49.老人のトー(ฒ)【前編】
ユアユのいる湖から引き返し、俺とクマリーとプラトゥはソースーア・ミーの洞窟前に戻った。
ミーはレックと共に俺たちを待っていた。
ほわほわした声で手招きする。
「プラトゥさん、アーティットくん、クマリーちゃん。ワタシが暮らしている穴のなかできょうはもう眠っちゃってくださいっ」
そういうわけでレックも加えた俺たちはミーに感謝したあと、洞窟に入って休んだ。
洞窟の入り口付近は薄茶の土を多く含んでいたが、奥に行くに従ってにび色の土の含有量が増え、通路がいくつにも枝分かれしていた。
俺たちはその通路の突き当たりの一つで毛布をかぶって目を閉じた。
ただしやはりクマリーは小さくなり、俺のへそのなかで眠った。
* *
翌朝、いったん外に出た俺は灰色のワニの姿をした天幕の兵隊を呼び出し、その腹のなかから鶏肉やココナッツミルクなどの食材と片手鍋などの調理器具を取り出してトムカーガイを作った。
(また兵隊に反乱を起こされる悪夢を見ないで済んだ。それだけでも寝覚めが格段にいいな……)
火は炎の兵隊が用意してくれる。
温めたトムカーガイを木の皿に入れ、洞窟にいるみんなに出した。
湖からやって来たユアユにも俺はトムカーガイの皿を渡した。
さらに白いスプーンとフォークも全員分そろえる。
時計回りに俺、レック、ミー、プラトゥ、ユアユ、クマリーが車座になって洞窟に腰を下ろす。
「皿とか調理器具とかの消毒は医者の兵隊がやっているから安心して食べてほしい」
「ありがと~、兵隊くん」
プラトゥが白の交じった群青色の瞳を細める。
ミーが申し訳なさそうに俺と目を合わせる。
「ごめんねアーティットくん……今はワタシ、ちょっと食べられないんだ」
にび色の目を少しだけ緑に光らせつつ、慌てて付け加える。
「あ、でも感謝してるよ! それはホントだからねっ」
「そうだったのか」
俺はミーの目を見返してゆっくり返した。
「確認していなくて悪かった」
「ならオメー、わたしが食ってやろうじゃねーか」
ユアユが右手を伸ばし、ミーの前に置かれた皿を取る。
「にしてもトータハーン(ท)。オメーはバナナしか食べねーと思ってたぜ。料理を作れるのは意外っつーかよー」
「確かに俺はバナナ信者でしかもバナナは神だからそう思われても仕方ない」
スプーンでココナッツミルクのスープをすくい、俺はそれを飲み込んだ。
「というわけでトムカーガイのなかにも入れておいた」
「おおっ!」
クマリーが左手で口を押さえ、声を上げる。
「お肉やキノコに交じって輪切りのバナナも入っていますっ! あまいだけでなく……あったかいミルクのスープに溶けているためか食感もちょっとドロッとしてて最高ですよ~」
なお、スプーンとフォークを使うクマリーの手はたどたどしいが……スープをこぼしたりはしていない。
レックもトムカーガイを食べながらえび色の目を俺に向ける。
「クン・アーティット。君はおいしいものを作るんだな」
ついで彼は首を左にかしげ、外からの風が吹いてくるほうを見た。
「ところでクン・クマリーは君の名前を書くのに必要なトータオ(ต)の文字を手に入れたわけだけど、次はヨーヤック(ย)を持つクン・ナーグルアを捜すつもりなんだよね?」
「まあ、そういう流れになるかな」
俺はクマリーにも視線を投げた。
彼女はスープをゴクッと飲んで答える。
「もちろんですっ! クマリーのお勉強は誰にもとめられませんよ~」
* *
みんなの食事が終わってから、俺は食器をトカゲ型の医者の兵隊に消毒してもらった。そのあとグラジョームの腹のなかに戻した。
ここで俺の口のなかに熱いものが生じる。
こうばしい蒸気を放出するからあげが口内に出現したのだ。
(ロージュラー・エーンのタコのからあげか)
それを食べると、からあげの伝える味覚言語によって遠くにいるエーンから情報が届けられる。
サクッとした外側に歯を立て、弾力のある中身をすりつぶす。
(なになに……「文字保有者全員に告ぐ。これからしばらく予定のない者はポーサムパオ(ภ)のジャンク船に乗ってトープータオ(ฒ)のところに来てほしい。トープータオ・カヤンの居場所はポーサムパオ・ジョットマーイが知っているので運んでもらうように」……ねえ)
