07.フクロウのホー(ฮ)【後編】
図書館塔の館長室に入った俺とジャムークとクマリーに対して、ホーノックフーク(ฮ)は机の上に浮いたまま灰色の衣装をなびかせる。
「――クマリー・トーンよ」
自身と同じように宙に浮くクマリーを、銀色の瞳で見下ろす。
「そのほうはわしの文字をなぞりたくてたまらぬようでもあるのう」
「そ、そうですけど……」
不思議そうにクマリーがホーノックフークを見返す。
「どうしてクマリーの心が分かるんですか? それだけじゃなくて名前まで……。さっきホーさん、クマリーが名前を教える前にクマリーのことをクマリー・トーンって呼びましたよね」
「心を読んだわけではないぞ」
ホーノックフークが首を大きく左右に倒す。
「わしはわしの前に姿をさらした者の真実を閲覧できるんじゃよ。生物だけでなく精霊や無生物に対してもこの力を行使できる。というか勝手に力が発動する。代わりに誰にも隠し事ができんようになった。ゆえに、こうしてペラペラ話しておるというわけよ」
灰色の長袖からのぞく両手をわずかにパタパタさせている。
「クマリー、わしはそのほうの好奇心が嫌いではない。それと『ホーさん』という呼び名も気に入った。一つお返ししてやろう」
浮いたまま後ろを向き、ホーノックフーク(ฮ)が上着の背面を左右にひらく。
上着にボタン等はついていない。もとから背面の中心が縦に分かれた服であるらしい。しかもホーノックフークは上着の下に胴衣などを着ていなかった。
彼女の背中があらわになる。
傷一つない肌の上に大きく刻まれた赤い字が浮かんでいる……。
クマリーが飛び上がり、その文字をまじまじと見る。
「わあっ! ホーさんの文字はお背中にあるんですねっ!」
「そうじゃよ、クマリー。なかなかイキじゃろ?」
ホーノックフークが背中をクマリーに近づける。
「存分になぞるがよい」
「はい、感謝です!」
クマリーはうなずき、ホーノックフークの背中に右手をふれさせた。
指だけではなく手の全体を使って赤い線をたどっていく。
「……おや、なんかジャムークさんのオーアーン(อ)の文字に似てますね」
「いいところに気づいたのう」
孫に教えさとす老婆のような表情でホーノックフークが「ほっほ」と笑う。ホーノックフークの見た目は十代なかばの女性だが、実年齢はそれよりはるかに上である。
「わしのฮと途中までは一緒じゃ。オーアーン(อ)の字を書いたあと上のカーブを輪っかのように結べば完成なのじゃ」
「了解ですっ」
左真ん中に丸を書く。
下、右、上の順に線を進ませたのち、上部にカーブをえがく。
ここまではオーアーン(อ)の書き順と同一。
ただしホーノックフーク(ฮ)の場合は左上でとめず、右上に向かって反時計回りの弧を続ける。
そうして線がもとのカーブの右側を突き抜けたところでとめる。
このようにして「フクロウのホー」を意味するホーノックフーク(ฮ)の文字ができあがる。
「おお~」
背中をなぞり終わったクマリーが宙に指を走らせ、ホーノックフーク(ฮ)の字をもう一度えがく。
「オーアーン(อ)からちょっと変えただけでまったく違う字になっちゃうんですね! イカしてるうえに、おもしろいですっ。文字というのは……あなどれませんっ!」
「ほほっ」
背をさらしたまま、ホーノックフークの肩が上下する。
「わしらの使う文字には似た形状のものもわりとある。最初は混乱するじゃろう」
首を後ろに倒し、ホーノックフークがほとんど逆さまの顔をクマリーに向ける。
「しかし同じように見える模様を『違うもの』と魂が認識したとき、世界が少し広がるんじゃよ」
「深いです……あ、分かりましたよ~」
クマリーがパチンと手をたたく。
「ホーさんは仙人なんですねっ」
「仙人じゃあないさ。あくまでわしはノックフーク……フクロウなのじゃよ」
落ち着いたトーンで言いつつ、ホーノックフークはひらいていた衣装の背中を閉じた。
垂直軸を中心にして体を回転させ、正面を向く。
机の上に浮いた状態で俺とジャムークを見下ろす。
「さてトータハーン・アーティットにオーアーン・ジャムーク。本題に入ろうか」
吐息を多く含ませた声でホーノックフークがゆっくり話す。
「といっても、そのほうらの真実はすでに読んでおる。ウォーウェーン(ว)が何者かに殺害されたのじゃな」
黙ってうなずく俺とジャムークの反応を確認し、ホーノックフークは続ける。
「きのう、そのほうらはウォーウェーン・スーンの隠れ家のある湿地帯で鉢合わせした。で、互いに互いが怪しいものだから真実を判定してもらうためにわしを訪ねたという流れか……いたずらに事件を吹聴せずわしのもとまで知らせに来たのは賢明であるな」
彼女は淡々と語る。
「仲間の一人が殺されたのじゃ。わしとしても悲しいさ。しかしメソメソしたって始まらん。犯人には相応の罰を受けてもらう。仲間殺しを放置するのも危険であるしな。――ついては双方とも、おのれの口から事件当日の行動を説明せよ」
ホーノックフーク(ฮ)にはすでに真実が分かっているはずだがわざわざ俺たちに説明させることで互いの誤解をとこうとしているようだ。
