50.老人のトー(ฒ)【中編】
エーンによってトープータオ・カヤンのところに来るよう指示された俺たちはチケットをかかげてジョットマーイのジャンク船を呼んだ。
間もなくして崖に囲まれた湖の上空からジャンク船が現れ、湖面に着水した。
しかし乗船しようとしたプラトゥが、船員であるペンギンの精霊にたたき落とされた。
プラトゥは湖のそばのマヨムの木の下に転がった。
俺とクマリーとレックとミーはプラトゥに駆け寄る。
「だいじょうぶか――」
「いやあ~。むしろ気持ちいい! 腫れてもいないし」
自身の左右のほおを両手でさすりつつプラトゥが立ち上がる。
「羽毛の感触がやわらかくて冷たくてクセになるわ! もう一回ぶたれよ~っと」
「あ~、困りますプラトゥさん!」
はつらつとした声を響かせ、船の左舷から若い女性が落ちてきた。
「当ジャンク船ではそういうサービスは提供していませんっ」
その女性は亜麻色の髪を三つ編みにして左右に垂らしている。
瞳も亜麻色であり、頭には白と黒でいろどられた水兵帽を載せている。
格好は白いタンクトップに濃いオレンジのホットパンツ。彼女がはいている異様に大きな靴の色もオレンジだ。
帽子のつばを右の親指と人差し指でつまみながら名乗る。
「あらためて【ภ】ポーサムパオ・ジョットマーイ、つかさどる字はジャンク船のポー。ちょっとプラトゥさん、チケットを拝見します」
「これ?」
プラトゥは白い上着の左ポケットから長方形のオレンジ色のチケットを取り出した。
チケットには「残りゼロ回」と書かれてあった。
ジョットマーイはプラトゥの前に移動し、それを確認した。
「……あたしは船員のピーのみんなと労働契約を結んでいるから船長として船員のみんなを過度に働かせることはできないんです」
あごを引き、申し訳なさそうに言う。
「文字保有者のみんなに渡したチケットに回数制限を設けているのは過剰労働を抑制するため。緊急事態の場合などを除き、乗船を許可することはできません。ごめんなさい、プラトゥさんっ! いつもご愛顧いただいているところ恐縮ですが次のチャージがおこなわれる期日まで待ってくださいっ」
「俺のチケット回数を代わりに消費できないか」
ここで俺はジョットマーイに声をかけた。
「エーンにホーノックフーク(ฮ)の手紙を届けた際は、君に同行した俺のチケットからじゃなくてホーノックフークのチケットから残り回数を引いてくれただろ? そのときみたいに本人以外が回数を消費することは可能なんだろうか」
「それができないんだ、アーティットさん」
ジョットマーイが帽子を目深にかぶり、説明する。
「誰かがプラトゥさんに命令した場合はともかく、今回カヤンさんのところに行くかどうかは強制じゃなくて任意だからね」
「じゃあクン・ジョットマーイ」
レックが進み出て、えび色の瞳をまたたかせる。
「クン・カヤンの現在地を教えてもらえないだろうか。そうしてもらえればオレチャンがクン・プラトゥをそこまで連れて行けると思うんだけど」
「ごめん、レックさん。それは話せない。カヤンさんに口止めされているから」
きっぱりとジョットマーイは答えた。
一方、プラトゥが頭に載せた金色の供物台を右手で軽くたたく。
「突き棒くん、兵隊くん。アタシのためにありがとー」
酒焼けした声で笑う。
「でも乗れないんじゃ仕方ないわ。ジャンク船ちゃんを困らせるわけにもいかないし、次の回数チャージが来るまで待つよー」
「んじゃポーパーン(พ)」
ユアユがプラトゥの左ひじをつついた。
「しばらくわたしと一緒にいろよ、オメー」
「よろしく亀ちゃ~ん」
プラトゥはユアユの右腕を両手でつかんで小さく揺すった。
ジョットマーイはそれを見届けたあとクマリーの茶色の垂れ目に視線を向けた。
「そうだ。クマリーちゃん、これ」
ホットパンツのポケットからオレンジ色のチケットを取り出し、クマリ-に手渡す。
チケットには「残り三十回」と書かれてある。
「クマリーちゃんも正式にあたしたちの仲間になったからチケットを託すよ。充分な広さを持つ場所でチケットをかかげて『クンクルアンビン』と言えば回数が残っている限りジャンク船は来る。これからは保護者同伴じゃなくてもあたしはクマリーちゃんを送り届ける」
「あ、ありがとうございます、ジョットお姉さんっ!」
ジョットマーイとチケットを交互に見ながらクマリーが顔を輝かせる。
「クマリー、さっそく使いますっ。クンクルアンビン~」
「ふふっ、クマリーちゃんは本当に元気だねっ!」
瞬間、クマリーのチケットに浮き出た文字が「残り二十九回」に切り替わった。
* *
ジャンク船の焦げ茶の甲板に上がった俺とクマリーとレックとミーはユアユとプラトゥを甲羅山に残し、カヤンのいる場所へと向かう。
ジョットマーイは後部甲板に取り付けてある操舵輪を握り、船員のペンギン型の精霊たちに三つの帆を大きく張るよう指示した。
「カーオーク……そしてウモーン」
ジャンク船が湖面から浮上し、空中の渦巻く雲に吸い込まれる。
船のまわりの景色は青い織物のような模様を映した。くすんだ緑色の山であるプーカオ・グラドーンはもはや眼下に見ることができない。
織物の模様でできたトンネルを、ジャンク船が突き進んでいく。
