11.ハルと花待ちのひと(4)
それに気がついたのは、花祭りが行われているメイン通りから外れた小道に入ってすぐのことだった。
お店が休みのときには必ず、図書館で借りた本か何度も読み返すほど気にいっている本か、兎にも角にも一冊の厚めの本と、リジーのパンで作ったサンドウィッチとスープをバスケットに入れてそこに向かう。
ちょうど商人街と貴族街の境目の位置に小高い丘がある。
メインストリートを外れ、小道に入る。そこまで深くない森を抜け、山道をゆるゆると上ると、急に目の前が開け、山頂に上る険しい獣道が現れる。
長い道のりではないけれど、いかんせん厳しい。
そんなわけで人気はなく、その丘の上はハルのお気に入りになった。
春は一面にピンク色のレンゲソウが咲いていた。
夏は街を見下ろし、揺れる木々の木陰で暑さをしのぐ。
秋はきのこを収穫し、ダロンさんに食べれる物をより分けてもらった。一度、中毒になったけれど。
冬は、真っ白な街に明りが次々に灯る様子を暖かそうだと眺めた。
人恋しい時は、いつも丘の上にいた。
確かに『いつも』だが、この状況は初めてだ。
「ええと」
はっきり言って、迷っていた。
もちろん、道じゃなくて。
「放せ!お前ら、一体、何者だ!」
伸びた夏草の中、くぐもった声が聞こえる。それを囲むようにむさ苦しい男たちが「静かにしろ」「暴れるな」「死にたいのか」、王道の文句を叫びながら麻袋の中にそれを押しこんでいる。
ああ、きっとあれは拉致だ、犯罪だと、不謹慎にも悠長に思う。
「困ったな」
何を迷っているのかというと。
すでにこの状況が"普通"じゃないということで。それは仕方なく早々に諦めた。
ならば、どうしたらこの状況がいかに早く"普通"に戻るかだ。
まず、第一に『助けるかどうか』。
人道から外れていると思うかもしれないが、わたしは何が何でもか弱き一般庶民だ。ここで策もなく出て行こうものなら間違いなく殺られる、ことになる。
仮に、助けるを選択するとして、第二に『人を呼ぶかどうか』。
もちろん、呼ぶ。ひとりでこの状況の打開は不味いだろう。
そうなると普通するように町まで戻って間に合うか。
「間に合わないだろうなぁ」
仮に、助けられないことにして、第三に、無視するとか?……心がなんだか激しく痛むけれど。
その間にも、押し込めもがいている男たちを見据えて、叫び抗い続ける多分『少年』から目を離さず。
「よし」
「なにが『よし』だい?お嬢ちゃん?」
その声に背筋が凍った。
「あいつらも馬鹿だな。こんな餓鬼に見られやがって。しかも気付いちゃいねーし……あんな坊ちゃんひとりに手こずりやがって。大の馬鹿三人が」
その呆れた声に、ハルは息さえも潜めた。
「俺に余計な仕事ばっかり増やしやがって」
さすがに相手も確認できる至近距離で目撃者Aになっていたから、周囲の気配は探っていたはずだった。なのに、明らかに背後に確認できるその気配は、ああ、ぬかったと単純に思うには危険すぎる匂いがした。
「残念だったな」
「なにが」とは聞き返さなかった。
瞬間、肩越しから背中にかけて鈍い痛みが走り、同時に視界は暗転した。
薄暗い闇に包まれる視界の中で、前方で拉致されつつある少年と目があった。
燃えるような赤銅色の髪。
そして利口な彼は気付いたのだろう、声も出さず気配さえも出していなかったはずのわたしの存在に。明らかに青褪めた顔色と、どこまでも。
そう。
どこまでも印象に残る"翡翠色"の瞳。
わたしの選択は間違っていた。
はなから選択肢がひとつ足りなかったのだ。
『やられる前にひっそりこっそり、やっておけ』
うん。
もし今度こんな事態に出くわしたらそうしよう。
それだけ判断し、意識を手放した。
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