62.歯のフォー(ฟ)【前編】
カヤンたちのもとに帰ってきた俺は高床式住居の玄関前でセンセーにあいさつした。
俺に続いて、ロップ、レック、ミーも手を合わせてあいさつをおこなう。
クマリーも俺たちの行動をまねしている。
当のセンセーは、すす色の髪と瞳を持つ壮年の男である。
髪は短く刈られているが、毛先がちぢれているため実際よりも長く見える。
かけている眼鏡のふちは四角形ですす色。
ただし上の辺には、ふちがない。
顔の輪郭が精悍である一方、眼鏡の奥の目は生気を欠く。
あごから左右のほおにかけて一センティ程度の無精ひげが生えている。
ひげの本数自体は少なく、口ひげはない。
服の上下および靴もすす色に近い色だ。
すす色を少し濃くしたような色合いと言うのが適切だろう。
長袖の上着のえりもとはひらいており、下に灰色のシャツを着ていることが分かる。上着の袖口からも灰色のシャツがのぞいている。
そしてセンセーの胸板はかなり厚い。
肩幅自体は並みなのだが、その胸板のため上着とシャツがはち切れそうである。
センセーは眼鏡越しに俺を見返した。
沈んだ低音の声で言葉を継ぐ。
「アーの字か……」
ついで俺の後ろにいるクマリー、ロップ、レック、ミーにも視線を送った。
「クマの字、ヤーの字、レの字、ミーの字も無事のようだな……なかでカヤの字が待っているぞ」
胸の前で腕を組み、センセーがあごを左後ろの扉に向ける。
「状況はもう分かっている……チュの字から鐘のイヤリングも受け取った。これからオレは村を襲ったという人面ムカデの精霊を捕獲して……その歯形が村人の遺体につけられた歯形と本当に一致するか確認をおこなう……」
「それは必要なことなのか、センセー」
俺はセンセーのすす色の目に焦点を合わせた。
「カヤンによれば歯形の一致については、すでに化け物係が証言しているそうじゃないか」
「まあそうだが……念のためオレ自身の目でも見ておきたいのだ……それで新しく分かることもあるかもしれないしな……」
センセーは両腕をほどき、前に出た。
ついでクマリーの右横を通り過ぎる際、申し訳なさそうに言う。
「……すまない、クマの字。君にオレの文字を学ばせるようカヤの字から頼まれているが……それは仕事が終わってからにしたい……」
「分かりましたっ。ありがとうございます、センセーさんっ」
宙に浮いたままクマリーが明るく返した。
対するセンセーは地上に続く短い階段に右足を下ろしつつ、静かにつぶやく。
「オレのことは呼び捨てにしてくれ……」
「は、はいっ。センセー!」
クマリーはあっさりセンセーの言うことを聞いた。
(どうやらクルムをおばさんと呼ぶよりはハードルが低かったようだな)
* *
センセーといったん別れ、俺たちは建物のなかに入る。
白い椅子が何脚も置かれた例の部屋で、逆立ちのカヤンが待っていた。
ただし室内は広くなっている。
十六平方メートほどだった部屋が二十五平方メートほどに拡張されている。
(ンゴットガームが建物の構造を変えたのか……)
カヤンに向き合い、俺たちは椅子に腰かけた。
左からレック、ミー、ロップ、クマリー、俺の順に並ぶ。
また、カヤンの向かって左にはンゴットガームが、向かって右にはチュアモーンが立つ。
外が暗くなり始めているので、カヤンと俺たちのあいだの椅子にはランプが一つ置かれている。
ボーン、ボーン……という鐘の音が会話に支障をきたさない程度に響く。
クマリーが椅子に座った状態で心配そうにつぶやく。
「暗くなってきましたがセンセーは一人でだいじょうぶなんでしょうか……」
「問題ねーぜ、クマリーちゃん」
尊大な声を出しつつ、チュアモーンがレモン色の瞳をクマリーに向ける。
「俺様たちに文字保有者としての戦い方を伝授してくれたのはセンセーだからな」
「戦い方……?」
イメージできなかったようで、クマリーが首をかしげる。
チュアモーンは口をひらきかけたが、結局なにも答えずウインクして俺に目配せした。
俺はあごを引き、左隣のクマリーに視線をやった。
「センセーが俺たちに授けてくれた戦い方については、すでにクマリーもなんとなく理解しているはずだ」
左手の平のトータハーン(ท)を右人差し指でつつく。
「その戦い方というのは、詠唱を用いることだよ。たとえば『ゲーンタハーン・タヌー』と唱えて――」
詠唱に伴い、トータハーン(ท)の字が赤く光る。
なかに右手を突っ込んで手の平から弓矢を引っ張り出す。
「――こんなふうにトータハーンの特定の力を能動的に使うわけだ。ほかのみんなも詠唱によってそれぞれの力を行使する。たとえばエーンはタコアゲのときに『ジュラートート』と唱えるし、プラトゥも精霊と交渉する際に『シアサラ』と言ったりする」
「おおっ、かっこいいですねっ!」
クマリーが俺の左手を両手でつかみ、赤い輝きをまじまじと見る。
「言葉そのものに力が宿っているんでしょうかっ」
