14.ハルと花待ちのひと(7)
「まずはこのロープをどうにかしないとな」
ふうむ、と眉間に皺を寄せて考えるヒスイはなんだか幼い。赤銅色の髪に翡翠色の瞳。初めて目にしたときはあんなにも大人びて見えたのに、今はどこか愛着さえ湧く可愛らしさだ。
「野良犬に名前を付けたのと同じ状況かな」
「何か理不尽なこと言わなかったか?」
「いいえ」
迷子の犬だ。迷子の子犬。
「よし。ハル、ちょっと両手をこっちに」
言われる通り、縛られた両手をヒスイに向ける。何をするのかとヒスイを見ていれば、石の床に転がり、両手を縛るロープに顔を近付けた。
「は!?」
「わっ、動くな、ハルっ」
ギリとヒスイの歯がロープを咥える。
「け、怪我しますからっ!っていうか、違う方法考えましょうっ」
「ひょいかりゃ」
意味不明の返答とともに、ヒスイの息がふわりと手首にかかる。
ぞくりとする背中に「ひいぃ……」声なき声をあげ、必死に自分を言いくるめる。
迷子の犬だ。迷子の子犬!じゃれてるだけ、じゃれてるだけ、じゃれてるだけ……
すぐに耐えられなくなり、自ら途中で意識を飛ばした。
ただただ、ロープが少しずつ緩んでいくのを感じながら、ここが朧な月あかりだけの薄暗い空間であることに感謝した。
「あ」
交差し縛られた両手が解放されて、ハルはすぐにヒスイを振り返った。ぐったりと横たわったヒスイの顔に赤銅色の髪が汗で張り付き、目を閉じて荒い息を繰り返している。唇に血の痕を見つけてハルはそっと両手を伸ばした。
両腕がざわめく。
「ごめんなさい」
「違う。そこは"ありがとう"。それと私のも解いてもらえると助かる」
なんでもないというように、唇をひと舐めしてにっと笑う。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
"ごめんなさい"だ。
本当ならば彼にこんな怪我をさせることはない。
ヒスイの両手足を縛っていたロープをほどくと、久しぶりの自由に嬉しそうに立ち上がる。そうしてみれば、彼は思っていたよりも背が高く華奢だった。
「ハル?大丈夫か、ほら」
まだ座ったままのハルの手を不意に掴む。
「あ」
ギリ。
全身に熱が駆け巡る。両腕には熱く燃えるような痛みと熱が走り抜けて行った。急に歪められたハルの顔を見て、慌ててヒスイは手を離す。
「ごめ……っ!」
背中を木刀で打たれた痛みではない。
初めてではない、けれどわたしの一生に何度もは"ありえない"。
ただ。
赤銅色の髪と至宝の翡翠色の瞳を見たときから、どこかで気付いていたのだ。それが確定しただけのこと。長袖のブラウスの下、この両腕に青く鈍く光る血脈がわたしに教える。
嘆息し、疲れたように目の前で慌てるヒスイを見上げた。
「わかりましたよ」
誰に言うでもなく呟き、決断した。
こうなったら、何が何でも数秒でも早くここを脱出し、彼をあるべき場所に送り届け、わたしは絶対に"普通"に戻る。金輪際、誰にも触れさせないような"普通"へ。
魔術師!
歓声と喝采があがった。
ああ、どうして普通でいたいと願えば願うほど"普通"が遠のいていくのだろう。
「ちょっと驚いただけですから」
「でも」
「一応、女子なんで。綺麗な男性には弱いんです」
「……無表情で言わないでよ」
すっと両腕から熱がひいたのを確認して、部屋の中を見回す。隅にぞんざいに投げられたバスケットが目に入り、駆け寄った。
中身は本によってガードされていてびくともしていなかった。
「ハル?」
「よいしょ」
バスケットから包みを取り出し、開く。バケットで作ったサンドウィッチも無事だ。
硬いパン万歳!
「よかった。いただきます」
「え、ちょ」
「……いりますか?」
大きな口を開けて食べようとしたところで、ヒスイが慌てて声をかける。知らない人間が作ったものなんて彼は食べないだろう、そう教育をされているはずだ。そう思って、一応だけ声を掛けると、翡翠色の瞳を輝かせて隣に座った。
「やった!ありがとう。おなかペコペコで!」
「……え」
「え?」
「あの」
「うん?」
「食べる、んですか?」
「いただくけど?」
食べるなら、ともうひとつのバケットを渡す。嬉しそうに速攻で齧り付くヒスイを見て思う。
「……どっちが変わり者ですか」
せめて誰かが食べてから食べようよ、毒入ってたらどうするの。
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