だがエーンのからあげは、さらに俺へと情報を伝えた。
(まだあるのか。……「追記。先日カヤンはコークアット(ฃ)の文字保有者を名乗るヨムという若い男に襲われた」……)
コークアットに関しては俺も聞いたことがある。確か不要になって使われなくなった廃字の一つだ。
(……「男の特徴は、少々高めの声。触手のような乳白色の髪と、それと同色の瞳。カヤンと接触したときは黒い前開きの上着を裸の上半身にじかに着ており割れた腹筋が見えたとか。そのときヨムは黒いズボンと靴をはいていた。靴下は、はいていなかった。右手にビンを持っていた。コークアット(ฃ)の文字は舌の上に赤黒く浮かんでいた」……)
ずいぶん細かく外見を伝えるものだと俺は思った。
つまりヨムは、要注意人物ということらしい。
(……「このヨムとかいう男はカヤンにホーノックフーク(ฮ)暗殺を持ちかけた。しかし交渉決裂後、カヤンを殺そうとした。ただしヨムの真の目的は別にあるかもしれない。よって文字保有者各位はヨムを警戒せよ。今後ヨムがなにもしてこない可能性も当然あるが、もしヨムと思われる者に接触したときは一人でなんとかしようとせずホーノックフーク(ฮ)かトープータオ(ฒ)かソーソー(ซ)かロージュラー(ฬ)かポーサムパオ(ภ)かコーラカン(ฆ)に知らせるように」……)
からあげの伝える味覚言語はここで終了した。
俺はクマリー、レック、ミー、プラトゥ、ユアユの顔も確認する。
一気に情報を流し込まれたせいかクマリーは両手で頭を押さえているものの、ほかの四人は俺にうなずきを返してくれた。
ユアユがとくさ色の髪を揺らして立ち上がる。
「ロージュラー(ฬ)のからあげは相変わらずうめーな」
しわがれ声を陽気に出す。
「んじゃオメーら、行って来いよ。わたしはまだヒマじゃねーんでな」
「……ヨムとかいう男と関係があるかは分からないが、俺も今はカヤンのところに行こうと思う」
俺はクマリーにも目を向ける。
「ごめんな、本当はナーグルア捜しを優先したいところだが」
「いいえ……っ、クマリーもお兄さんと共に行きます……っ!」
両手を頭から離し、クマリーがふにゃふにゃ声を絞り出す。
「クマリーのお口にもエーンさんのからあげは届きました。それはクマリーもみなさんと同じ文字保有者とみとめられたからです……だから、それがうれしいから……クマリーも行くんです! みなさんのそばにいれば、ヨーヤックの文字ともいずれ会えるでしょうしっ!」
「オレチャンも同行する」
背中の突き棒を右手でさわりつつ、レックが進み出る。
そしてレックに続いてミーもプラトゥもトープータオ・カヤンのところに向かうと言った。
俺たちは洞窟から出て、ユアユのいた湖をまた訪れた。
オレンジ色のチケットをかかげて「クンクルアンビン」とさけぶ。
ここでユアユが俺の左脇腹をつついた。
「トータハーンよー。オメーに一つアドバイスしとくぜ」
湖にそそぐ滝のほうもちらりと見てユアユが続ける。
「運命に釣り上げられそうになったときは逃げるのも手だ」
「なんだそれ」
「わたしは亀の甲羅のヒビで占いをして生計を立てているんだが、最近その占いでトータハーンに凶兆が出ていたんだよ。これはスーンの件とは別のやつだぜ~。だからオメーを心配してんのさ」
「……もしかして」
俺は気づいた。
「ユアユが非対称の釣り勝負を仕掛けたのは釣り上げられそうになったら逃げることも大事だと伝えるためだったのか」
「ま、そうかもしんねーな」
あくまで彼女はぼかしつつ答えた。
ここで上空に渦巻く雲が現れ、焦げ茶のジャンク船が湖に落ちてきた。
まずプラトゥが酒焼けしたような声を上げる。
「よっしゃ、アタシがいちば~ん」
船の左舷からタラップが下ろされたのでそこを走る。
が、プラトゥがジャンク船の甲板に足をつけようとした瞬間――。
船員であるペンギン型のピーの一体が現れ、両翼をひるがえし、プラトゥのほおにビンタを食らわせて彼女を船からたたき落とした。
次回「50.老人のトー(ฒ)【中編】」に続く!
今回出てきたタイ語の元々の意味は以下の通り
トムカーガイ(ต้มข่าไก่)→鶏肉などが入ったココナッツミルクのスープ




