12.ハルと花待ちのひと(5)
魔術師、魔術師!
どこに逃げても、その姿かたちを闇夜に隠そうとも、見つけるぞ。
魔術師!
低い、深い、闇夜からうねるような掠れた声が響いた。
それは呪いではなく、どこか歓喜に満ちて。
歌うように溢れ続ける、幾人もの重声だと気付いた。
魔術師!
お前はどこにいる。
魔術師!
「どこにもいないってばっ!うっ、さい、なあ、もうっ」
連日に突入したその声に、怒り心頭で勢いよく上半身を起こした。瞬間、前頭部に鋭い痛みが走り、鈍い音が無機質な部屋に響く。遅れて、背中に鈍痛が走った。
「いた……」
涙目に、前頭部を触ろうとして両手に自由がない。状況を思い起こそうとする前に、隣で地面に頭を埋め、身悶えする見知らぬ人間を視界に入れる。どうやら前頭部の原因はその辺りにありそうだが、はたと赤銅色の肩まで伸びた真っ直ぐな髪が目についた。
ああ、そうだ。
小道で選択を失敗したんだった。
「へ、平和が……普通が……」
さらに、項垂れつつ確認した視界が嫌にクリアに見えていて、いつもの瓶底めがねがないことに気付く。
「……あれも色々高かったのに」
肩を落とし、ため息をつき、覗きこまれていたそれと目があった。
至宝。
すべての感情を打ち消す、ただ単純にそれは美しい色だと思った。
「翡翠」
「どこか痛みはないか」
ハルの呟きの変わりに、そっと発せられたその声が、自分に向けられた労りだと気付くのに数秒用した。生まれてこの方、そんなふうに体を心配されたことなどない。あったとしても、労力としてまだ使えるかどうかの判断材料でしかなかった。
「……すまない」
それにもまた目を丸めた。
俯いた彼は同じ年頃だった。その顔は遠目でも思っていたが、麗美だ。赤銅色の髪に翡翠の瞳。一般的な町人服から覗く健康的な肌。まるで、その服が本来の彼の服ではないかのように馴染みない。ちなみにおでこが赤いのは、わたしの石頭が勢いよく直撃したからだろう。
「巻き込んでしまった。まさか、あんなところにこの祭り中、ひとが来るとは思わなかったんだ。悠長に……わたしが」
イメージからは想像できないほど、彼は落ち込んでいた。見た目だけで判断すれば、威張り散らせとは言わないが、彼は堂々としているのが似合う。
「あの、あなたのせいではないと思いますが」
不意に上げた彼の顔は今にも泣きそうだった。それさえも美しいと感じる自分に苦笑いし、子犬のような少年に好ましさと同時に多少の苛立ちを感じた。
どうやら彼は相当優しい人間のようだ。自分だって被害者だというのに、他人しか見えていない。
"あるまじき"。
思い当る節を嘆息で消し去り、言葉を続ける。
そんなわけない。
「そもそも人攫いは罪です。と、ウィザード歴史大全に書いてありましたよ」
「いや、あの。え、全部読んだのか、あの分厚い本!」
「はい。ああ、最終巻がまだですけど」
「良く読んだな……って、いや。あの、……私が悠長にあいつらに」
「わたしの方にもう一人いました。どちらかといえば、そちらの方が手だれだと思います。あなただけでは攫われて、ハイ、サヨウナラ」
「……物言いが随分、直接的に物騒だな」
ウィザード歴史大全のおかげで、かなり彼の態度が軟化してしまった。あまり彼とは近付かない方が良い気がするというのに。
「……だが」
まだ言い募る彼に畳みかける。
「例えば、わたしがあの場にいなかったとして、あなたはやはり連れ去られたはずです。例えば、わたしが先にあの場にいれば、あなたが狙われているとは限らなかったかもしれないですけど」
「それはない」
即答されて、驚くことなく肯定の意を心の中にしまう。
「例えば、は、尽きませんが……とにかく、ひとりより二人です」
ふ、と息をつき、言い切った。
「さっさと"お互いの普通"へ戻りましょう」
至宝が一瞬、驚いたようにその目を見開いて、そして今までで一番美しく笑った。
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