60.ミツバチのポー(ผ)【前編】
黒い石炭の詰め込まれた薄茶色の袋を左腕にかかえ、ミーが俺とクマリーの真正面にしゃがんだ。
袋のなかの石炭は、ところどころが赤く燃焼している。
にび色の横縞のアームカバーでおおわれた右手で石炭をつかみ、まるで焼きイモでも食べるかのようにミーが炭を口に入れてそしゃくする。
「……二人に見られたからには仕方ないね」
炭を飲み込んだミーは、にび色だった瞳を緑に光らせていた。
ヘアバンドにはめられた三つの緑の宝石も輝いており、合わせて五つの目がこちらを見ているようでもある。
にび色の髪と同じ色を基調とした衣装が、白いもやと夜の闇に溶けながら炎の兵隊に照らされる。
盛り上がった頭頂部の左右の髪に加えて両ほおの横に蓄えられたボリュームのある髪が、さながら四つの耳を生やしているかのようなシルエットを彼女の頭部に作っている。
ミーが俺とクマリーに顔を近づけ、神妙に言う。
「たまげちゃダメだからね。実はワタシの正体はあの『シーフーハーター』なんだよ……っ!」
「そうだったのか」
俺は俺の前にいるクマリーの後頭部越しに、四つの耳に似た髪と五つの目に似た輝きを見た。
クマリーはわずかに息を漏らし、首をひねった。
対するミーは目をパチクリさせて口を震わす。
「あ……あれ? 二人とも反応薄くない?」
「君の正体については、なんとなく分かっていたからな」
そもそも四つの耳と五つの目を持つというシーフーハーターとミーの外見は一致するところが多かった。
プラトゥの渡した石炭に対しても「アロイ(おいしい)」と口にしていたし、ミーは俺たちの前で料理を食べようともしなかった。
シーフーハーターは炭を食べると言われている。
そしてたった今……ミーは石炭をそしゃくし、飲み込んだ。もはやその正体に関して疑うべき余地はない。
(しかもきのう、ンゴットガームの正体を俺は目撃している。その衝撃に比べるとな……。ミーが伝説の生き物のシーフーハーターであっても別にいいじゃないかと思えてしまう)
さらにクマリーがふにゃふにゃ声で聞く。
「えっと、シーフーハーターとは……?」
「四つの耳と五つの目を持つクマみたいな生き物だよ」
ミーが右手で、盛り上がった髪とヘアバンドの宝石をさわる。
「炭を食べて金の○ンチするの」
「えっ! 金の○ンチができるだなんて……すごいですっ!」
クマリーは、オレンジの混ざった茶色の瞳をキラキラさせた。
「でもどうして正体を隠していたんです? 耳が四つで目も五つあるって、とってもかっこいいじゃないですか」
「こ、怖かったから」
うつむき加減になってミーが、ほわほわした声をよどませる。
「レックくんに嫌われるのが……」
そう言って彼女はレックの休んでいるテントのほうをちらりと見た。
「ワタシは小さいころ、レックくんに助けてもらったことがあるんだ。無理に炭を食べさせられて金を生まされてた。そんな鎖につながれたワタシをレックくんが救ってくれた。鞭で打たれた体にも包帯を巻いてくれた。『もうだいじょうぶ』ってビブラートを利かせながら口にして、ワタシの毛皮を優しくなでてくれたの」
どうやらレックの言っていたシーフーハーターの子どもとは、ミー自身のことだったらしい。
「それからしばらくは一緒に暮らしてたんだけど、ある日突然レックくんが言ったの。『よく考えたら耳が四つで目も五つあるなんて気持ち悪い』って。そしてワタシを山奥に置き去りにしたんだよ」
「レックさんは本心とは逆のことを言ったんですね……」
クマリーも少しうつむいて目をうるませた。
ミーは顔を上げ、やわらかく言葉を継ぐ。
「ワタシもそう信じてるよ、クマリーちゃん。ワタシはずっとレックくんのことが大好きなんだ。だからスーンさんにソースーア(ส)の文字を刻んでもらって、人間の姿にも変身できるようになった。そうすれば、また近づけると思った」
文字による言語は基本的に人間特有のものである。
その文字を獲得したことで、シーフーハーターのミーに人間としての側面が発現したのだと考えられる。
「そのあとレックくんも同じ文字保有者になっているって知ってワタシはうれしかった。だけどレックくんには、どこか人と距離を置いているところがあった。積極的にアプローチをかけても、かわされちゃうんだよね。さっきもテントで、昔みたいにレックくんに身を寄せて眠ろうとしたら……ロップちゃんの寝ているテントのほうで休んでほしいって言われちゃって」
「レックは照れただけじゃないか?」
にび色に戻りかけているミーの瞳に俺は視線をやった。
「今の君の姿は人間なんだ。いきなり一緒に眠ろうとしたら、誰だって戸惑うよ。もっと段階を踏んだほうがいいと思う」
「え、そういうものなの……っ?」
意外そうに、ミーが目を丸くする。
「そっかあ……。ありがとう、アーティットくん。焦っちゃダメってことだよね」
ついで地面に書かれた「アーティット(อาทิตย์)」の文字列をじっと見る。
「これ、クマリーちゃんが書いたんだ? ほわ~。とっても、いい字だねっ!」
「うれしいですっ、さっきクマリーはお兄さんの名前を初めて書いたんですよ~」
うつむいていたクマリーの顔が明るくなる。
