・脱字等ありましたら感想等でお知らせいただければ幸いです。引き続きよろしくお願いします。