54.樹木のチョー(ฌ)【前編】
一つの村を壊滅させたという精霊の鎮静化を図るため、まず俺たちは白いもやで囲まれた周辺を探った。
俺はクマリーとチュアモーンと共に進んでいたが、とうとうムカデに似た胴体を持つ精霊と遭遇した。
「タハーン・プルーン、照らせ」
そう命じると俺の頭上に炎の体を持つ小鳥が出現し、赤く輝いた。
あたりの白いもやが晴れることはないものの、前方からゆっくりと一体のピーが姿を現す。
そのピーは赤黒いムカデの胴体を蛇のようにうごめかせている。
先っぽは本物のムカデのように細いが、胴体の大部分は五十センティメートほどの太さを有する。これがのたうつたびに、腹側にくっついた灰色の土がボタボタ落ちた。
頭部は人の顔である。乱れた黒い髪を持つ。
通常の頭よりもひとまわり大きい。目は赤く、焦点が定まっていない。
両の口角がさけ、巨大な口があく。鋭い乱杭歯を伝い、紫色の唾液が垂れる。
(カヤンが言っていた特徴とも一致するな。頭頂部からしっぽの先端までの長さは三メートくらいか。こいつ……いや、こいつらが村人全員を噛み殺したのか)
相手から臭気は感じられない。
俺はあごを上げ、話しかけた。
「最近この近くの村人が殺されたのですが、あなたはなにかご存じですか」
もしかしたら無関係の精霊かもしれないので、俺は一応そうたずねた。
しかしムカデの胴体と人面を持つそのピーは話に構わず鋭い牙を俺の右隣に向けた。
そこに浮遊していたクマリーの体に歯列をあてがい、一気に噛んだ。
「……ルークタハーン・カンベット」
淡く光らせた左手の平のトータハーン(ท)から釣り竿を引っ張り出した俺は、その釣り針をクマリーの上着の背中に引っかけて後方に引き戻した。
結果、人面ムカデのピーはクマリーではなく空を噛んだ。
衝撃で紫の唾液と乱杭歯の破片が飛び散る。
「会話できるタイプじゃないな。退治する」
俺は竿を振り、クマリーから釣り針を外した。
「ワーン」
詠唱すると、竿の先端の釣り糸が人面ムカデの頭部に巻きついて食い込んだ。
ついで上唇に釣り針が引っかかる。
俺は竿を両手で持って後ろにやり、人面ムカデを釣り上げる。
ムカデの胴体が地面から離れ、その身にくっついていた灰色の土がさらに落ちた。
ここで上空のもやからシャチの姿をしたタハーン・ルアが出現し、真下に向かって口をあけた。
「ペッチャカート」
ルアの歯が人面ムカデの頭部にあてがわれ、一挙に噛み合わされた。
その頭部はコナゴナに砕かれ、なかから紫の液体がほとばしる。
ただし頭蓋や脳漿が飛ぶことはなかった。
髪や皮膚については体から離れたのちに、白いもやとなって霧散した。
紫の液体も髪や皮膚に続いて、蒸発するように白いもやに溶けていく。
(この精霊はどちらかというと生物というよりは「現象」に近いな)
タハーン・ルアも消えて俺の頭のなかに戻る。
釣り糸も釣り針も痕跡を残さず消える。ただの木の棒になった竿を俺は左手の平にしまう。
(……ディアオが言っていたとおり、精霊は敬われるべき存在だ。本来は善も悪もない。だが、だれかに危害を加えるのなら俺は兵隊として容赦しない)
人面の頭部は完全に消滅した。
しかし赤黒いムカデの胴体はまだ残っており、いまだに地面でのたうっている。
腹を見せ、五十センティメートの太さを持つムカデが俺に襲いかかる。
俺は反撃しなかった。
すでにその必要はないと判断したからだ。
向かって右の白いもやから、二対の耳のような髪を持つ女性のシルエットが現れる。
その女性は右手に青年を持っていた。
にび色の瞳を一瞬だけ緑に光らせ、彼をまるでボールのようにムカデめがけてぶん投げた。
えび色の髪と瞳をさらしつつ、青年が突き棒を構えて銀色のひし形の先端を向ける。
「パンヤップユーン」
ビブラートを利かせた詠唱と共に突き棒が加速する。
ひし形の先端が胴体を突きつらぬくと同時に、ムカデの体は紙くずみたいにバラバラに崩れた。
(きのう俺にくり出した技か。直撃を受けていたら俺も確実に死んでたな……)
ばらけたムカデの胴体は頭部同様、なかから紫の液体を漏らして白いもやへと雲散していく。
突き棒を背中に装着しなおす青年と先ほどその青年を投げた女性――すなわちレックとミーに俺は礼を言う。
「ありがとう。クマリーからの連絡を受けて、もう駆け付けてくれたのか」
「目印があったから、もやのなかでも分かりやすかったよ~」
レックが俺の頭上で輝くタハーン・プルーンを見上げた。
ついで自分の左耳につけた鐘のイヤリングを左手でさわる。
「それに……クン・チュアモーンの鐘は君の居場所も教えてくれた」
イヤリングの機能は遠隔の仲間と通話することだけではない。
特定の文字保有者を頭に思い浮かべると、その相手に接近するごとにイヤリングの鐘が小さく揺れる。
