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ザエッダの弓手 〜 黒と空の物語 〜

黄金の瞳 ─ 助けたはずの相棒に、置いていかれる話

作者: 無為(MUi)
掲載日:2026/04/17

 

 ─ 何かが終わる時は、案外静かだ。

     大きな音もなく、

  ただ居場所だけが遠ざかっていく。 ─

 

 

 

 

 雨が降っていた。冷たくはないが霧がそのまま落ちて来たみたいな、全身をじっとりと濡らす雨だった。


 崖の上で、ガルが──俺の相棒が吠え続けている。ただの相棒じゃない。家族で戦友だ。

高く鋭く、低く深く、声の高さと間隔。


 大丈夫だ、訓練通りやれてる。仲間に危険を知らせる為の吠え方。ここにいるぞ、って吠え立てている。

ダルカ犬の咆哮は霧の森でもかなり遠くまで届く。

崖の上の霧が少しでも薄くなっていることを祈ろう。


 ガルの声が止んだ。父さんたちが駆けつけたんだ。


(……良かった、これで助かる)


 俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 〔恵年四の年、第七月、二日。陽盛月に入ったらしい。今日も兎は一羽だけ。ガルは満足そうだった。〕


 神父さまは、俺のたどたどしい文章を読んで微笑んだ。


「ジュード、大分字が上達しましたね。ガルも元気そうで良かった」

「はい、神父さまのおかげです」

「お礼なら私ではなく、空の上の御方へ。あまねく世界を見守っておられます。私はただ、神の手足となって動いただけなのですよ」

「空の上、ですか」


 俺が熊の攻撃を避けようとして崖から落ち、九死に一生を得てから二ヶ月経った。


 意識を失う間際、突風が谷を吹き抜け霧を蹴散らし、谷に丸い月の光が差し込んで、


(あぁ、月が綺麗だな)


 そう思ったのを覚えている。


 俺が落ちてから長いこと吠え続けていたガルの声が聞こえなくなって、てっきり親父たちと合流出来たのだと思っていたら、実際は深手を負い吠える力が尽きて、昏倒しただけだったと後から聞いた。


 命には別状のない傷であり、猟犬の回復力は人間の比ではないと諭されたが、俺は頑として、一緒に治療して欲しいと主張した。


「私は大きな祝福は使えませんから」


 と、神父さまは謙遜したが、それでも毎日治療を続けてくれて、三日目にはガルは教会の一室に誂えられた俺のベッドの周りをせわしなく走り回る程に回復し、俺も十日後には家に帰ることが出来た。


 父はと言えば、毎日三羽の兎の肉を教会に届け続けて、五日目にはやんわりと神父さまに断られていた。兎肉は足が早い。

一ヶ月後に母が贈った、兎の毛皮をパッチワークして作ったひざ掛けはたいそう喜ばれていたので、何事にも限度があるってことだろう。

 

 ベッドの上で退屈がる俺の為に、神父さまは大陸共通語の読み書きを教えてくれた。

傷が治って帰宅してからもずっと、二日に一回は教会で文字を習っている。


 今は復習も兼ねて、家で日記を書くように言われている。

 

「陽盛月の綴りが少し違いますね。うむ……、他は良いです。事実を書くのもいいですが、感じたことも書いてみましょうか」

「感じたこと、ですか」


 昨日の狩りで感じたこと、か。


 ガルは怪我をする前より、明らかに速くなっていた。全力で走っても、もう追いつけない。


 あのとき確か俺は、


『一緒に育って一緒に狩りをして、一緒に危険な目にあって……、俺を助けてくれたんだ。ガルには神さまの祝福を受ける権利が絶対にある』


 ってゴネまくった。

じゃあ、これは神さまの祝福なのか。


 俺は傍らで伏せの姿勢を保つガルに目をやった。

少し吊り上がったアーモンド型の瞳は黄金に似た琥珀色。


 神父さまは外から来た人なので気がついていないみたいだけど、ダルカの猟犬は濃い茶色(ダークアンバー)の瞳をしている。ガルもそうだった。

俺は金の瞳のダルカを見たことも聞いたこともない。


 遠い遠いご先祖様がこの地に来たとき、ダルカ犬はもっと大型でもっと狼に近くて、黄金の瞳をしていたんだ。


 ガルは、何も変わっていない顔で、俺の横にいる。


 それでも──


 父が次の猟犬を選ぶと聞いたとき、迷わなかった。ガルは神さまが認めた凄いダルカ犬だから。


「辛くはないか」

「それはもう平気。ただガルは納得しないだろうな。俺のこと大好きだから」


 俺は笑えてただろうか。自信がない。

 

 

 

 