「いいこと思い付きましたっ。ではミーさんの名前も書きましょうっ!」
右人差し指を灰色の地面にすべらせる。
「音からして使うのはサラサさんのモーマー(ม)ですね……『イー』という発音だからピンイ(–ิ)とフォントーン(')もかぶせまして……」
そう言いながら、クマリーが土の上に「ミー(มี)」と書いた。
いったんあごを上げ、俺に質問する。
「お兄さん、これで合っていますか」
「自力でここまで書けるようになるなんてすごいな。ただ、今のままだとミーの名前じゃなくて『ある』という意味になってしまう。あと少し文字を追加すれば完璧だ」
俺は地面に指をつけようとしたが、考えなおして手をとめる。
「この『ミー(มี)』の左側にスープパンの『ホーヒープ(ห)』を書けばいい」
「でもその場合、発音は『ホミー』になるのでは?」
「本当にクマリーはいいところに気づくな。実は『ホーヒープ(ห)』は特殊な字なんだよ。字の前に置いてその声の出し方を変更する記号としても使用されることがある。このときのホーヒープを『ホーナム(ห นำ)』と呼ぶ。このホーナムを『ミー(มี)』の左横に付ければ彼女自身の名前を完璧にあらわせるわけだ」
「な……っ! スープパンさんのホーヒープ(ห)にそんな側面があったとは……っ! でも底の見えないスープパンさんのことを思えばなんか納得です。それを踏まえてクマリー、書き足しますよ~」
さっそく「ミー(มี)」の左横にホーヒープ(ห)をしるし、クマリーが「ミー(หมี)」という文字列を完成させる。
「できましたっ、ミーさんの名前です」
「ほわわー、ワタシの名前も書いてくれるだなんて、うれしい。ありがとね、クマリーちゃんっ」
ミーが笑顔になってクマリーに言葉をかけた。
もしかしたらクマリーはミーを元気づけようとして彼女の名前を書いたのかもしれない。その気持ちをミーは読み取ってくれたのだろう。
それからミーは袋をかかえたまま立ち上がった。
「アーティットくん、クマリーちゃん。二人とも本当にコープクン。それとワタシの正体を知っても、これまでどおり付き合ってくれるとうれしいな」
「もちろんだ。君がソースーア・ミーである事実は変わらない」
「クマリーもそのうえでレックさんとのことを応援していますよ~」
そんな俺とクマリーの言葉を聞いたミーは微笑を返してテントのなかに戻った。
しかし間もなく、また外に出てきた。
どうやら再びレックのいるテントに入ってしまったらしい……。
ミーは俺たちに苦笑を向けつつ、ロップの休んでいるもう一つのテントに入りなおした。
* *
夜が明けたあと、ミーはレックに謝っていた。
当のレックもミーに謝罪を返す。
「オレチャンも冷たくしてごめん」
「レックくんは気にしないでいいんだよ」
ミーは静かに言った。
「ワタシ、また仲よくなってみせるからっ。今度はちょっとずつね」
「……うん、分かったよ。それはオレも……」
彼女が「また」と口にしたとき、レックはなにかに気づいたようにミーの髪と目とヘアバンドをえび色の瞳で見つめた。
そして俺とクマリーとレックとミーとロップはナーグルアに礼を言ってその場を離れた。
ナーグルアと別れたのち、ロップを中心として「蓋」をする作業を再開する。
きのうと同様、ンゴットガームの敷いた枝の内側に沿って時計回りに進む。
左わきから乳白色の液体を垂らすロップを護衛しながら、きょうのうちにカヤンのもとに戻る計画だ。
なお、ナーグルアの待機する場所の周辺に関しては乳白色の液を垂らしていない。ロップの蓋にあえて穴を作っておくためだ。
さらに人面ムカデ二匹と交戦したあと、俺たちの近くにミツバチが一匹飛んできた。
ただしそのミツバチの体はオレンジ色のハチミツでできている。
虎斑に似た濃淡がハチの表面でにぶく揺れる。見るからに、ねばりけのあるハチミツだ。
「ルディのミツバチか」
俺はつぶやき、ハチミツでできたミツバチを目で追った。
しかし次の瞬間、そのミツバチが発火した。
砂糖が焦げたようなにおいが広がる。
続いて俺たちの右横から、今までの個体よりも長大な人面ムカデが無音で現れた。
これまでの人面ムカデの長さは頭頂部からしっぽの先端までで三メートほどだったが、この個体については五メート以上ある。
顔も口もムカデの胴体もひとまわり大きい。
この人面ムカデの背に何者かが乗っていた。
性別の判然としない子どもの声がムカデの背から響く。
「みんなが戻ってこないと思ったら……ふーん、あなたたちが始末していたんだね」
子どもの影から、赤黒い炎が立ちのぼる。
いや、それは黒い煙と赤い炎が混ざり合った別のなにかと言い換えてもいいかもしれない。
「あなたたち、なに?」
子どもの声が続く。
「もしかして、たかが村人全員が殺されたくらいでおこってんの?」
次回「61.ミツバチのポー(ผ)【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ナム(นำ)→導く/声の出し方を変える記号としての「ホーヒープ(ห)」すなわち「ホーナム(ห นำ)」を直訳すれば「導きのホー」という意味になります。