この機能を利用すれば視界が悪いなかでも仲間のところに迷わずたどり着けるというわけだ。
……ここでクマリーが俺の背後に飛んできて、なぜか肩をもむ。
「お兄さん、さっきは助かりましたっ」
「それを言うならクマリーも迅速にレックへと連絡してくれた。だから仲間と協力して対応できた。ありがとな」
続いて俺は、左後ろに待機しているチュアモーンのレモン色の瞳と目を合わせた。
「チュアモーンにも礼を言うよ。さっき俺が不意打ちを食らったとき、傷をふさいでくれただろ」
「ま、正確にはふさいだわけじゃねえんだが……礼は素直に受けておくぜ」
少々尊大な声でチュアモーンが含み笑いをする。
「だが俺様はさっきの戦闘でほとんど手を出さなかった。その点については責めねえのか、アーティット」
「まさか。君は俺たちが交戦しているあいだ、ずっと周囲を警戒してくれていた」
話しつつ、俺は少しだけプルーンの火を弱める。
「新手が現れても対応できるように戦局を見守っていたわけだ。いや、それは今もだな。まあ向こうを刺激しないよう鐘の反響による索敵はしていないようだけど……そんな君がいるからこそ俺たちは憂いなく戦えたし、今もこうして余裕をもって話せている」
「はっ、こりゃ参った。ほめ殺しにされそうだぜ」
チュアモーンが胸もとのレモン色の鐘を右手でいじる。
続いてミーがアームカバーのついた両腕を広げる。なお現在ミーは石炭の入った例の袋を持っていない。カヤンの待機する建物に置いてきたのだ。
「とにかくみんなっ。最初の敵は倒したねっ。どうする? 周辺の調査を続ける?」
『いや、全員いったん帰ってこい』
ここでミーの右耳に鐘のイヤリングが出現し、ドスの利いたカヤンの声が響いた。
『一体討伐ご苦労』
どうやらカヤンはこちらの状況を把握しているようだ。おそらくチュアモーンが自身の鐘を使い、先ほどまでの俺たちの会話をカヤンにも届けていたのだろう。
当然ながらカヤンもチュアモーンの鐘のイヤリングを装着している。
『……類似のピーはまだ存在すると思われるが、きょうは周辺にその一体以外敵がいなかったという情報を得ただけで充分だ。交戦したことで、敵の特徴もある程度分かっただろうしな』
「分かりました、カヤンさん」
ミーと共に、レックもクマリーも俺もチュアモーンもうなずく。
カヤンからの通話が切れると同時に、ミーの耳に現れていたイヤリングもスッと消えた。
「さて~」
ほわほわした声を出し、ミーが左手を右ひじにあてがいながらその腕を伸ばす。
「きょうの締めくくりといこっか」
この瞬間ミーの背後から人面ムカデのピーが音なく現れ、大口をひらいた。
先ほどのピーとは別個体のようだが、見た目はほとんど大差ない。
ミーは振り向くこともせず右こぶしを人面ムカデのあごに当てた。
浮き上がったそれにレックが突き棒で空気の塊を飛ばす。
俺も手の平から斧を出してブーメランのように投げる。
最後にチュアモーンが胸の前に下げた鐘をボーン……と鳴らした。
すると空気の塊も俺の斧もまるで分裂したように多重の残像を作り、人面ムカデの頭部から胴体の先端までにくまなくヒットした。
紫の液体をほとばしらせながら、そのピーが霧散していく。
一方クマリーは空中で棒立ちになったままポカンとしていた。
「ク……クマリーは見ていることしかできませんでした……」
「いや、クン・クマリー。上出来さ」
レックが突き棒を背中のベルトに固定しなおす。
「見て学ぶのも経験だ。それができていたなら胸を張っていいんだぞ」
「はいっ。クマリー、胸を張りますっ!」
腰に両手を当て、クマリーが胸を反らす。
このとき――。
「やるものだね」
うるおいのある声が白いもやの向こうから聞こえた。
「さっきのやつを倒してかっこよく登場しようと思っていたのに、私のプランが台無しだ。あなたがたが強いと分かったのは収穫だけど」
もやの向こうから現れたのは、首から四肢の先端までをゴムのような素材の服でおおった少女だった。服の色は白っぽい。手の指の先端は五つに分かれているものの、足の指の先端は分かれていない。というより、足をおおう部分は靴のような形状である。ソールに似た箇所も確認できる。
土色の髪は肩の上で切りそろえられている。
耳は半分ほど見えているが、うなじはすべて隠れている。
さらに髪と同色の瞳はやや丸っこく、リスのそれを思わせる。
そしてその少女の左後ろには、カラスの濡れ羽色の長髪を持つ別の女が浮いていた。
次回「55.樹木のチョー(ฌ)【中編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
ワーン(วาฬ)→クジラ
ペッチャカート(เพชฌฆาต)→死刑執行人/ワーンペッチャカート(วาฬเพชฌฆาต)で「シャチ」という意味になります。直訳すれば「死刑執行人のクジラ」ですね~。