 それから数日後、俺は弓職人の家を訪ねた。裏で作業をしているはずだ。


「おはようございます、グネスルバさん」

「よう、熊狩りの息子」


 彼は俺をいつもそう呼ぶ。彼の名字は、“弓職人” を意味する古い言葉だ。こういう姓はここらでは珍しくない。

だが、俺は自分のそれを素直に誇れない。


「バルドとティルザは元気にしてるか」

「父は叔父と狩りに出ています。母は薬草の図録作りを」

「ガルはどうした?一緒じゃないのか」


 言いたくなかった。だがいずれ知れることだ。


「……父たちと一緒です」

「何やらガルは教会の祝福を受けてから目の色が先祖返りしたとか聞いたが」


 噂は本当だったのか、とグネスルバは呟く。人の口に戸は立てられない。いずれ村中に広がるだろう。


「時間が出来たんで、預けていた弓材で長弓を作ろうかと」


 努めて明るく言ったつもりだった。しかしグネスルバは不審な表情になる。


「まだ少し早いんじゃないか。お前さん、三年は寝かせると言ってただろう」


 ──ああ、乾燥期間のことか。確かにあと半年近くある。


「その……色々と事情があって」

「ははぁ、待ちきれなくなったか。若いもんは辛抱が効かないな」


 誤解してくれたのか察してくれたのかは分からないが、それ以上は追求されなかった。

 

 

 

 

 ──早朝の犬の世話を終えて家に入り、出かける支度をする。親父と共に外に出て柵の戸を開けると、中で待っていたガルが、すぐに出てきた。尻尾を激しく振って喜ぶさまは以前と変わらない。


(何だか随分昔のことみたいだ)


 「ガル、来い」


 親父が呼ぶ。ガルはちょっと不思議そうに俺を見やる。


(一緒じゃないの?)


 そう尋ねているようだった。


 俺は背負った弓木を軽く叩きながら、明るい声色を装う。


「これを仕上げなきゃいけないんだ。分かるだろ?お前と一緒に採りに行ったイチイだよ」


 戸口に叔父と相棒のソルの姿が見えた。

少しの迷いのあと、親父と共に森へ向かうガルは熊狩り犬の顔をしていた。

俺との狩りは遊びの延長だったけど、今のガルは命のやり取りをしている。金の瞳を持つダルカ犬に相応しい仕事だ。


 ガルは振り返らなかった。


 俺は弓木を背負い直した。

 

  

 


「ガルルルって唸るからガル!」


 俺がそう宣言したとき、叔父は声を立てて笑い、母は微笑み、親父は逡巡したあとこう言った。


「……まぁ、呼びやすそうな名前ではあるな」


 今となっては、セタやソルみたいに俊敏で賢そうな名前にするべきだったかと思うが、ガルだってそう悪くはないと思う。


(強そうだし、格好いいし)


 何よりガル自身が気に入っているんだから問題ない。そう、思っていた。


 親父たちが夜中に深刻そうに話していたのを俺は今でも忘れていない。


「兄貴よ、ガルはどう見ても大型獣向きだぞ。ジュードにはまだ早いんじゃないか」

「──いずれ追いつくだろうさ」


 俺は親父の期待を裏切ったのか?

 

 違う。


(……ガルが、あいつが、速すぎたんだ)


 小柄な体躯も足りない筋力も努力だけじゃどうにもならない。

 




「──痛っ」


刃がわずかに滑る。


「集中しないと良い弓にはならんぞ。弓は間違ったら戻らん」

「…分かってます」

「今日はもう帰れ」


(あと少しで持ち歩ける程度まで削れるのに)


 家に帰る足取りは重かった。あそこに俺の居場所はない。ガルの足を止めてはいけない。あいつの力は熊狩りでこそ生きるんだから。


(俺はここに居るべきじゃない)


 人の気配がして振り返る。


「ジュード?」

「ああ、リューネか」


 リューネは首を落とした雉を数羽ぶら下げていた。


「……弓、大分進んだんだな。ジュードならきっと良い弓を作れるよ」


 こいつは悪い奴じゃない、鼻持ちならない連中と比べたらよほど “良いやつ” と言える。狩りの仕方を教えたことだってあるくらいだ。


「ガルのことは、その……、残念だったな。まさか、忠義に厚いダルカ犬が主を乗り換えるなんて、ちょっと信じられないよ」


 何と返事をしたのか、よく覚えていない。

 軽蔑される方がはるかにマシだった。



 何度も、何度も、弓木を担ぎ直した。


 やけに重く感じた。



 その夜は、ほとんど眠れなかった。

 

 

 


 ──翌朝、誰にも言わずに、俺は村を出た。

 

 

 

 

 

 ── End ──

 

 

 

【次回予告】

 祝うために集まったはずの夜は、気づけばいつもの騒動へと転がっていく。


 変わらないやり取り、変わらない連携、変わらない馬鹿さ加減。


 

 ※次回は、『ザエッダの弓手 08:自由解散』の予定です。

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