「いや、ちょっと違う。実は詠唱自体に力はないんだよ。そもそも俺たち文字保有者の詠唱は必要なときに力を発動させるためにあるんじゃなくて、必要でないときに力を発動させないためにある」
右手で弓矢を揺らし、俺は説明する。
「本当はトータハーン(ท)の力を使う際も詠唱は要らないんだ。とくに言葉にしなくても武器は出せる。でも考えるだけでその力を行使できる場合『武器』を連想しただけで力が発動してしまう」
「それは……危ないですっ!」
「ああ。日常生活や意味のないタイミングで力が暴発するのはさけたい。致命傷になりかねないからな。そこで自分のなかに言葉のスイッチを作るわけだ。俺の場合はたとえば『ゲーンタハーン・タヌー』と言えば手の平から弓矢が出てくると自分自身に覚えさせる。……こうすればその詠唱をしない限り、普段の生活でうっかり弓矢を出してしまうことがなくなるんだ」
ゆっくりと俺は弓矢を手の平の文字にしまいなおす。
「ほかのみんなも同じように、保有する文字の力と特定の言葉をひもづけて詠唱に落とし込み、その暴発を防いでいる。まあ例外もあるけど」
「……驚きです、みなさんの詠唱に暴発防止の意味があったとは……っ! 正直クマリーは、詠唱するのがかっこいいから口にしていると思ってました!」
率直な感想を述べつつクマリーが感嘆した。
俺はそんな彼女を、輝きの消えた手の平と一緒に視界に収める。
「センセーは詠唱を使った戦い方を俺たち全員に教えてくれた。俺たちに文字を刻んだスーン自身も、センセーから同じように教えられたそうだ。そのセンセーの教えがなかったら、俺たちは力を暴走させていただろう。力が暴発しまくって、日常生活を送ることもまともに戦うこともできなかったはずだ」
「偉大なんですねっ、センセーは……!」
興奮したのか、クマリーが首を縦にぶんぶん振る。
クマリーの言葉に同調するように、この場にいるほかのみんなも静かにうなずく。
ここでドスの利いたカヤンの声が差し挟まれた。
「確かにセンセーは偉大だが……おまえら、そろそろ本題に移ろうじゃねえか」
その声に反応し、あらためて俺たちはカヤンの若草色の瞳に注目した。
まずはロップが報告をおこなう。
「みんなのおかげで、わたしの作業は終わっています。白いもやでおおわれたここら一円は完全に『蓋』をされた状態になりました。指示どおりナーグルアのいる場所にだけは穴をあけましたが、もはや人面ムカデが別のところに行くのは不可能です。また、シアムと名乗った子どもと交戦したあとも蓋はまったく損壊していません」
「ご苦労、ヤーンロップ。これで敵陣に憂いなく攻め込める」
カヤンがあごを上下させてうなずいた。
「だが気になるのは、そのシアムとかいう子どもだな」
「言動を観察した限り……シアムは人面ムカデと協力関係にあると見て間違いないだろうね」
レックが緩くビブラートを利かせながら、えび色の瞳を光らせた。
「村人全員の殺戮にも関わっていると思う」
「私の枝を焼いたのも、シアム嬢なんだね?」
うるおいのある声で、ンゴットガームがレックに聞いた。
彼女の土色の瞳を見つめ返し、レックは首肯する。
「うん、クン・ンゴットガーム。シアムは赤黒い炎をうなじからもいで投げていた」
「レックおにい……みんな……枝は全部焼失したよ」
白っぽいゴムのような服の胸部を右手でつまんでンゴットガームが冷静に続ける。
「危険域の目印でしかなかったから枝がなくなったこと自体は別にいいんだ。化け物係のみなさんにもすでに連絡を入れたしね。でもフアロと私の枝が一瞬で燃えつきたとすれば……シアム嬢の力は相当なものと言えるかな」
「それとシアムちゃんが気になることを口にしていました」
ミーがにび色の瞳でカヤンの目を見た。
この場にいる全員にも順に視線を投げながら言う。
「……『あなたたちが今までここを蛇みたいな縄で囲んでいたの?』って。シアムちゃんによるとその蛇はすでに朽ちているみたいです。しかも化け物だったみたいです」
「蛇……縄……」
ひとりごとのようにカヤンがつぶやく。
「……まさか。わたしはそれら二つのキーワードから、よりによってあの男を連想しているぞ……!」
ちょうどカヤンがそう言ったとき――。
玄関のほうから、沈んだ低音の声が聞こえた。
「オレだ、センセーだ……人面ムカデの捕獲を終えて戻ってきた」
「早かったな。さすがセンセー」
俺はいったん離席し、玄関に向かった。
扉をあけて炎の兵隊を呼び出す。
だがセンセーは手ぶらで腕を組んでいた。
「あれ? センセー、人面ムカデを捕らえたんじゃ?」
「それはオレの後ろだ、アーの字……」
センセーが向かって右にあごを動かした。
俺はプルーンに命じて後方の階段下を照らさせた。
そこに、白目をむいた人面ムカデ十体が円すい状に積み重なっていた。
次回「63.歯のフォー(ฟ)【中編】」に続く!