クマリーが船首近くに浮遊し、歓声を上げる。
「このきれいな青をまた見ることができて、クマリーは感動ですっ!」
「ほわ~、よかったねクマリーちゃん!」
ミーがクマリーの近くに立ち、互いに笑顔を向け合っている。
なおミーは、プラトゥから渡された薄茶色の大きな袋をかついだ状態で乗船していた。
(確か石炭が入っていた袋か。なにに使うんだろう)
俺は船首と後部甲板の中間くらいの右舷に立ち、周囲の織物のような模様に視線を移した。
このとき、ビブラートを利かせながらレックが俺に話しかけてきた。
「クン・アーティット。ちょっと相談したいことが」
レックは俺の右隣で声を抑える。
「こんなときになんだけど、君は自分に好意を寄せている人に対してどう接するのが正解と思う」
「そうだな……」
直接言われずとも、レックがミーのことで相談しているのは分かった。
「嫌じゃないなら好意を向け返せばいいんじゃないか」
「やっぱりそうだよねー」
あごに左手を当て、レックが口を右斜め前に向ける。
「ただ……なんだろう」
「え?」
「いやオレチャンの印象なんだけど、その人はオレに恋しているとかそういうのじゃないんだと思う。たぶん『慕っている』と言うのが正解じゃないかと。その思慕の情を恋愛感情に見せかけている感じがする」
「少しだけ複雑だな」
小声を出しつつ、俺はレックと同じ方向を見た。そこには青い模様ばかりが広がっている。
「君がそう思う心当たりはあるのか」
「いや、とくには。その人の感情もよく分からなくて。だってオレチャンはその人に慕われるようなことはなにもしていないはずなんだよな。もうクン・アーティットには話したけど、オレは文字保有者になる前はひたすら犯罪者を突き殺すばかりだったし……人に慕われるなんて、ありえなくて。ずっと嫌われ者だったからさ」
それから少し間を置いて、レックが「あ……」と言った。
「いや、当時も一匹だけオレになついてくれた子はいたっけ」
「一人じゃなくて一匹?」
「そうさ、シーフーハーターの子どもだよ」
「……聞いたことはある」
シーフーハーターとは、四つの耳と五つの目を持つクマのような姿をした伝説の生き物のことである。
毛皮は黒っぽく、目は緑色と言われている。
炭を食べて金を排出するというウワサもある。
そんな存在がもし本当にいたらシーフーハーターの飼い主には莫大な富が約束されることだろう。
レックはしみじみと言葉を継ぐ。
「児童の人身売買をしていた組織を壊滅させたときかな。やつらのアジトの奥の部屋で、にび色の毛を持つ子犬みたいなシーフーハーターが鎖につながれていたんだ。縦に並んだ二対の耳と目に加えて額にも一個だけ目があった。その子は鞭で痛めつけられていた。ところどころ毛皮がはがれて赤っぽい傷が露出していた。口のなかも傷だらけだった」
……おそらく富を望む者がシーフーハーターを痛めつけ、無理やり金を作らせようとしたのだろう。
「なぜかその子は鎖から解放されたあともオレについてきてくれた。で、一年ちょっとほど一緒に暮らした。オレチャンに対するミーの態度は……クン・ミーの態度はあのシーフーハーターに似ているんだ」
「そうか……」
俺はミーの二対の耳にも見えるにび色の髪やときどき緑色になる瞳や、ヘアバンドの緑の宝石三つを思い浮かべた。石炭に対して「アロイ」と言っていたことも思い出した。
(どこかミーはシーフーハーターを思わせる。もうレックはミーの名前を伏せていないし……それを考えるとやっぱり君も彼女を強く意識しているんじゃないのか……)
だから俺は、次のように付け加えた。
「君は誰かに慕われるべき人間だよ、レック。そのシーフーハーターの子どももきっと君の優しい本質を見抜いていたんじゃないか。だから君は……人の好意もそのまま素直に受け取っていいんだと思う」
「……ありがとう、クン・アーティット」
レックは小さく笑って声のボリュームを上げた。
「オレチャン、もっと正直になってみるよ」
「ああ」
俺は短くあいづちを返した。
さらにこのときジャンク船の周囲の青い模様が消失した。
あたりには白いもやが広がり始める。
「到着したよ……カーカオ!」
はつらつとしたジョットマーイの声が響いた。
直後、ドスの利いた女の声が重なる。
「レックにミーにアーティットにクマリーか。まさかおまえらがこんなに早く来るとは感心だ」
ついで、もやのなかから逆立ちの女が跳躍してきた。
その体勢のまま左舷の甲板に両手をつけ、若草色の髪と瞳を俺たちにさらす。
「いきなりで済まないが、まずはわたしを転ばせてみろ」
「カヤン……?」
俺たちはあっけにとられた。
対する逆立ちの女――カヤンが不敵に笑う。
「別におまえらをいじめたいわけじゃねえよ。これは試験だ。生半可な実力だとこれから死ぬかもしれんからな」
次回「51.老人のトー(ฒ)【後編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
シーフーハーター(สี่หูห้าตา)→「シー(สี่)」は「四」、「フー(หู)」は「耳」、「ハー(ห้า)」は「五」、「ター(ตา)」は「目」なので直訳すると「四つの耳と五つの目」になります。伝説上の生き物です。