彼女の首が向かって右へと直角にかたむく。
「ではオーアーン(อ)から」
「わたくしはウォーウェーン(ว)に洗顔をおこなうため、彼の隠れ家に向かっていました」
ジャムークの言葉がよどみなく響く。
「トータハーン(ท)にはもう話したことですが、数か月前ウォーウェーン・スーンさまは『肌をきれいにしてくれ』とわたくしに依頼してきたのです。それでわたくしはウォーウェーンの隠れ家のある湿地帯に定期的に足を踏み入れていました。ところがきのう訪れたとき、わたくしは目にしたのです」
ちらりと俺を横目で見るジャムーク。
「アーティットさまが炎の精霊の力を借り、ウォーウェーン(ว)の体を焼きつくすところを――わたくしはシダ植物のしげみに隠れて見ていました。一瞬でしたので、とめることもできませんでした。ウォーウェーンがトータハーン・アーティットさまに殺害されたと思ったわたくしはトータハーン(ท)を殺すことにしました」
「……オーアーン(อ)よ」
ホーノックフーク(ฮ)の首が右斜め下へとさらに倒れる。
「そのほうは普段は落ち着いているのに、感情に駆られると制御が利かなくなるところがあるよな。しかも、そのほうとトータハーンは顔見知りではなかったのう。これも話をややこしくした一因か」
「わたくしも軽率だったと反省しています」
ジャムークは悪びれつつ答えた。
「それからわたくしはウォーウェーン(ว)の住居に被害を及ぼさないよう、アーティットさまの放ったホタルに似たピーにわざと居場所をさらし、ひらけた場所に彼を誘導しました。その後トータハーン(ท)と戦い、敗北を喫しました」
自分の両手の平を見下ろし、静かに言う。
「しかし勝ったにもかかわらず彼がわたくしを手にかけないので、少し信じてみることにしたのです」
「ていねいな説明に感謝する。そしてオーアーン(อ)が話していることは、すべて真実じゃ」
ホーノックフークが断言する。
「オーアーン・ジャムークはウォーウェーン・スーン殺しの犯人ではない」
今度は首を左にかたむけ、俺と目を合わせる。
「次はトータハーン(ท)、そのほうの言葉を聞かせよ」
「……俺はトータハーンの文字を取ってもらうため、スーンさんの隠れ家を目指していた」
ウソをつかないよう気をつけながら、俺は記憶を言葉にしていく。
「最近兵隊たちに反乱を起こされる悪夢がひどいものになっていたから、その兵隊を使役する力を持つトータハーン(ท)の字をスーンさんに返そうと思ったんだ。文字を安全に取り外しできるのはウォーウェーン(ว)の文字の保有者のスーンさんだけだったしな。隠れ家を訪ねたのはきのうが最初だったが、位置については湿地帯に籠もる前のスーンさんから聞いていた。道中、そこにいる精霊のクマリーと知り合って彼女と共にスーンさんの住居に着いた」
俺は次のように説明を続ける。
様子がおかしかったので隠れ家のなかを確認すると大きなタライのなかにスーンさんの遺体があった。
左手からウォーウェーン(ว)の文字がはぎ取られていた。
文字を奪われたことでスーンさんは死んだものと思われる。文字と保有者は一体化しているので、無理に文字を引きはがすと保有者本人も死ぬのである。
そして机の引き出しにしまわれていた本人のメモに従い、俺は遺体を即座に焼いた。
その現場をジャムークに目撃されたようだったので、誤解をとくためにいったん戦闘に入った。
ここまで俺が説明したところで、クマリーが付け加えてくれた。
「ホーさん、お兄さんの言っていることも全部本当です。このクマリーが保証しますっ!」
「分かっておるよ。そのほうらが真実を語っていることなど」
机の上にひざをつき、ホーノックフークが身をかがめる。
「トータハーン・アーティットの証言も虚偽を含んでおらぬ」
首をまっすぐに戻し、銀色の瞳を見ひらく。
「ホーノックフーク・ラートリーが言い渡す。――そのほうらは、無実じゃ」
「真実を見抜いていただき、ありがとうございます」
ジャムークと俺は手を合わせ、ホーノックフーク(ฮ)に感謝した。
ホーノックフークは、ほっほっほと笑いつつ右手を俺に差し出す。
「ウォーウェーン(ว)の遺言のメモを持ってきておるな。見せるのじゃ」
俺からメモを受け取り、体を前後に揺らす。
「ほうほう……『私が死んだときは、即座に体を燃やしてくれ』とな」
ホーノックフーク(ฮ)の力は無生物からも真実を読み取る。
「しかも、このメモも偽造されたものではなく正真正銘一字一句ウォーウェーン・スーンによって書かれたものじゃ。メモのどこにも疑わしきところは確認できぬのう……」
目を通したあと、ホーノックフークは俺にメモを返した。
俺は上着のポケットにそれをしまいなおした。
(真実を見抜けるホーノックフークのおかげで俺とジャムークの疑いは晴れたが……スーンさんを殺したやつの正体はまだ不明)
なお俺のこの考えもホーノックフーク(ฮ)の前ではすべて筒抜けである……。
(こうなったら、ほかの文字保有者とも接触を図る必要がありそうだ。スーンさんのかたきをとるためにもな)
次回「08.タコのロー(ฬ)【前編】」に続く!




